第94話
小屋から出てすぐ、視界に入る距離に細い小川が流れている。
エルミナは小屋の裏手に無造作に積まれたゴミやガラクタの中から比較的マシと思える木製の桶を見つけ出し、それを手に川に向かった。
川の水は澄んでおり、日の光が乱反射し、チラチラと眩く輝いていた。川の縁には僅かな範囲だが、鮮やかな緑色をした藻が自生しており、目を凝らすと水中に漂う水草が見えた。その風景だけ切り取ると、荒廃した土地とは思えないくらい長閑だった。
ふと目を凝らすと波間に反射した自身の顔が見える。彼女のアンデッドとしての特徴である生気のない肌色と、継ぎ接ぎの傷は川のせせらぎが上手く誤魔化してくれていた。
朧げに映る輪郭に自身の生前の姿を垣間見たのも束の間、その紅い瞳だけはしっかりと映り込んでいた。揺らめくような紅い瞳は夕日のようだった。
「…………。なんです?」
川辺にしゃがみ込みながら背後に気配を感じ、エルミナは振り返らないままその気配の主に問う。
「ああ、まあ、やることねーから手伝おうと思ってな」
「別に要りません」
シナリスの申し出を冷たくあしらうエルミナ。依然として視線は川の流れに向いたままであった。
「そう言うと思ったぜ」
「…………」
エルミナは水を汲む前に小川の傍で膝を付くと、自身の手を入れ、水の流れを肌で確かめるようにした。アンデッドの身体になってからというもの、肌の感覚自体は生前に比べ鈍くなってしまっていたが、それでも手にあたる澄んだ水の感触は心地良く感じた。
「あんまり身を乗り出すと落ちるぞ」
エルミナの様子を視線で追いながらシナリスが言う。
「せっかくの立派な服が台無しになっても知らねーからな」
エルミナは水から手を引くと、ようやくシナリスの方へ振り返る。
「せっかくの服を切り裂いて台無しにしたのはあなたですが」
「おお、そうだった」
シナリスは悪びれる様子もなく、悪戯っぽい笑みを返した。
「新しいのを買ったのか? 弁償しろってんなら請求してくれて構わねぇぜ」
「いや、いいです。わたしが泊っている宿に裁縫が得意な親子がいまして、元通り直してくださいました。実に見事なものです」
「そっか……」
やや残念そうに言って、口を閉ざすシナリス。話題がなくなったというよりも、何かを言いあぐねているようだった。
「…………ふぅ」
エルミナに気取られないくらいに鼻から息を吐くと、無言でエルミナの後ろ姿を見つめるシナリス。その表情は色々な感情が入り混じったような複雑なものだった。彼の中で見えない秤が揺れる。まるで川のせせらぎのようにゆらゆらと。
「…………。あのよ……。悪かったな。この通りだ」
そこからさらに少しの間があって、シナリスはエルミナに向かって頭を下げた。
会釈程度の下げ方ではなく、ほとんど視線を真下の地面に向けていた。
エルミナはその様を一瞥すると、やはりすぐに川の水に視線を戻し、用意した桶に水を汲み始める。
「何のつもりです?」
「一応謝罪しとこうと思ってな。あのメガネにもそうしろって言われた」
シナリスは面を上げるとそう続けた。エルミナは返答せずにせっせと川の水を汲む。
「でも悪いが、まだあんたには慣れねぇ」
水を汲んだ桶を抱えたエルミナが重さにえきれずよろけたのを見て、シナリスは咄嗟に支えた。
「想次郎さんに言われたから仕方なくですか」
エルミナは特に気にする様子もなくそう続ける。
「いや、悪かったとは思ってる。あれは完全に俺の八つ当たりだ。ただ、あんたら魔物に対しての俺の感情、これはあんたの所為じゃねぇ。俺の問題だ。俺自身、魔物に対してあまり良い思い出がある方じゃねぇ」
「そうですか」
特に委細を尋ねようともせず、エルミナは澄まし顔で応える。
「もしかして不幸自慢を聞いてい欲しいのですか?」
「はっ! まさか! できれば訊かねーでもらいてぇな」
「無論、あなたの思い出話など聞きたくもありません」
それを聞いたシナリスは、呆れたような笑みを浮かべた。
「まあ、わたしもあなたと和解したつもりはありません。勿論、無理にしたいとも思いません。あなたが戦いの最中のどさくさでどうか命を落とすよう、こっそり願っていたくらいです」
「ああ、それで構わねぇ。別にこの期に及んで赦しを乞うつもりはねぇ」
「でも、あなたにそのつもりがあるなら、彼にはきちんとした償いをして欲しいです。こんなカタチだけのものではなく」
「ああ、わかってる」
そう言うと、シナリスはエルミナの分の桶を抱えてそのまま小屋に向かって歩き出してしまった。
エルミナはしばらくその背中を眺めると、十分に距離を置いてから緩やかに歩き出した。
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【モンスター】
アンデッド族C2:ワイト
より高貴な人間がアンデッド化した姿。地位と名声を手に入れた人間が総じて最終的に欲するのは永遠の命であった。そんな願望から研究されてきた蘇生魔法は数多くの不死者を生み出すことになる。その醜悪な姿は神の理を外れた者に課された罰なのかもしれない。




