第2話 妹との生活
フォードが『劣等者』の烙印を押され、妹メリルの『従者』となってから一年が過ぎた。
「メリル様、お召し物が汚れてございます。こちらにお渡ししてくださいますよう」
「剣に歪みはございませんか。訓練用の新しき物をご用意いいたします」
「お食事の時間にございます。僕が責任持って、毒味を――」
「やめてください、兄様っ」
悲しそうに叫ぶメリル。その目尻に、涙が伝っていた。
あの日、裁定が下されてからもう一年。フォード十六歳。メリル十五歳の春。
来る日も来る日も我慢を重ねていたメリルだったが、ついに絶えきれずに言い募る。
「兄様、こんなのあんまりですわ。兄様は何も悪くないです。ずっとずっと父上たちのため頑張ってきたのに……それなのに……」
「……仕方がないのです、メリル、様。僕は乏しい才能と判断された。……されました。父上と母上に逆らうことなどできません。今は耐えるしかないのです」
父と母によって、フォードは従者としての日々を送っていた。
教育も受け、メリルの従者として正しい規範的なふるまい、言葉遣い、態度、仕草等を徹底的に教え込まれた。
本心ではもちろん抵抗したかったが、妹と引き離されることだけは嫌だった。いつか機会があると信じて、両親の気持ちが変わると信じて、今は耐え続けていた。
「僕だってこんなのは嫌です。でも父上と母上の態度は判ります。あの態度は僕に期待を寄せているからこそ。僕が結果を出し、父上と母上の目を覚まさせれば、活路はきっと訪れる」
「でも……こんな、兄様に苦難を……」
目元にいっぱい涙をためるメリルに、努めてフォードは笑顔を作り、その柔らかな手を握る。
「いいですか、メリル、様。僕は密かに鍛錬を試みます。強くなれば状況は変わる。あなたには、その助けを頼みたい」
「でも……」
「大丈夫。二人でなら、どんな苦難も超えられるはず。これまでもそうだったでしょう?」
妹を安心させるように微笑むフォード。その姿を見て、兄の気高い思いを見て、メリルも覚悟を決める。
「わかりましたわ、兄様。乗り越えましょう。わたしたちの手で、苦難を」
「そう、その意気です……メリル、様」
密やかに、屋敷の片隅で抱き合うフォードとメリル。
誓いを交わし、以後、二人は密やかに鍛錬とその助けをすることになる。
† †
しかしそれでも、フォードとメリルの差は埋まらなかった。
フォードも隠れて強さを磨いたが、それ以上にメリルは強くなっていた。
意地悪な運命の女神は、まるで二人の仲を引き裂くように、彼らを惑わせた。
さらに季節が巡り、一年が過ぎ、フォードが十七歳、メリル十六歳となっても、彼らの関係は変わらないままだった。
ゆえに、ついにメリルは、愛する兄のため、強硬策へと出ることになる。
「兄様、寝てるわ。よほど疲れているのね……」
ある日、メリルはフォードを薬で眠らせ、屋敷の外へ連れ出した。
暗く寒い冬の森だった。
周囲に人気はなく、風もない。満月だけが天空を彩る暗闇の夜。
密かに従者へ運ばせた馬車に兄を連れ、雇った御者に指令を放ち、屋敷より遠く離れた森林を兄妹は駆け抜ける。
「兄様……もう心配はありませんわ。あなたが不幸になるなんて、許せない。わたしは、わたしにできる事をします」
兄はますます精悍な若者として育ち、メリルも見目麗しい娘へと成長していた。
メリルは社交界ではダンスの相手として、または凛々しくも強い女性として、メリルは名だたる王侯貴族から求婚されていた。
それでも、父母の命により、フォードが『兄』ではなく、『従者』として扱われることに、メリルはもう耐えられなかった。
「兄様、一緒に屋敷を出ましょう。そしてこの国も出ましょう。大陸を出て新しい街に着いたなら、今度こそわたし達は、普通の兄妹として過ごすのです」
主と下僕である歪んだ関係ではなく。
兄フォードと妹メリルとして、当たり前の日常に戻りたい。
優しくて頼もしい兄と、華やかなで大人しい妹。
誰にもはばかる事のない、いつまでも幸せな日々。
今度こそ、取り戻すのだ。二人だけで――。
「兄様……兄様……」
愛おしそうに、馬車の中、眠るフォードの髪を撫でるメリル。
はじめは困惑するかもしれないが、兄はきっと判ってくれるはず。
歪んだ二人の関係は、新しい兄妹としての日常で取り戻せばいい。
たとえ一年掛かっても、五年掛かっても、それ以上掛かっても――メリルはずっと兄のそばで、付き添い続ける覚悟を背負っていた。
けれど――
その想いは叶わない。
夜の森の、うらびれた広場。
草木が途絶え、不気味に瘴気が飛び交うその場所で――。
真っ青な悪魔が、彼らの前に立ちはだかっていた。
蒼く輝く体に氷で出来た翼。尾が猛々しく三叉に伸び、その総身は冷気に覆われている。
周囲が凍りつくほどの冷気を引き連れて、氷結の化身たる悪魔は、紅い相貌で睥睨していた。
馬車の御者が、驚愕に目を剥く。
「ば、馬鹿なっ、Sランクの悪魔『コキュートス』!? 魔物がなぜ《迷宮》の外に――」
運悪く馬車の御者が、悪魔の爪によってバラバラに引き裂かれた。
咆哮が、満ちる。
冷気を吹雪かせて、死神の鎌のように翼を広げ、嬉しさに悦ぶ冷帝の悪魔が、爪牙を翻す。
「兄様っ!」
メリルは、悪魔を相手に必死に戦った。
生家より持ってきた雷紋剣を抜刀――風のように馬車から跳躍し真っ向から全力でもって叩きつける。
「闘技『セイントクロス』! 『アストラルサークル』! 『フライベルソード』!」
渾身の力を込めて放った攻撃だったが――剣技も、魔術も、何も通じない。
屋敷から持ち出した最強の剣の力を全開放しても倒せない。
メリルはその時点で等級四十一に達していたが――。
その凍てつく悪魔は、等級八十六という化物だった。
もしもフォードが目覚めていたとしても、敵う相手ではなかっただろう。
メリルは、剣を弾かれ、鎧を砕かれ、そして腹部を爪で貫かれ――倒れ込んだ。
「メリル……っ!」
冷気吹きすさぶ中、フォードの叫びが響く。
戦闘音によって眠りから覚め、フォードが起き上がった時は、全てが終わった後だった。
メリルの反撃に一時的に撤退した悪魔。
しかし代償として、腹部を貫かれた妹は、もはや虫の息だった。
美しかった黒髪は乱れ、白い肌は赤く深く染まり、真っ赤な血の池の中で「ひゅう、ひゅう」とかすれた息だけが夜気に漏れていた。
「あ……あ……」
血まみれになった妹を抱き起こしたフォードは、蒼白な顔を抱きしめる。
「そんな……メリル……あぁ、ああぁ……っ」
「泣か、ないで、兄様……わたし、大丈、夫だから……」
命が消え行く感覚。
もうろうとするメリルの意識。
震えて最後の命の欠片をこぼしていく最愛の少女。
月夜と冷気の舞う森の中で、フォードは涙をとめどなく落としていく。
けれど、少女は懸命に笑顔を作り、大好きな兄へ微笑む。
「わたし……兄様を、連れ出せて、良かった……もう、二人で暮らすことは、できない、けれど……だけど、兄様を縛るものは、もう、ないから……」
「しゃべらないでメリル! 血を止め……ああそんな、腕が……っ」
メリルは四肢のうち三つを失っていた。
けれど大きな変化として、フォードの口調が、変わっていた。それはわずかな変化だったが、フォードは他人を敬う口調のままだったが、メリルはその中に、自分を妹として呼んでくれた事実に、嬉しくなる。
――兄様が、わたしの名を呼んでくれた。
――良かった。
――最後に、わたしを呼んでくれて。
――わたしの命は、いま、ここで尽きるだろう。
――けれど、それでも構わない。
――兄様は少しだけ、以前の兄様に戻ってくれた。それだけで、わたしは命を賭けて、戦った価値がある――
メリルの心にはもはや未練はない。兄を少しだけ元に戻せたこと、自分を妹として呼んでくれたこと。それだけが天国への小さな花向けだった。
「あぁ、メリル……いやだ、逝かないで……っ」
血反吐を吐き瞳から光を消しかけている妹に、必死でフォードは叫ぶ。
「平気……兄様、わたし、は、」
これまで兄妹で過ごした、あらゆる記憶がメリルの脳裏で流れる。
花畑で花かんむりを作って笑った。
怖い話で兄に抱きついて泣いた。
寒風吹きすさぶ迷宮の奥地で、肌を温めだった事もある。
そのどれもが失いたくない、大切な思い出。
けれど、もう自分がしてあげられることはないから。
兄に、大好きな兄に、妹としてできる最後のことは、たった一つだけだ。
「兄様、これ、を……」
メリルは、家宝である煌剣を兄に託した。
「メリ、ル……?」
「雷紋剣……わたしはもう、使えないから……兄様が、持っていて……もしも、兄様へ悪い事する人が、いても……これがあれば大丈夫。わたしの、祈りが、願いが、想いが込められているから……どうか、兄様……これをわたしと思って、使って……」
「嫌だ! 僕はまだお前に何もできていない! 恩返しも出来ていない! 僕たち兄妹はずっと、一緒のはずだ! そんな縁起でもない事、言わないでくれ!」
「わたし、兄様の妹で、幸せでしたわ……大、丈夫です……兄様を、独りには、させません……ずっと一緒……だから、わた、しが……兄様を、守っ……――」
そして、それが妹の最後の言葉だった。
少女は凍てついた森で、血に染まった池の中で、静かに事切れていた。
人形よりも無機質な塊となった妹。
白を通り越して色を失った体。
「あ……あ……あ……」
安やかに微笑んだまま逝った少女を抱えて、フォードは身を震わせる。
「メリル? そんな……嘘……いやだ、メリル、メイルメリルメリルメリル……っ、――うわああっ、あぁぁぁああああああああぁぁ―――――――――っ!」
闇夜と冷気の森の中。妹の亡き骸を抱えて、フォードは声が枯れるまで、絶叫した。
† †
「――、……」
やがて、どれほど時が過ぎたのだろう。
妹の遺体を抱いていたフォードは、ゆるやかに立ち上がった。
右手には、妹が託してくれた雷紋剣。
左手には、かすかに残った、妹の体の冷たさ。
「……、――、……僕は」
まるで幽鬼のようにふらふらと歩くフォードの前に、森の奥から、人の気配がなだれ込む。
「よお兄ちゃん、どうした? 遭難かね? 俺たちが面倒をみてやろうか? ひひっ」
ゲラゲラと笑う十数名の男たちは、野盗だった。
人の命を奪い、人の宝を盗み、災禍を振りまく外道の人間。
嘲るようなその瞳が、ふと、美しい骸となったメリルへ向けられる。
「おい、なんだ可愛い娘じゃねえか! 剥製にしよう! 貴族に売って大金を――」
「――消え失せろ」
一閃、だった。
フォードが右手にした雷紋剣が、無造作に振り回された瞬間、雷雲が天空に広がった。
天空から恐ろしい程の轟音と共に幾重もの雷が飛来し、野盗どもを跡形もなく消し飛ばしていた。
かすかな紫電の名残の中、フォードの瞳には怒りも絶望もなかった。
ただただ胸の中を埋め尽くすのは、妹の遺してくれた、最後の言葉だった。
――兄様を独りにはさせない。
――わたしたちは、魂までずっと一緒――。
「そうだな、メリル。『俺』はお前の分まで生きよう。探索者として一流になる――それが俺に託された想いであり、俺の生きがいだ」
フォードは妹の亡き骸を森の土に埋める。丁寧に、優しく、愛情を込めてフォードは埋葬した。
そして、立ち上がる。雷紋剣と、新たな決意を手にして。
彼は、新天地へと、旅立っていく。
【フォード 十七歳 伯爵家の長男 レベル36】
クラス:双剣使い
称号:『最愛の人を亡くした者』(HPゼロ時、高確率で生き残る。死を予期させる技を予め感知出来る)
『克己者』(習得する経験値が通常の1・5倍となる。体力が減るごとに能力値が1・2倍から15倍まで増える)
体力:354 魔力:339 頑強:345
腕力:351 俊敏:367 知性:385
特技:双剣技Lv9 投擲術Lv7
装備:伯爵家の絹マント
伯爵家の銀篭手
伯爵家の軽鎧一式
雷紋剣:メリルの加護Lv1(周囲に雷撃を発生させる。相手が雷耐性をもっていたとしても貫通する。
またメリルの愛により、致死量の攻撃を受けた場合、傷が完全回復し、全能力値が20倍となって反撃可能。
自動武具。フォードの意識がない場合でも、限定的に相手を迎撃する事が可能。
麻痺属性。斬った相手を麻痺状態へ陥らせる。麻痺耐性があったとしてもそれを貫通する。
■■■■■。メリルの愛の証。とある条件に陥った時、フォードの状態が■■■となって相手を殲滅する】
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