第98話
「これは一体……なんです……?」
街までもう少しといったところまで来たエルミナは、歩を進めるにつれて増す異様な気配に耐え切れず、一旦付近の茂みに身を隠した。
草木の隙間から窺う景色は出発時に見たものとはかけ離れていた。
遠くから見えた霧は街全体を覆い尽くし、街の外にまで漏れ出している。それは留まる所を知らず、互いが互いを貪り食うように交じり合い、溶け込み、霧散し、膨張し続ける。遠目からは黒く見えたその瘴気は、近くで見ると毒々しい紫色だった。
混沌の隙間から漂う死の香りに、彼女はどこか懐かしさを覚えた。そして同時に可笑しさが込み上げ、感情の籠らない笑みを溢す。
「さて、どうしたものでしょうか……」
離れた距離と濃い霧の所為で、街の中まで窺い知ることはできない。しかし、姿が見えずとも、只ならぬ気配を察し、エルミナは息を呑んだ。アンデッドの身体でなければ嫌な汗が額から伝っていただろう。
「ま、無茶だろーな」
「…………」
エルミナの傍らでいる筈のない男が呟いた。エルミナは一瞬固まると、視線を街の方角からその男の方へ移す。
「あの……、しれっとさも当然のようにいるのやめて下さいます?」
「まあ、いーじゃーねか。今更」
エルミナから向けられるジト目に、シナリスは平然と返す。
「来ないつもりだったのでは?」
「あ? ああ、まあな。でもあんたを無事に連れ帰れば、晴れてあのガキとの貸し借りをチャラにできると思ってな」
「至極勝手ですね、こちらからすれば迷惑です」
「かんけーねぇ。俺は借り作ったままなのが気持ちわりーんだよ」
「あなたに大人しく連れ帰られるくらいなら、わたしも魔物としてこのまま魔王の配下に下ります」
「そりゃいーな。人間の俺には無理な選択肢だ」
「ふん」
そう言ってエルミナは視線を街の方角へ戻した。
「あんなんでもっともらしい理由をつけたつもりか?」
シナリスは急に声から持ち前の嗤笑するような雰囲気を消した。
「あなたには関係ありません」
この男には全て見透かされている。何故あえてあのように彼を突き放すようなこと
をしたのか。エルミナもそれを察しながら、しかしまともに取り合おうとしない態度は崩さない。
「メガネの奴、落ち込んでたぞ」
「…………。関係ありません」
一瞬エルミナの言葉が止まったが、やはり同じ言葉を繰り返すのみだった。
「ま、俺にとっちゃぁどーでもいいが」
「…………」
エルミナは最早無言を返すのみだった。
「あたしもいるよーっ!」
「きゃっ!?」
「おわっ! 猫娘!?」
二人の間に流れる静寂を破ったのは、背後から突如現れたナツメだった。
エルミナとシナリスは驚きのあまり、身を隠していた茂みに頭を突っ込んでしまう。
「お前なんで!? 来ないって言ってただろ」
頭を葉と枝塗れにしながらシナリスがナツメに詰め寄る。
「あなたは人のこと言えないと思いますが」
エルミナも長い髪に絡み付いた草を取り除きながら呆れるように溜息を吐いた。
「おい、やっぱり考え直さねーか?」
「そうだよーエル姉ぇ。いくらあたしらでも、魔王直属の配下は無理だよー」
茂みを出て街へ向かい始めてしまったエルミナの後ろを付いて行く形で、シナリスとナツメが説得を試みようとする。が、エルミナは頑なに止まろうとしない。二人を尻目に迷いなく街の方へ進んでしまう。
次第に三人の周りを霧が薄く覆い始めた。
「無論、わたしだけで街を何とかするつもりはありません。できる筈もありません。それがわからない程わたしは子供じゃないです」
エルミナは足を緩めないまま答えた。
「ならなんで――」
「ただやはり、あの二人……街の中に放っておけない親子がいるので、その方たちの無事だけでも確認したいです。少なからずお世話になったので」
シナリスが言い切る前に、エルミナはそう理由を付け加えた。想次郎には自分たちの命が大事だと答えたものの、やはりエルミナにとっても宿の親子、クラナとミセリを見捨てることはできなかった。
「二人を無事に避難させたらあとはどうでも良いです」
アンデッドになって気持ちの整理がつき切っていないエルミナにとって、他者を気に掛ける余裕がないのは事実だ。それに自身は魔物だ。人間を助ける義理すらも捨てて良いのかもしれない。それでも彼女は、助けることを選んだ。
見捨てれば心まで魔物に戻ってしまうようで、耐え切れなかった。
「それも十分無茶じゃねーか? 今回は斥候のやつらじゃなく、本ちゃんだぜ? ドラゴン討伐なんて比にならねーって」
「別にあなたたちに頼んだ覚えはないです。嫌なら付いて来ないで下さい」
「んなこと言ってもよぉー。もう死んでるかもしれねーぜ?」
シナリスからしても想次郎に対し見栄を切った以上、ここまで来てエルミナをそのままにして踵を返すわけにはいかなかった。
「ねーエル姉ってばー。ホントに行くのぉ?」
ナツメは躊躇なく先を行くエルミナの元に小走りで追い付くと、歩を合わせながら顔を覗き込む。エルミナはそんなナツメを睨み返した。
「それよりも何なんですか? その呼び方、まったくの初耳です。許した覚えはありませんが? さも当たり前のように呼ぶのやめて頂けます?」
「えー、いーじゃんかぁー。死人同士仲良くしよーよー」
「やめてください。実に不快です。あなたと仲良くするつもりなんて毛頭ありません。って、こら! やめてください。まとわりつかないで」
二人の説得虚しく、そうこうしているうちに一向は街の入口に辿り着いてしまう。示し合わせたわけでもなく、入口付近で三人は同時に足を止める。
そして目の前の凄惨な光景に言葉を失った。
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【モンスター】
アンデッド族C3:クランプス
頭部に長い二本の角を生やし、両手には鋭い爪を持った異形の人型アンデッド。腕には常に錆びた鎖をぶら下げている。その姿の醜悪さから、親の躾で聞かされる魔物の代表でもある。夜な夜な錆びた鎖を引き摺る音が聞こえてくる度、幼子たちは恐怖に身を縮める。




