第11話 新しき大陸へ
(エリゼーラ視点)
悪霊王エリゼーラは、己の契約者に満足していた。
此度の契約者はじつに良い、我の好みだった。
授けられた《憑依》をいとも簡単に利用し、使いこなすその技量。
誰にでもできるというわけでもない。
過去、我と契約した人間は多数いたが、その中でも指折りの実力だった。
加えて、彼の境遇が心地良い。
生まれは高名なのに、虐げられ、嵌められ、しかし探索者として大成せんという気概。
我は悪霊王の力で彼の半生をあらかた把握したが、不幸にもめげず進む彼に感服した。
いや、はっきり言って、惹かれたと言っても過言ではないだろう。
悪霊とは不幸を生み出し、人間の不運を楽しむ存在。だが数万年も生きるとそれも飽いてくる。ただの不幸を見るだけではつまらなく感じてくるのだ。
人が死ぬ姿など見飽きた。人が涙するものも飽き飽きだ。絶望に打ちひしがれる姿など見すぎて反吐が出る。
別の光景が見てみたい。新鮮な刺激が欲しい。つまらない、つまらない、退屈すぎる――。
だがそんな時に現れたのが、前途有望な若者だ。
フォードは不幸にまみれつつもそれに抗う覇気に溢れ、《憑依》の力も使いこなしてくれる。
この若者がどのように《憑依》を使い、どのような幸福を築き上げるのか、楽しみで仕方ない。
ああ、フォード! 我が契約者よ! 我に、ぬしの幸福を見せてほしい!
それこそが我の幸せだ!
† †
「おお、清々しい空気だな」
さざなみが耳朶を撫で、潮風が心地よくなびいてくる。
ガルグイユ監獄から脱獄して二日後。フォードは船の上にいた。
エレーレ海と呼ばれる南方の海だ。あの後フォードは通りがかった適当な行商人に《憑依》して港町に向かい、別大陸への進出を試みたのだ。
監獄からの追手を警戒しての船旅である。
いくら脱獄しても同じ大陸にいては追手が掛かるだろう。
悪霊王であるエリゼーラの力を借りれば追手を蹴散らすのは不可能ではないが、いちいちそれを相手にするより、さっさと別大陸に渡った方が得と考えたのだ。
ルザやレミリア、ガルグイユ監獄によって、良い思い出のないエルケニウス大陸を出て、より治安の良いとされる、南方のサーリエ大陸をフォードは目指していた。
〈それにしても人間は不思議じゃのう〉
悪霊王エリゼーラは甲板に浮かび海原を見据えつつ言う。
〈先の大陸ではお尋ね者だったおぬしが、別大陸ではお咎めなし。その話、信ずるにたるものなのか?〉
「まあそうだな。ギルドとは、探索者の管理や補佐を目的とする組織。迷宮以外の揉め事は嫌うが干渉まではしない。別大陸で起きた出来事には無関心だと言うことだ」
〈なるほど、他所は他所、という考えか〉
フォードのいた大陸では、フォードは犯罪者の烙印を押されたため、ギルドでもそのような扱いになる。
しかし大陸が違えばそこはもう別世界。以前の経歴になど新ギルドの方には興味なく、探索者となるならば千客万来、来る者は拒まずというわけだ。
新大陸で探索者として功績を挙げれば、むしろ積極的に守ってもらえるだろう。事実、過去にそうした探索者の事例はいくつもあった。
一方ではお尋ねものであった人間が、一方では一級の探索者に成り上がれる――その辺の理屈が、悪霊王であるエリゼーラには理解しがたかったのだろう。
〈人はギルドなどというものを作り、ますます複雑になったという事じゃの〉
「いや、基本はお前の時代と変わらないのでは? 自分の役に立つものは気に入り、そうでないものは切り捨てる。善も悪も目まぐるしく変わる。人の世はそういうものだろう」
〈ふふ……なるほど、真理よな。そんな世でぬしは至高の幸福を得る。さて、どんな希望が、未来が、おぬしを待っているのじゃろうな〉
「とりあえずは、服の交換だな。さすがにこの服ではいつまでもいられない」
フォードは囚人服のままだった。逃げることを優先して衣服まで気が回らなかったためだ。フォードは船にいる行商人を探し、旅服の購入を試みた。
「ん、囚人服か。兄さん罪人かね? 亡命となればちょっと服は高くなるよ?」
「銀貨八枚でなんとかなりませんかね。僕は元々、冤罪でして」
「冤罪だろうとなんだろうと、面倒事の可能性があるからねえ。銀貨八十五枚なら考えないこともないなあ」
一般的に、衣服は銀貨八枚もあれば上々のものが買える。その十倍以上ともなると、ほとんど貴族たちが着る衣服の値段だ。ぼったくりにもほどがある。
〈……面倒じゃのう。我が契約者よ。この金の亡者に痛い目を見せてやろう〉
「同感だ」
フォードは『憑依スキル』を使い、行商人に取り憑いた。
そして彼の体を支配したまま、衣服をかっさらった。
売り物である衣服から、探索に向く『レザーアーマー』、『レザーブーツ』を手に入れる。
その代わり、相場と同じ、銀貨八枚を、彼の財布の中に入れておく。
「ついでにこの囚人服はもういらないし、彼に譲渡しておこう」
〈それが良い。ふふ。おぬしも面白いことを考えるのう〉
フォードは行商人の服を剥ぎ取って、代わりに元の囚人服を着せてあげた。
ぼろぼろで血の痕も残る一品だ。《憑依》から覚め意識を戻したとき、彼は仰天するだろう。
ちなみに、《憑依》された人間は乗っ取られた際、記憶は一切ない。
〈あっはっは。似合っておるぞ行商人! 貧相な体にぴったりじゃのう!〉
エリゼーラがけらけらと空中で笑う。
フォードも機嫌を良くし、元の体に戻ると新しい衣服の感触を確かめた。
そして港に着き、いよいよ新大陸へと足を踏み入れる。
「――まずはギルドへの登録だな。ああ、その前に腹ごしらえもいいな」
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