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第90話

「どう……なって……」


 想次郎は先程額を打ち付けたであろう木製のデスクを確認するように軽く撫でる。間違いなく自身が長年使ってきたデスクの感触だった。


 目の前にはゲーム機。電源は切れており、何と無しに傍らのVRゴーグルを掛けてみると「NO SIGNAL」の文字だけが表示されている。


「…………」


 ゲームの電源スイッチへ手を伸ばし掛けて、しかし想次郎はその手を止めた。


 その手を見つめて数秒間の葛藤の後、想次郎はゲームを起動しないままゴーグルを外し、椅子の背もたれに体重を預けた。


 少し経ってから想次郎は洗面所に行き、水道水で顔を洗う。鏡の中の自身は虚ろな目をしていて、酷い有様だった。


 濡れた顔を拭かないまま手のひらを見つめる。未だ思考が追い付かずぼんやりとした頭とは裏腹に、視界は無情なまでに明瞭だった。


「本当に……夢……だったの?」


 誰もいない洗面所で独り言つ。


 しかし想次郎はすぐに信じることができなかった。あの世界での約一か月間にも及ぶ記憶がまだ自身の中に残っている。こんなにも長い夢を見ることなどあるのかと、考えれば考える程、想次郎の頭は余計に混乱した。


「エルミナ……さん……」


 そして立ち尽くしたまましばらくすると、急にあの世界が虚構だったことへの悲しみや恐怖がこみ上げ、想次郎の目元に涙が浮かぶ。


 何度確認しようとも、目の前の鏡に映るのは、正真正銘、何の取り柄もないただの高校生である自分であった。


「エルミナさん……」


 もう一度、彼女の名を口に出す。涙が溢れ、頬を伝って落ちた。





 その後自室に戻ることなく、想次郎は外に出た。


 スマホで確認する日付は、学校から帰宅してゲームの世界に入り込んだあの日のままであった。時刻も恐らくは帰宅して少し経ったくらい、想次郎は何の根拠もなしにそう確信していた。


 再びゲームを起動させることなく外に出たのは、あの世界が本当に虚構だったということを確定させてしまいそうで、それが耐え難いくらいに恐ろしかったからである。


 しかし心のどこかでは嘘の世界だったと、想次郎も認めてしまっている。だが、どうしてもできなかった。少なくとも心が弱っている今は、その現実を正面から受け止めるには縋る物があまりにもなさ過ぎた。


 臆病者の想次郎は当てもなく見慣れた街を彷徨う。


 目的地があるわけではないが、無意識に学校とは遠ざかる方角へ歩みを進めていた。


「エルミナさん……」


 ふらふらと彷徨いながら、時折彼女の名を口にする。途中黒っぽい服の人影を見掛け、その姿を視線で追ってしまっていた。しかしすぐに違うとわかると徘徊を再開する。そうしながら気が付けば想次郎は一駅先の商店街まで来ていた。


 立ち尽くし、道行く人を朧げに眺める。


 途中すれ違った親子は怪しいものを見るような目で想次郎に視線を送っていた。


 人混みの中から学生らしき数名の集団が向かって来たので、想次郎は慌てて顔を逸らす。特に見知った者たちではなかったが、考えるより先に自然と身体が動いてしまった。


 そして脳裏に蘇る、あの世界へ行く前に学校で起こった出来事。


 これまでの〝嫌なこと〟を一切合切全てひっくるめても釣りがくる程の、嫌な出来事。


 それを忘れたいが為に帰宅して逃げるようにゲームを起動させたことを。


 想次郎は立っているのが辛くなり、商店街入口広場に配置されている小さな噴水の縁に腰掛けた。


 意識をしてみると同年代の学生らしき人間は見渡せる範囲にちらほらといるようだった。他校の生徒かもしれないし、想次郎と同じ学校の生徒かもしれない。


 想次郎は深く溜息を吐く。


 中途半端。


 想次郎は常にそう思っていた。


 弱虫で気弱で、特段何かに秀でているわけではない。学校では目立つ方ではないが、除け者にされているとか、イジメに合っているとか、そういった悲劇の渦中にいるわけでもない。友人は少ないが、全くいないわけではない。


 全てが中途半端。


 無論、学校でイジメられたいだとか、不幸な人生を歩みたいといった意味もなく自虐的な願望があるわけではない。


 ただ想次郎は、自分には小説の主人公のような華々しい活躍はできないし、同じく小説の主人のような悲劇に見舞われることもない、実に中途半端な人生を送るのだと、常にそう思っていた。物語の中心人物は常に特別に才能に溢れた人間か、もしくは特別に不幸な人間だ。自分はそのどちらでもない。どちらにもなり切れない。


 恵まれているわけではないが、絶望のどん底にいるわけでもない。それが自分という人間だった。


 だが、その思考自体も何ら特別なものではなく、同年代の学生なら抱きそうな、ごくありふれた悩みであるのも事実だ。


 特別になりたい。他者とは違った数奇な人生を歩みたい。この世界は退屈だ。


 同時に、そんなありきたりな、つまらないこと考える自分に嫌気が差していた。


 理解されないからではない。誰でも理解できてしまいそうな苦悩だからこそ、余計に、嫌気が差していた。


 まさしく全てが中途半端だった。自分はこの数え切れない学生の中の、世界規模で見たら無視できるレベルの小さい存在だと、悲観していた。


 だからある日、ゲームの中の敵キャラクターに恋をしたことを一人の友人に打ち明け、その時の友人の反応を見た時、想次郎は落胆するのと同時に心のどこかで喜んでしまっているのを感じた。相反する二つの感情の中で、理解されないことがこんなにも心地良いのだと、人知れず笑みを浮かべた。


 恵まれているわけではないが、絶望のどん底にいるわけでもない。


 恵まれているであろう人間は、想次郎の学校のクラスメイトという狭い中で見ても何人か思い当たる人物がいたが、絶望のどん底という言葉が当てはまる人物は一人だけだった。一番後ろの窓際の席、創作の世界なら主人公が座っていそうな席に彼女はいた。


 重たそうな長い髪で表情を隠して、教室内でも常に一人で本を読んでいた女子生徒。想次郎自身、彼女と一度も会話を交わしたこともない。彼女の目すら、一度も見たことがなかった。しかし、想次郎から見て彼女が絶望のどん底にいることは明白だった。


 端的に言えば、彼女は同クラスの女子生徒たち数人からイジメに遭っていた。それも並大抵のものではない。極めて苛烈なイジメと言えた。


 周りの生徒も知ってはいたが、誰一人として手を差し伸べようとはしなかった。そして何よりも彼女自身が、周りの生徒へはおろか、大人たちへさえ助けを求めようとしなかったのだ。


 その他の生徒と同じく見て見ぬふりだった想次郎は考えた。果たして自身が彼女のような立場だったなら、今よりもマシな人生だと思えるだろうかと。


 答えはNOだった。中途半端を心底忌む想次郎だが、それでも自身があのような仕打ちに耐えられる自信がなかった。中途半端以前に、超が付く程の弱虫で気弱で怖がり、それが想次郎という人間だったからだ。


 だから想次郎は耐え難かった。中途半端を嫌いながらも、だからといって絶望のどん底に身を置く気概すらない自分を、心の底から嫌悪していた。その状態すらも、想次郎にとっては残酷な程〝中途半端〟だった。


 イジメに合っている彼女が髪や服を切られたり、わけもなくずぶ濡れにされたり、男子たちの前で無理やり上半身の服を脱がされたりする度、どうにもできないその想いは募っていった。


 そしてその出来事は何の前触れも予兆もなく、まさしく急に訪れた。

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