第89話
スカイハンターは錯乱しながらも何とか正気を取り戻そうと、空中でもがき続けている。
「想次郎さん……」
傍らのエルミナがしゃがみ込み、魔力を使い果たし満身創痍の想次郎を心配そうに覗き込んだ。
「ここでやらなくちゃ……」
しかし想次郎は諦めない。面を上げるとゆっくりと立ち上がる。
そして持ち前の跳躍力を活かし、スカイハンター目掛け、高く跳んだ。そのまま何とか首の付け根辺りに着地すると、すかさず両手の剣を突き立てた。
左手の一本は固い鎧のような鱗に弾かれ、手から毀れる。だが、右のもう一方の刃は丁度鱗と鱗の境目の隙間を捉え、突き刺さった。刺さった剣を頼りによじ登るようにして想次郎が首元にしがみ付くと、スカイハンターはようやく冷静になったのか、姿勢を直し、空高く舞い上がった。
「くっ……」
スカイハンターが急上昇する際の風圧で飛ばされそうになり、必死で耐える想次郎。スカイハンターは上昇を止めると、今度は想次郎を振り落とそうと、空中で旋回しながら身体を捩らせ始める。
刺さった剣はそのままに、想次郎は素手で鱗を頼りにスカイハンターの首を這う。
スカイハンターが一際大きく身を捩った際に想次郎の視界の天地が逆転し、一瞬、地上から見上げるエルミナの姿が目に入った。
(ここで諦めるわけにはいかない……)
想次郎は構わずスカイハンターの首を伝って這う。目指すは頭部。凄まじいまでの頑強さを誇るスカイハンターへ致命傷を与えるには頭を狙うしかない、その一心だった。スカイハンターの固い外皮で爪が割れ、血が滴った。
徐々に想次郎の手から握力が失われていく。指先は自身の脈動に合わせて鈍痛が走り、それ以外の感覚はとうに失せ、まるで分厚いグローブ越しに鋭利な岩を掴んでいるようであった。
(僕はどうしようもないくらいに弱虫で怖がりだ……)
指先をぼろぼろにしながら何とか進み、ようやくスカイハンターの頭部まで辿り着く想次郎。
(でも……)
左手で鱗の一片を掴んだまま右手でカランビットナイフを抜き、
「でも僕が一番恐れているのは……」
人差し指でくるりと回転させると、その柄を力強く握り込んだ。
「大切な彼女を、失うことが一番怖い!」
叫びながら力を振り絞ってその刃をスカイハンターの片目へ力一杯突き立てる。
まるでゴムのような弾力を伴った感触。しかしすぐにぶつんと分厚い膜が破ける感触が想次郎の腕に伝わり、手の刃は深く深く、差し込まれていった。
直後に鳴り響くスカイハンターの断末魔。至近距離でその劈くような咆哮を浴び、表情を苦悶で歪ませる想次郎。
しかし、想次郎は何とか意識を保ち、スカイハンターの眼孔深くに刃を握る腕を差し込み続ける。そして肘まで差し込んだところで手のナイフを反転させ、抉るようにして眼孔から腕を引き抜いた。
片目からどす黒い血を噴き出しながらより一層大きな声を上げると、スカイハンターはついに力尽きた。
「やった……」
同時に、限界だった想次郎の手から力が抜ける。
「お、おい! メガネ!」
「想次郎!」
「想次郎さん!」
朦朧とする意識の中で想次郎の耳に同時に届く三人の声。想次郎は一瞬、三人が何にそこまで焦っているのか、理解ができなかった。
「あ……」
気が付けば、死に際に大きく身を捩ったスカイハンターに振り落とされる形で、想次郎の身体は宙に放り出されていた。遥か上空で風に煽られるまま反転し、想次郎の目に映る遠い地面。なだらかな波模様を描く砂地からまばらに生える岩は、まるで巨大な化け物の口腔内のようにも思えた。
落下しながら、弛緩しきった想次郎の指から〝不屈の指輪〟が、するりと抜け落ちる。
「ああ……、これ死んだ……」
力なく呟いたその声は、風を切る音でかき消えた。想次郎はこの時、どんなに怖がりであろうと、本当に差し迫った危機の時には恐怖を感じる暇さえないことを知った。
「想次郎さんっ!!」
最後にもう一度だけ、エルミナの叫びが想次郎に届いた。
やがて地面が迫り、直後に感じた激しい衝撃と共に、そこで一旦、想次郎の意識は途絶えた。
地面に落ちた感覚を最後に想次郎の視界は暗闇に包まれる。
意識があるのかどうかもわからない、まるで夢に落ちる直前の微睡みにいるような感覚で、曖昧な意識のまま想次郎はどんどんとその暗闇に落ちて行く。
どこまで落ちようとも暗闇。まるで終わりがないかのようにも想次郎は感じた。
このまま死後の世界に行くのか。そう考え始めた頃、しかし終わりは不意に訪れた。
がたんっ!
想次郎は額を何か固いものに打ち付けた感覚で目を覚ます。
面を上げ、額をさすりながら周囲を確認する。しかし視界がぼやけ、すぐには自身の状況がわからなかった。
「僕は……」
自分は討伐したスカイハンターから振り落とされ、上空から地面へ叩き付けられた筈。これが死後の世界なのだろうか、想次郎は一瞬そう考えようとした。しかし、反射的に脳が否定する。想次郎にはどうしてもそうは思えなかった。
想次郎のいるその場所はとても静かで、どこか懐かしい匂いがした。
「ここは……」
想次郎の理解が及ばないまま光に慣れ始めた視界だけが晴れていく。
想次郎のいるその場所、そこは間違いなく、見慣れた現実世界の自室だった。
わけがわからないまま晴れた視界でもう一度その見慣れた風景を見渡す。
動きに合わせて、使い古されたキャスター付きの椅子がぎいっと鈍い軋み音を上げた。




