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第8話  悪霊王との出会い

ガルグイユ監獄の最奥部、第九層。

 フォードは絶望に絡め取られていた。

 共に脱獄を試みた少女、レミリアが『詐欺師』だったという真実を告げられた直後は、「そんなまさか」「あり得ない」「何かの間違いだ」と思っていた。


 だが楽観的な思考は、数日も経てばどこかに消える。

 代わりに脳裏に漂うのは、寂寥と、納得による失望だ。

 レミリアは、そういえば妙に冷静だったとか、少し大げさ過ぎだったとか、金剛力珠の使いが様になりすぎていたなど、今さらながらに納得がいく。


「……レミリア……」


 何度もフォードの口から、彼女の名が洩れる。


「レミリア……」


 彼女との時間は一日だけではなかった。二週間以上も一緒だった。

 格子の隙間から少女と手を重ね、言葉を交わし、希望を語り合い、励まし合い、その果ての、裏切り行為だった。


「ひどすぎる、レミリア……」


 まなじりから、涙がこぼれる。悔しい。悔しい。情けない。騙された過去の自分への呆れ。レミリアへの怒り。失望。そして未来への不安――全てが折り重なった。

 三日間、フォードは牢獄の中で、ろくに身動きもしなかった。

 フォードは牢屋の中で、飯もろくに食べず、ただ死体のように寝そべっていた。


 信じていた人に裏切られ、傷つけられ、虐げられ、ばかりか、大切な雷紋剣まで奪われてしまった。体の中にぽっかりとできた喪失感は、簡単に埋まるものではなかった。

 レミリアの笑顔が何度もちらついた。彼女の暖かい声や励ましが、幻影や幻聴となって、フォードの周りに漂った。「フォードさん」「フォードさん凄いですわ」「わたくし、フォードさんのことが……」様々な思い出の中のレミリアが、声をかけてくる。

 けれどもそれは全部まやかしだと判っているフォードは、やるせなさと失望感の中で、ぐったりとしていた。





 ――転機が訪れたのは、四日目だった。



〈――よ、こ から たいと思わ いか?〉


 

 ふいに、異変が生じた。

 牢屋に、声が響き渡った。

 それはかすかで、だが不思議な旋律を帯びていた。


「え……?」


 一瞬、フォードは幻聴かと思った。

 しかし身を起こして耳を澄ましても、何も聴こえない。空耳だろうか? それとも風の聞き間違い? そう思いかけ、横になる直前。


〈ぬしよ、ここか 出た と思わ いか?〉


 声は再び、今度は少し鮮明に聞こえてきた。

 それは、若い女の声だ。わずかにかすれ、色香を含んだ艶めいた声。

 それがフォードの下、牢屋の石床の下から、流れ込むように聞こえてきたのだ。


「誰だ……?」


 フォードは声の在り処を頼りに、床の石を調べた。

 すると、床石は外れることが判った。

 奇しくもフォードが先日、レミリアに語った通り、ガルグイユ監獄は古い神殿を改装したものである。


 かつて神に祈りを捧げるため、多数の部屋が作られた。現在の牢屋はそれらを改装したものであり、場所によっては神殿時代のものが埋められたまま、隠されていた。

 そして今、フォードが床石を外した先には――。


「彫像?」


 悪魔めいた造形が成された、古い彫像が出てきた。大きさは腕に抱えられる程だ。

 蝙蝠のような翼とヤギのような曲がった角が特徴的。尖った尾がとぐろを巻いている。


 全体として黒曜石のような色だが、どこか不気味だ。美しくもどこか禍々しさも感じさせるフォルム。彫像の血のごとき赤い双眸が、よりそれを掻き立てていた。

『声』が、再び意志を伝えてくる。その彫像から、はっきりと。


〈ぬし、ここから出たいと思わないか?〉

「うおっ」


 思わず、フォードは彫像を取り落とした。

 弾みでガシャン、と彫像の一部が欠ける。からかうような声が聴こえる。


〈おっと、気をつけるのじゃ。封印が狂い、爆発するかもしれぬ〉

「……な、何者だ?」


 フォードは見回りの番兵に聞こえぬようささやいた。


〈フフ……やっと通じたな。一時はどうなるかと我は思ったぞ? ここ四日、ずっとおぬしに話しかけたというのに、まるで気づかん。ふふ……じつにもどかしかった〉


 声は楽しげに、滑らかな口調で歌うように言う。

 フォードは意味が判らない。何だ、これは、何が起きている?


「質問をしたのに返さないとは、ずいぶん無礼な女だな」

〈フフ……すまんな、人間よ。ずいぶんと久方ぶりに『素養』ある者と話せたのじゃ、興奮していた、許せ〉


 ずいぶんと尊大な態度の女だ。しかしふてぶてしいというより、自信に満ちあふれている。余裕のある響き。王者の持つ威厳、とも言うべきか。

 声の女は楽しげな響きを宿し、こう言った。


〈問われたからには我が名を教えよう。我が名は【エリゼーラ】。太古に生きし悪霊の王である〉

「……悪霊、王? まさか。そんなもの……」


 『悪霊』。邪悪な力を使いこなす、超自然的存在。

 はるか太古に滅んだとされる超越者。

 童話、説話、伝承、さまざまな媒体の中で悪役として描かれ、悪魔そのもの、あるいは邪悪の化身とされる。

 悪霊達が生きた数千年前――つまり古代文明が全盛だった頃に、彼らは『魔徒』と呼ばれる邪悪な下僕を率い、人間を苦しめたとされる。

 だがそのような存在が、現実に生き延びている事は疑わしい。遥か昔、神との争いで滅んだというのが定説だ。今時、ホラ話でも使われないだろう。フォードの口から、疑いが出てしまったのも無理はない。


〈むう? おぬしよ、信じておらぬな? われが、虚言使いのアホとでも?〉

「いきなり声が聞こえて悪霊の王などと言われても、到底信じられん」


 エリゼーラは不服そうに声を発した。


〈これは意外。我の威厳をもってすれば万人が信じるに値すると思ったのだが、おぬしはなかなか慎重な男なのじゃな〉

「いや別に……そもそもお前が本当に悪霊などという、旧世界の支配者だとして……こんな所で何を?」

〈それがな、よくは覚えておらぬが、封印されてしまったらしいのじゃ〉

「封印だと?」


 フォードは首をかしげた。


〈然り。いや、我も迂闊だった。人間相手に好き放題をしていたところ、神々の粛清に遭ってしまったのじゃ。確か三十柱くらいかのう? 戦闘の神どもに囲まれ、神術を使われ、絶世の美しき悪霊王は、この通り〉


 彫像がカタカタと揺れ、愉しそうな響きが聴こえる。


「自分のことを美しいなどと言う奴の自画自賛者は信じられん」

〈そう言わずに。我の言葉が信じられぬとあれば、事態は好転せぬぞ? ……まあ良い。怪しげな声が聞こえれば、警戒心も湧くはずじゃな。ふむ……ならば、試しに我の力を見せてやろうか?〉


 言うなり、エリゼーラは、フォードには聞き取れない文言を唱え始めた。


 空気が、床が、わずかに震動している。

 薄く、暗い靄のようなものが天井、壁、床問わず湧き上がる。

 極彩色の螺旋の微光が宙を舞い、濃密な力が凝縮される。

 大気ごと怯えるかのような、わずかな異変の後――。


障害たる壁よ、(ア・ゾル・ゲス)砕けよ(ロイェス)


 フォードの眼前で、牢獄の壁が、いきなり蜘蛛の巣状にひび割れた。


「なっ――」

〈おや? 久々ゆえ、思うほど力が出ないな。いかんいかん、これではおぬしに信じてもらえぬ。ふむ……では、これならどうじゃろう〉


 悪霊が再び文言を口にすると、今度は中空に細長い影が現れた。


 黒鉄色の、金属的な光沢を持つ剣である。先端は鋭く、柄は絢爛豪華。鍔には悪魔のかおのような印章が不気味に光っている。

 装飾剣――禍々しく、黒く輝く長剣が、ゆっくりと、フォードの手元に降りて来た。


〈――『冥王臓剣めいおうぞうけん』という。使ってみるがよい〉


 フォードは、中空から降りてきた剣を手に取り、言われたまま剣を振るってみた。

 ひび割れている壁に、真一字の斬線が走る。

 フォードは驚愕の顔を浮かべた。なまくら刀とは比べ物にならない威力だ。牢獄の強固な壁に傷をつけるなど、尋常な剣ではない。

 しかし、悪霊王はその結果に不満そうに、目の間の斬痕を評する。


〈ふむ、我の力も落ちたものだな。昔は一振りで陸地を寸断できたものじゃが。だかが壁一つ吹き飛ばせんとは……妖気の集束が遅い。むう……これでは我の一割の力も示せぬ〉


 いや、これでも十分に脅威なのだが……

 悪霊王として不満なのだろう。エリゼーラはぶつぶつ言ってじつに無念そうだ。

 しかしフォードの呆然とした顔を見ると、優しく語りかけてくる。


〈まあ、これでも我の力はわずかにでも判ったじゃろう。これ以上は時が進み我の力が万全になった時に見せてやろう。――さて、理不尽なる罪を架された人間よ。我を信じ、邪悪なる契約を結ぶか?〉

「な……」

〈さすれば我は、ぬしをここから出してやろう。――どうじゃ?〉


 機嫌良さそうに、弾んだ声音で、悪魔王エリゼーラはそう声をかけてくる。


「……契約、だと? それは対価に、何か差し出させということか?」

〈対価? 何じゃそれは?〉

「よくある話だろう。力を渡す代わりに魂を寄こせ。大事な人を差し出せ。使う毎に寿命を頂く……古今東西、うまい話にはそういう逸話が多い。お前のその力、魅力的だが、契約するには、酷い対価がいるのだろう?」

〈なんじゃその戯言は。我らの事を記した、つまらん娯楽書の類か?〉


 悪魔王エリゼーラは、一笑に付して否定する。


〈そんなつまらぬ物を望むわけがないじゃろう。我が望むのは人の幸福。あるいは絶望。――魂だと? 命だと? そんなもので本当の絶望は作り出せぬよ。それに、絶望は神代に食い飽きた。おぬしが幸せな姿を見せてくれれば、それで良い〉

「なん、だと……?」


 にわかには信じられない話だった。悪霊王の求める対価が、幸せを見せる事? 本当に? そんなもので良いのか?

 しかしエリゼーラから漂う気配に嘘偽りはなく、まるで今日の天気でも語るように滑らかだ。それは、単なる事実を語る口調だった。


「……それは少しばかり、俺に都合が良すぎるが」

〈疑り深い男じゃな。ふむ、まあ仕方ない。ぬしの境遇を思えばな。――では、こう言えば伝わるかのう。我はな、ぬしの事が気に入ったのじゃ〉

「……俺を、気に入った?」

〈その通り。ここ最近、おぬしの様子を見ていた。冤罪に抗うその姿。レミリアとの脱出劇。雷紋剣を使っての戦闘術。脱獄自体は失敗に終わったが、おぬしのその気概、実力……全てが我の契約者に相応しいと判断した。我と共に歩む者は、おぬししかいない。おぬしこそが我の相棒として相応しい。――これでは不服かのう?〉


 フォードは、即座には、返答できない。

 裏切られたばかりの彼には、契約、などと持ち込まれても疑うしか出来ない。

 だがエリゼーラの声音は、レミリアのそれと違って虚飾がなかった。

 素直な自分の心情を吐露していることが判る。何度も巨大な悪意というものに晒されたからだろうか。フォードは他人の言葉の裏にあるものを鋭敏に感じ取ることができた。


 ――エリゼーラを信じてみるしかない。フォードはそう決意した。


 どの道、このままではフォードはは極刑だ。もはや正義などフォードを救うものではなく、あとは悪魔や悪霊にでも頼る他はない。

 どうせ地獄に堕ちかけた身だ。これ以上落ちる所など無い。


「……悪霊王」

〈エリゼーラで良いぞ。これからおぬしとは末永く付き合う間柄になるのじゃ〉

「……三つだけ、お前に聞きたいことがあるのだが」

〈おおっ、なんだ。何でも聞くが良い!〉


 フォードは、一度目をつぶってから問いを発した。


「その契約の対価は、本当に、俺の幸せを見るだけか?」

〈そうだ。おぬしの幸福なる姿。幸せな時間。それを我は望む〉

「期限はあるのか。その契約の中に」

〈そうじゃな……ないとつまらぬゆえ、作ったほうが良いかな? ――では一年間。ひとまずその間に……おぬしは幸福を得ること。心からの充足を感じる――それが、おぬしに課す期限としようか〉

「……では、もし俺がお前の機嫌を損ねたり、幸福に至らなかったら?」

〈それはおぬしを殺すに決まっておるだろう? 我は聖人でもなければ善神でもない。われがおぬしを不必要と判断したとき、おぬしは地獄よりも恐ろしい光景を目にするじゃろう〉

「……ふ、は。ふはははは!」


 フォードは体を折って爆笑した。


「それを聞いて安心した! 甘い言葉を吐く奴は信用出来ない! 暖かさを感じさせる奴は信頼出来ない! それは俺を陥れるための算段だからな!

 陰謀、強欲、裏切り、嫉妬……もうそんなものは沢山だ! 俺を殺す? ――いいだろうエリゼーラ。俺を殺せ。俺が幸福に至らなければな!」


 響きの良いことばかり言う者は信用できない。もう世界はそんな優しいものではないと悟った。だからフォードは確信する。エリゼーラは、フォードはが幸福に至らないと知った途端、彼を殺す。

 だがそれは裏切りではない。契約の対価だ。フォードは悪霊王と契約する代わりに、危うい、しかし確かな未来を手に入れる。

 エリゼーラの過激な言葉が逆にフォードに信用を抱かせた。悪霊王に己を賭けると。その道を選ぶ。


「いいだろう、エリゼーラ、どこまでも俺は堕ちる。堕ちるところまで堕ちてやろう」

〈ふふ、それでこそ我が契約者に相応しい。――フォードよ。これよりおぬしの命は我と共にあり。我の力はおぬしに宿り大きなしるべとなるじゃろう。

 ――手を差し出せ、フォード。我との契約たる刻印、その手に刻んでやろう〉


 フォードは、言われるままに右手を差し出した。

 瞬間、熱い波動がその手を覆う。火よりも熱く、闇よりも濃い、黒き禍々しい波動。

 その波動がフォードの体の一部であるように同化していく。血流に乗る強く激しい力の根源。心臓がドクンと高鳴る。総身が細胞の一つから生まれ変わる感覚がする。視覚、聴覚、触覚――あらゆる感覚器官や筋肉の一つまでもが最適化され、数秒前と今のフォードを隔絶させる。


「う……く……」


 無数の骸骨、骨の塔、黒い嵐。それらは死を伴う幻影だ。かつてエリゼーラが殺してきた相手、悪行をしてきた相手の無念や恨みが映像となって具現化した姿。

 それらを飲み込む。フォードは全て飲み込む。正義などクソくらえ。光など知ったことではない。俺は俺の道を生きる。悪霊王に、最大の禁忌に触れて、幸せを手に入れる。

 そのための――巨大な力を――。


〈――完了した。これでおぬしは我の契約者じゃ〉


 契約の証たる紋章がフォードの右甲に現れる。黒い花弁の如き刻印だ。すぐにそれは薄くなり消えたが――しかしフォードの体は、熱に浮かされたように、熱く、まともに動かせない。

 『減霊凰薬』で弱体化した体は元に戻ったようだが、それでも指一本動かす事すら困難だった。


〈慣れるまでしばし時間が掛かるだろう。だが喜べフォード。おぬしは我の加護を得て、新しき力を手にした〉

「それは……どんな力、だ?」


 問われ、悪霊王エリゼーラは、艶然と笑みを浮かべる。

 契約をした事で、神の封印が解けていた。


 フォードの目の前には、麗しい美女が浮かんでいる。


 黒き長髪に紅き瞳。鼻梁は一流の彫像すら上回り、美の化身といって差し支えない。

 身にまとうは豪奢な闇色のドレス。所々で肌が露出した、艶美で華美な衣装。

 唇はピンクローズ。妖しき色香と、慈愛の笑みが湛えられている。


 体が宙に浮いているのは神秘の証だろう。風に吹かれるように、神威を刻みつけるように、黒き美しい髪とドレスをなびかせ、彼女は微笑んでいる。


 悪霊王エリゼーラは歌うように答えた。


〈おぬしはこれより、『他者を支配する力』を得た。英雄も、賢者も、聖者も、ぬしの前では使役されるべき傀儡よ。それは至高にして始原なる力。《憑依能力》――それが、ぬしに宿りし最強の力よ〉


 くふ、と彼女は笑う。

 それが、苦難の果てに手にした悪霊王の加護。

 それはフォードが何者も敵わない――『最凶』の力を得た瞬間であった。





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