第60話
ナツメを見送った想次郎はすぐに部屋へ向かった。
部屋に入るとエルミナは窓際の椅子に腰掛け、本を開いていた。扉の音には反応せず、いつも通り感情のない冷淡な視線で手元の活字を追う。
だが、その表情がいつになく〝無〟であった。ある程度の期間生活を共にした想次郎には、その機微が何と無しにわかりつつある。
「エルミナさん。今日はどうしたんです? お一人で自分から外に出るだなんて。ちょっとびっくりしましたよ」
「…………」
「エルミナさん?」
「…………」
エルミナからの返答はない。
これまでもエルミナの機嫌を損ねたことは幾度となくあった為、想次郎は慌てず何が要因だったかを探ることにする。
「もしかして……さっきのナツメのこと……ですか?」
表情に変化こそないが、本のページを捲る指先がぴくりと不自然に動いたのを想次郎は見逃さなかった。どうやら正解らしい。
「ナツメの件はすみません。前に言ってましたもんね、会うのは嫌だって。でもあれは偶然だったんです。まさか僕もエルミナさんが一人で表に出ているとは思いませんでしたから」
エルミナは本から視線を外さないまま、しかしようやくその重い口を開く。
「…………。女性……だったんですね」
「へ?」
全く予期していなかった返しに、素っ頓狂な声を上げてしまう想次郎。
「想次郎さん」
「はい」
「あなたはわたしのことが好きなんですよね」
「はい! 勿論です!」
今更な問いであるだけに、想次郎は食い気味に即答する。
「わたしはあなたのことが好きではありません」
「はい……」
それは常々わかっていたことであったが、皆まで言われるとシンプルに傷付く想次郎。肩を落とし、あからさまに語気を弱くする。依然として本に視線を向けたままエルミナは続ける。
「わたしは別にあなたを好きなわけではないので全然構わないと言いますか、支障があるわけでは全くないのですが……、そうやって筋が通ってないところを見せられるのは、何と言いますか……、あまり良い気分ではありません」
「はい…………。はい?」
想次郎は何を言われているのか、すぐにはわからなかった。
「不愉快だと言ったんです」
ここでようやくエルミナは想次郎と視線を合わせる。燃えるように揺らめく深紅の双眸が想次郎を捉えていた。
「あなたが少しは一人で外へ出てみろと勧めるものですから、せっかく試しに表に出てみていたというのに、あなたは別のアンデッドと楽しげに街巡りですか」
「えっと……」
想次郎は何と返して良いかわからず、ばつが悪そうに頭を掻いた。
エルミナの言葉をある種の「嫉妬」と捉えれば想次郎にとって色めき立つことこの上ない状況なのだが、流石の想次郎も学習していた。今その類の言葉を口に出せば間違いなく噛み付かれる(慣用句的表現でなく物理的に)と。
「そうだ! これ、エルミナさんに!」
想次郎は思い出したかのようにずっと手に持っていた肉の刺さった串をエルミナへ差し出す。
「ほらほら、エルミナさん、お肉好きでしょ? エルミナさんに食べさせたくて買ってきたんです」
「…………」
「もうすっかり冷めちゃいましたけど、美味しいですよ! ほら!」
「…………」
「ほらほら、どうしたんです? いらないなら僕が食べちゃいますよ?」
想次郎はエルミナの持つ本の上で、串に刺さった肉を主張するように振った。
「がぁっ!!」
「ああぁ!!!!」
エルミナは突如牙を剥き出しにすると、串を持つ想次郎の右腕に噛み付いた。
「ちょ、ちょっとエルミナさん! そっちの肉じゃない!」
アンデッド族魔物の固有スキル〝毒の牙〟受け、早くも想次郎の身体は痺れ始める。
エルミナは自由の利かなくなった想次郎の手から零れ落ちた串をキャッチし、そのまま肉をひと口齧った。床で蹲る想次郎へ軽蔑の眼差しを向けながら。
「あぁ……」
毒が本格的に回り、痙攣し始める想次郎の身体。
「早く解毒薬を飲んだらどうです? 今日のところはこれで許します」
「あぁぁぁ……」
しかし苦しい筈の想次郎の表情は何故か恍惚としており、それを見たエルミナは表情を引きつらせながら思わず半歩後退る。
「エルミナさんに責められていると思うと……ご褒美感との差し引きで僕は実質ノーダメです……」
当然そんな筈もなく、想次郎の顔色はみるみる青ざめていく。
「聞くに堪えない妄言はいいですから早く解毒薬飲んでください」
「ああ……エルミナさん。僕は今苦しい筈ですのに何故か幸せです……。エルミナさんの中で作られたものが今僕の血の中を巡って……」
「わたしは見ていて心底気持ちが悪いです。早く解毒薬飲んでください。本当に死にますよ?」
これまで脅しの手段であった筈の〝毒の牙〟が最早この少年にとってはご褒美となってしまっているという苦悩に、心中で頭を抱えるエルミナであった。
静かな夜。廃墓所付近の草むらに横たわるのはアンデッドな猫娘、ナツメ。
夜空を仰ぎながら今日一日の出来事を思い返している。
「ふふっ」
自然と笑みが込み上げる。
今までは人間に対し、襲うか襲われるかの関係でしかなかった彼女に、そのどちらにも属さない人の知り合いができた。
それは彼女にとって、とても不思議な感覚であった。
どういう感覚かと問われれば、彼女自身にも説明も言語化もし難いものだが、いずれにしても悪い感覚ではない。それだけはわかっていた。
それに別れ際に一目見ただけだが、自分と同じく感情のあるアンデッドの存在。
「仲良く……なれるといいなぁ……」
これまでのくだらない日常が変わるかもしれないという淡い期待が、彼女の表情を緩ませる。
「…………っ!?」
しかし、急にナツメの表情から笑みが消え失せた。
只ならぬ気配。彼女の細くなっていた瞳孔は大きく開く。
辺りは依然として静かだった。ただ、周囲の風が騒めき、遠くで木々が揺れているのがわかる。
そしてその気配が一層強くなった時、彼女の見上げる視界、群青に染まる夜空を遮るように、何か大きな黒い影が横切って行った。
「ったく、せっかく珍しく良い事あったってのに、もう少しのんびりさせてくれよな……」
------------------フレーバーテキスト紹介------------------
【剣技】
C1:陽炎
自身の回比率を50%上昇させる。
内より迸り、身体を纏う剣気は熱を帯び、周囲の空気の温度を上昇させる。温度変化により密度に差が生じた空気は光を屈折させ、自身に向く視線の焦点を僅かにずらす。真剣勝負は常に紙一重だ。その僅かな揺らぎであっても勝負への影響は侮れない。




