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第95話

「ええ、何匹かは取り逃がしましたが、結果は概ね良好です。まあ、寄せ集めにしてはよくやった方でしょう」


『そうか、それは重畳』


 エアスト内の街はずれに一か所、廃れた街には場違いな毛色の邸宅がある。


 どこを見回しても素材の色剥き出しの建物ばかりだが、その邸宅の壁だけはしっかりと象牙色に塗られ、屋根は鮮やかな赤茶色をしていた。広さも十分あり、見るからに豪奢だった。


 その屋敷の一室。見るからに高級そうなソファをその巨体で沈ませながら、この街の最高責任者であるアウルム・オーロは通話用魔道具の受話器を耳に当てている。


 この世界に想次郎の現実世界にあるような仕組みの電話は存在しない。だが、魔道具で離れた相手と通話することが可能となっていた。洒落た意匠の木組みの中には通話の魔法を実現する為の魔法陣と、その魔法発動の為のエネルギー元となる魔石が組み込まれている。そこから伸びる受話器で同類の魔道具を持つ相手と話すことができた。


 リラックスした体勢とは裏腹に、その口調からアウルムの通話の相手は目上の人物だとわかる。しかし受話器から聞こえてくるノイズ混じりの声は、その口調とは裏腹に若い女のものであった。


「しかしこれでこの街ともおさらばですな。わたしも晴れて首都での任に付けます。それなりの役職を用意してくださる件、覚えておられますかな?」


『ああ覚えているぞ』


「それはそれは、何よりです。しかし、いざ出て行くとなると、少し物寂しい気もしますな」


『そうか、無理に離れなくともいいぞ?』


「ふふ、御冗談を!」


 アウルムは女の言葉を聞き、下卑た笑い声を上げた。受話器とは反対の手に持っていたグラスから果実酒が波を立てて零れ落ちる。


「間もなくこの街は醜い悪魔どもに包囲される。そうでしょう?」


『ああそうだ。その為にその街の人間に斥候どもを狩らせた。悪魔は醜悪極まりないが、その反面異常なまでに義理堅いことで知られているからな』


「まさしく人間以上に、ですな」


『今頃逃げ果せた斥候どもが魔王軍の耳に入れているところであろうよ』


「それはそれは想像するだけでも身震いものですな」


『魔王幹部級の悪魔の力は計り知れん。エアストだけでなく街の周囲一帯は死の地となるだろう』


「しかし、上手くいくのですか?」


『すでにお前の街の周囲には我が軍の精鋭を配置している。加えて600クラークもの大魔晶石で奴の力をその存在ごと取り込む算段だ』


「それは、実に大掛かりな作戦だ。金も人員も」


『まあ、それでも、多大な犠牲は免れんだろうがな。だからこそ、必ずや手中に収めてみせる。でなければ神は決して我々を許さないだろう』


「今後の我が国のことを思えば、有用な犠牲となりましょうよ」


『その通りだ。強大な悪魔の力。我が軍の切り札となる兵器開発には不可欠なものだ。ある程度の犠牲は致し方ない。だが大事になれば他国に気取られる危険性もある。エアスト一帯だけで何とか抑え込まねばならん』


「特にノルエストの連中に知られでもしたら事ですな」


『今はまだ……な』


 アウルムはゆっくりと腰を上げると、グラスに果実酒を注ぐ。あまり好ましくない任地だったとはいえ、これでお別れとなる。最後に街に向かって乾杯をした。


『ところでアウルムよ』


 通話先の女は徐に尋ねる。


『お前は今、どちらの耳でわたしの声を聞いている?』


「……? 右ですが?」


 質問の意図がわからないまま、アウルムは答える。


『ならばそろそろ聞こえてこぬか? 空いている方の耳から……』


「何がです?」 


『知っているか? 悪魔は左耳へ囁くものだ』


「一体何を仰って……」


 アウルムは思わず通話の相手が酒にでも酔っているのかと疑った。


『ほうら、わたしには聞こえるぞ』


 突然、数人の男の叫び声がアウルムの耳に入った。屋敷の外からである。


 それは警備として入口に立たせていた男たちのものだった。その大の男たちが発するに相応しくない叫び声は、只ならぬ事態だということを証明していた。


「あ…………な……」


 アウルムの手からグラスが滑り落ちる。


『死の足音だ』


 女の言葉を引き金に、施錠している部屋の扉が何らかの重さを受け軋み始めた。同時に乱暴に叩く音や引っ掻くような音も聞こえ始める。音だけでその音の主が一~二体程度でないのは明白だった。


「あ……、ああ……」


 アウルムは扉から離れるように後退ろうとするが、震える足を無様に縺れさせ、その場で尻餅を付いてしまう。


 その瞬間、木製の扉は脆くも蹴破られ、無数の魔物がアウルムのいる一室になだれ込んで来た。


 人型のものから大きな獣型ものまで、様々であったが、彼らの身体は一様に腐乱してどろどろであった。中にはほとんど骨だけになった姿の魔物もいる。瞬く間に室内は濃い死臭で満たされる。


「そんな! 騙したのか! 約束を忘れていないと言っていたではないか!」


『ああ、だから忘れてはいない。今でもちゃんと覚えている。その約束を果たさないとも言っていない。どうした? 早くこちらへ来たらどうだ。お前の重たい尻を収める為の席は用意してあるぞ』


 床に放られた受話器からは女の軽快な言葉が聞こえてくる。


「ぐわぁぁあぁぁ!」


 次の瞬間、アウルムの叫びが屋敷中にこだました。


『ふふんっ』


 受話器越しにアウルムの断末魔を聞いた女は歌うように鼻を鳴らす。


『お前がその街で小賢しい小銭稼ぎをしていたことは耳に入っていたからな。別に小銭稼ぎ程度の不正を働くこと自体に嫌悪感はない。どれ程の愚行かを精査する暇もない。だがな、それがどれだけ取るに足らん事であっても我々の仲で陰は存在してはならんのだ。どれだけ小さくとも、その些細なひびがやがては大きな裂け目となるやもしれん。我々は一つでなければならん。我々のやっていることは、兎に角そういうものなのだ。わかるか?』


 アウルムは応えない。聞き手を失った受話器から女の音声のみが虚しく一方的に流れている。


『君はわたしが感情的な人間だと思うかい?』


 応える者はいない。


『そのような感想を抱いているなら、心外極まるよ。これは酷く論理的な思考による結論だ。掲げる信念を同じくしても、真にはなかなかに通じ合えない。悲しいことにな』


 通話の主は最後もう一度だけ上機嫌に鼻を鳴らした。


『アウルムよ。器量は必ずしも権力に比例しないとは常々思ってはいたが、いつの時代も墓の大きさだけは例外だな』


 果たしてアウルムの邸宅には亡者と死体だけが残された。街一番の豪奢な屋敷は死で満たされた。







------------------フレーバーテキスト紹介------------------

【モンスター】

アンデッド族C3:リバースグローラー

熊のような大型の獣型魔獣がアンデッド化した魔物。表皮が腐り落ち、全身赤黒い肉で覆われている。その皮膚の裏表が裏返ったような姿からその名が付けられた。痛覚が生きているかは定かではないが、外的刺激には過敏で、風が吹いた程の刺激でも怒り狂い、そしてその怒りの矛先は周囲の生者へと向けられる。

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