第1話 期待された兄妹
「兄様、そちらに行きましたわ!」
流麗な剣閃と共に少女が振り返る。
長く艶めく髪の少女――妹メリルの声を受け、兄フォードは剣を構え銀閃を奔らせた。
八迅の流麗な剣閃が《ゴーレム》の体を八つ裂きに斬り刻み、頭と首、胴、腕、脚――太く頑強な肉体を紙切れのように寸断する。
主の無念を表すかのように、ゴーレムの土の巨腕が宙を舞った。
戦闘終了。十六体のゴーレムの集団は、わずか数十秒で兄妹二人に全滅させられていた。
「兄様っ、お見事ですわ!」
美しい妹が抱きついてくる。
フォードは甘い香りの少女の体を、優しく抱きとめた。黒髪に翡翠の瞳の少女、その容姿は可憐と言うほどに麗しい。
ゆるやかに波打つ黒曜石のような髪も、白く処女雪のような肌も、まさに芸術品のごとき美しさだった。
妹のメリルはほがらかに笑う。
「さすがは兄様ですわ。冴え渡る剣技、鮮やかです!」
「ふふ、メリルの方こそ。昨日より剣筋が良かったよ、頑張ったね」
万感の親しみを込めてフォードが頭を撫でてあげると、メリルはくすぐったように目を細めた。
花のような笑みを浮かべる妹に、優しくフォードは語りかける。
「さあ、魔石を集めて素材を持っていこう。父上と母上が待っている」
「はいっ!」
満面の笑みを浮かべ、メリルは兄フォードと迷宮を後にした。
――フォードとメリルの『剣聖兄妹』と言えば、大陸では知らぬ者のない有名人だった。
名門貴族オルトレール家の長男、フォードの超速な双剣技と、妹メリルの刺突剣。
どちらも流麗にして壮麗、かつ過激。《オーク》九匹の秒殺や《ハーピー》十三匹の瞬殺劇、さらには《リザードマン》十八匹の奇襲をわずか六歳と五歳の時点で成し遂げた天才児。
由緒あるオルトレール伯爵家の名に恥じない技量と、その器量。兄のフォードはもちろん、妹メリルの美貌も相まって、彼らは同業者のみならず、一般の人々にまで勇名を馳せていた。
「おっ、オルトレール家の坊っちゃんとお嬢さんじゃないか」
「こんにちはですわ、モルトさん。今日も繁盛されていますか?」
「ははっ、フォードさんとメリルさん目当ての客があるから、上々だよ!」
「フォードお兄さん! 今度ぜひ武器屋に寄ってよ。リザードナイトの良い脂が入ってねっ、サービスしとくよ!」
「ありがとうございます、ローエンさん。明日、妹と行きますね」
「いやー、ふふふ。フォードさんとメリルさんのおかげで、市場も活気づくよ!」
賑やかな街中の市場に響く、兄妹を慕う声。
迷宮帰りの活気や、かけられる優しい声。二人はこれが好きだった。
魔物を倒した高揚感も相まって、ついつい朗らかな笑みが溢れる。
「あ、兄様、肩に埃がついていますわ、取って差し上げます」
「本当だ。ん? メリルの肌にも煤が。払ってあげるよ」
「きゃっ、くすぐったいですわ、兄様っ」
兄妹は仲睦まじく、互いに手を差し伸べて綺麗にし合う。
彼らは間違いなく、大陸の人気者と言えた。そして誰もが、次代のオルトレール家を、そして『探索者』の筆頭になるに違いないと、そう囁かれて日は浅くなかった。
いずれ更なる頭角を示し、必ずや一流の探索者として歴史に名を刻む兄妹。
そのように期待されていた彼らだったが――。
事件は、兄フォード十五歳、メリル十四歳のその日に起きた。
「――よくぞ帰った、我が子供達よ」
「此度の探索、ご苦労でした」
「「はい、父上っ、母上っ!」」
豪奢な屋敷の前で、父ソルゴスと、母フラメールの荘厳な声が出迎える。
どちらもかつて『双聖剣』と呼ばれた、一流の探査者だ。
迷宮を志す者の中で随一の実績を持つ彼らは、歴史あるオルトレール家の中でも栄えある逸材。それに恥じぬ功績を作るため、フォードとメリル兄妹は、幼い日より両親に鍛えられ、修行の一環として迷宮に潜っていた。
湖の妖精と見紛うばかりの美貌の母、フラメールが兄妹をねぎらう。
「貴方たちの活躍、近隣の貴族の間でも噂になっているわ。あたくしも鼻が高くてよ」
「はい、母上。僕達は立派な探索者となり、迷宮を攻略します」
「わたしもですわ。兄様と一緒に、必ずや高名な探索者となります!」
《迷宮》――古の神々が遺したと言われる、深く、険しく、謎に満ちた古代遺跡である。
そこへ武具を用い、深奥へ探索する者たちを、《探索者》と呼んでいる。
探索者は世界中に溢れ、一般的な職の一つと言える。
古の神々がなぜ絶滅してしまったのか、迷宮はどこへ繋がり、どこまで広がっているのか――その中に隠された財宝を手に入れるべく、《探索者》たちは余念がない。
オルトレール家とは、代々一流の探索者を排出し、貴族の位にまで上り詰めた名門の家系だった。
「今日の収穫はどうだった?」
「はい、父上。今日はゴーレム十八体、リザードマン二十五匹、コボルト四十五匹を仕留めました」
「上々だな。母さんと私の若い頃を思い出す。私達も幼少時より、共に魔物を狩っていた」
歴戦の強者である父と母の武勇伝はぜひ聞きたいが、今日の疲れを癒やす必要がある。
まだフォードとメリルは修行中の身。共に十七歳となり家督を継ぐ年齢になるまでは、第八迷宮『砂楼閣』での探索をはじめ、多くの鍛錬を義務付けられている。
「では父上。休憩した後、午後の指導を……」
「待て待て。そう慌てるな。お前もメリルも今日は疲れただろう? もう十日も休み無しだ。今日はもう休養に当て、明日改めて鍛錬に勤しめば良い――」
「いえ! 僕らは今気力に満ちています。もっと早く強くなりたいのです!」
「わたしも同じですわ。兄様もわたしも、もっと身のある修行を!」
闘志を燃え上がらせる兄妹に、父母は嬉しそうに顔を見やる。
栄えあるオルトレール家の跡継ぎとして、申し分のない気概が好ましいのだろう。
「ふっ、判った。だが探索終わりとはいえ、手加減はしないぞ? 私の直接指導で音を上げたら、明日は鍛錬を倍にすると思え」
「望むところです! さあ父上、母上、ご指導を!」
意気揚々と詰め寄るフォードとメリルに、父も母も笑みをこぼしていた。
† †
「――フラメールよ、我が子らの才覚、どう思う?」
深夜。月明かりと星々の煌めきばかりが地上を覆う闇夜の時間帯に、父ソルゴスと母フラメールが書斎で密談を交わす。
「ええ、今日の指導ではっきりしましたわ。やはり、フォードの才能は、劣っていますわ」
子供達がいた時とは打って変わって、底冷えのする声音の母フラメール。
「フォードもメリルも、同年代の中では抜きん出た才能。けれどフォードの才覚より、メリルのそれの方は遥かに高いわ」
「やはり、な。齢十を超えた辺りから感じていたものは間違いではなかった。フォードの才では、物足りぬ。我がオルトレール家の跡継ぎなら、さらなる高みになければならん」
「ええ。フォードは等級三十三、メリルが三十一。凡百の人間ならこの歳でこの値に達するのは誇らしいけれど、我らが伯爵の血筋では当然のこと」
探索者が等級三十に達するには、一般的に三十代から四十代の中盤まで掛かると言われる。
わずか十五歳程度でその域にたどり着けるフォードたちは間違いなく天才だ。
そして歴史あるオルトレール家の中でも、彼ら兄妹は遜色ない才能だったのだが――。
力ある人間が二人いて、片方がより優れていると、人間、そちらを優遇したくなるものだ。
父と母という肉親であっても、『天才の中の天才』たるメリルにばかり期待が向くのは、フォードにとって不幸と言えた。
「やはりフォードは温いな。等級は勝っているが、魔力、俊敏、知性の値がメリルに劣っている。体力は同等。腕力に至っては同じときている」
人の能力を数値化して宙に表す魔導具の『水晶』を見て、父ソルゴスが嘆息を漏らす。
【フォード 十五歳 伯爵家の長男 レベル33】
クラス:双剣使い
称号:『輝く才能』(習得する経験値が通常の1・3倍となる)
体力:324 魔力:309 頑強:315
腕力:321 俊敏:337 知性:355
特技:双剣技Lv8 投擲術Lv6】
【メリル 十四歳 伯爵家の長女 レベル31】
クラス:細剣使い
称号:『光輝く天才児』(習得する経験値が通常の1・4倍となる
また、能力の成長率が通常の1・5倍、与えるダメージが通常の1・6倍となる)
『星の加護』 (星の精霊に愛された証。通常より与えられるダメージが1・5倍(他の効力と重複可)、防御力が1・5倍となる)
(どちらも年齢やレベルが上がると共に比率も増加する)
体力:323 魔力:368 頑強:302
腕力:321 俊敏:379 知性:376
特技:双剣技Lv10 投擲術Lv8
固有スキル:『ドレインラーニング』:倒した敵の技能を自分のものに出来る能力。また、『視た』だけで相手の技能を会得する時もある。
(年齢やレベルの上昇と共に発動率も上がる。現在75パーセントの発動率)】
兄妹の能力値は同年代を軽く凌駕するものだったが、メリルのそれは輪をかけて凄まじい。
やはり、フォードを評する両親の目は厳しくなる。
「フォードは凡庸だ。いずれメリルに追い抜かれ、共に戦う事も難しくなるだろう。そうなるとメリルの才能が潰れかねん。凡才は天才を殺す。忌まわしき事態だな」
「ねえ、あなた。フォードにはメリルとの共闘を禁止してもらえないかしら。このままではメリルの成長にも支障をきたしてしまうわ。あたくし達の手で、慈悲を与えましょう?」
「そうだな。この数ヶ月、フォードの才能の『開花』を期待したが、それもない。凡庸者はオルトレール家にいらん。メリルこそが我が伯爵家に相応しい」
冷酷な結論は下される。こうして、不幸にも天才の器を持ちながらも、フォードは『不出来』の烙印を押されてしまった。
† †
「どうしてなのですか! 父上! 母上っ!」
翌朝。フォードの悲鳴が屋敷に響き渡る。
悲しい旋律が、父の書斎の銀細工を震わせていた。
「――いま言った通りだ、フォード。貴様は我が伯爵家に相応しくない。能力値、戦闘のセンス、器量、将来性、全てが凡庸。我が家に劣等者はいらん。貴様は今日よりメリルと接触する事を禁ずる」
「そ、そんな……」
あまりにも無慈悲な発言だった。
フォードとしては物心ついた時より、両親の期待に答え、家の歴史に恥じぬよう最大限に努力し続けてきたのだ。
若輩ながら『オルトレールの美兄妹』などともてはやされ、鍛錬も十分こなし、努力してきた。それはひとえに、育ててくれる父ソルゴスと母フラメールの愛に応えるため。
それなのに、まるで犯罪者を見るかのごとく冷酷な瞳で、父も母も、見下ろしてくるのだ。フォードとしては、たまったものではなかった。
「ち、父上、母上……僕は、僕なりに精進してきました。これからも未来永劫、それは変わりません。ですからどうか、妹だけは、メリルとの事だけは、撤回させて――」
「なりません。これよりお前は我が家の一下僕として扱います。メリルとの会話、食事、共闘、一切を許さないわ。一介の召使いに、当主の娘と軽々しく接する機が許されると思って? 思い上がらないで! 貴方は恥を知るべきよっ!」
「そ……そんな……っ」
悲しみに暮れるフォードは、その言葉に身を震わせた。
「兄様……?」
事情を知らずに、父への用で部屋に踏み込んだのは、メリルだった。
「どうしたのですか、いったい……兄様? それに父上、母上も……何か大事でも……?」
「メリル……っ、いや、何でもない。君は、気にしなくていい――」
「――誰がメリルに軽い口で話していいと言ったのだ!」
「うっ」
部屋の調度品を揺るがすほどの父の大喝に、フォードが震える。
「貴様は一下僕と言ったはずだ。 貴様にはメリルと同じ屋敷で住むことも汚らわしいのだ。わきまえ劣等者!」
「その通りよ。あなたの前にいるのはオルトレール次期当主の才媛だわ。軽々しく発言して、才覚を陥れるのはやめなさい!」
「嘘です……そんな……父上、母上……っ」
親の優しい感情も、労る気持ちもまるでなかった。
フォードに向けられる視線と言葉は、まるで罪人を前にしたように、厳しいもの。
昨日とはあまりに違う両親の様子に、メリルが戸惑うのも無理ないだろう。
「兄様……? 父上、母上、これはいったい……」
「お前は私達の言う通りにすればいいのだ、メリルよ」
「そうよ。この場はいったん引いて? また改めてお話をしましょう?」
メリルは言葉も告げずに困惑している。それはそうだろう、父と母が怒りに満ち、兄を犯罪者でも見るかのような剣幕で怒鳴りつけるのだ。それは最も見たくない光景の一つに違いない。
けれど、その妹の怯えようを見て、フォードは幾ばくかの平静さを取り戻す。
それは、せめて妹の前では毅然とした兄でいたいという、強い願望からだった。
「……父上、母上。判りました。そこまでおっしゃるならば僕にも考えがあります。僕を劣等者とする前に、機会を下さい」
「機会だと?」
「はい。僕にメリルほどのと才覚がないと判明すれば、僕はこの場を下がります」
「ほう……? そこまで言うからには、聞いてやろう。慈悲だ。言ってみるがいい」
フォードは、唾を飲み、挫けそうになりそうな心を鼓舞して言い募る。
「『雷紋剣』の裁定を行わせて下さい。その結果次第で、僕は下がります」
雷紋剣――それはオルトレール家に代々伝わる、家宝の魔導具である。
持ち主の等級や潜在性に応じて、強さが変わる変幻剣。
凡庸の才覚しか持たない場合にはただの麻痺剣と化し、最高の才覚を持つ者には、天空より稲妻を操る力を与えられる名剣である。
つまりフォードが雷紋剣を用いて稲妻を操れば、彼は才能ある者として認められる。
もしくはメリルと同じ難易度の技を引き出せれば、彼女と同等の能力者と判明する。
家宝である剣に、全てを託す――フォードは、それに賭けに出たのだ。
「……よかろう。フォードよ、我が家宝の裁定に身を委ねようというのだな? ――おい! 召使い!」
使用人に命を放ち、一同は庭の中央広場へと移動する。
人が万人ほども入る大広場だ。幾多の歴代当主の彫刻が立ち並ぶその広い庭で、裁定は行われる事となる。
召使いによって家宝・雷紋剣が部屋に持ち込まれる。家紋の入った美麗な宝箱から取り出される、家宝である雷紋剣。
刀身は天の星のように壮麗で、角度によって橙、黄、黄金と色を変える煌きの剣。
それを、フォードは恭しく手に取り、正眼で構える。
「――いきます」
両手を美しき柄に添え、軽く握る。
己を精神を研ぎ澄ませ、最高の結果が出るよう祈る。
――どうか、運命の神レクリクシアよ。僕に幸福を。
――メリルと話せない毎日なんて地獄です。どうか、英断を。
天高く、祈りながら雷紋剣を掲げるフォード。
しかし――その刀身から放たれたのは、わずかな紫電のみだった。
「そんな……」
他には何も出てこない。それで、全ては裁定された。フォードは才能なき凡庸者。メリルと言葉を交わす事もおこがましいと。そう判定が下されたのだ。
「これで決定したな。残念だがフォード。誓いは守ってもらうぞ」
重々しくそう告げる父、ソルゴス。
じつは、雷紋剣の特性として、持ち主の精神状態も多いに加味されるのだが、この時、フォードは父母に貶められ、精神状態は最悪であった。
そのうえ両親共に微塵も期待をかけていない様子だったため、実力の一割も発揮できていない。
更には、もしも妹と離れ離れになったどうしよう――そんな不安の心が、フォードに最悪の結果をもたらしたのだった。
しかし父ソルゴスも母フラメールも、その事をまるで汲まなかった。
「お前に雷紋剣は扱いきれぬ。フォード、貴様の才覚は証明された。――さてメリルよ、真なる才覚を見せてやれ。オルトレール家を継ぐに相応しい才覚とはいかなるものか、この場で、兄との決別のため、示してみせよ」
「そんな……嫌ですわ、わたしは……」
メリルは拒絶したが、親であり、歴戦の探索者でもある父母の凄みに逆らえるはずもなかった。
涙を流しながら、嗚咽しながら、フォードの眼の前で、メリルは雷紋剣を解き放った。
黄金の流星のごとき雷鳴光が、天空へ迸る。
それで決まりだ。メリルは最高の才能の持ち主として、見事に雷紋剣の力を発現してみせたのだ。
メリルも、この時は最低の精神状態だったが、それでもなお雷紋剣は『最高の資格』と判断し、その力を発現させていた。天空を彩る荒々しい黄金色の雷鳴光は、メリルの天才を示す確固たる光景だった。
「決まったな。フォード、これよりお前はメリルと対等ではない。従者だ。彼女の才能を支え、飛躍させるため、影から仕えるが良い」
「……く」
「そして、訂正しよう。お前とメリルの会話を禁じたが、従者としてのみ、会話を許可する。ただしそれは相応の口調を用いてだ。軽々しい言葉は絶対に許さんぞ」
「……わかり、ました」
そうして、フォードは妹メリルの『従者』として働くことを許可された。
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