#8(終)
16:45。
学生会館内会議室。
「名探偵の掟、その4。名探偵たるもの、関係者を集めて「さて」と言え」
と、弥生は口を開いた。
「さて、皆さん。ご存知の通り、N大学の大学祭に爆弾が仕掛けられ、その爆破が予告されるという事件が起こりました。私達は既に二つの爆弾の無力化に成功しています。残された謎は二つ、最後の爆弾はどこに仕掛けられているのか? そして、犯人は誰なのか?」
おい待て、と金子が口を挟んだ。
「俺たち大学祭実行委員会のメンバーを集めて、さて、と切り出すのは良いけどな。爆弾の場所が分かったんなら、すぐにでも探しに行かないとまずいんじゃないのか?」
「そうですね。では、結論から言いましょう」
弥生は、金子だけでなく、鍋島、前園、尾田、平針の顔を順に見回した。
そして――。
「三個目の爆弾は、どこにも仕掛けられていません」
そう断言した。
「えっ?」
誰ともなく驚きの声が上がった。
「だって、爆発することになれば、名探偵が深い絶望と後悔を味わうことになる――そんな場所に、爆弾は仕掛けられているんですよね?」
鍋島の言葉に、尾田や平針も頷いて見せる。
「ポイントとなるのは、犯人の動機が、名探偵との宝探しゲームで名探偵を負かすことだ、ということです」
弥生はそう応える。
「この場合の勝ち負けは、どう決まるのでしょうか?」
「どう決まるかって。それは、爆弾が爆発したら名探偵の負け、よね?」
前園の言葉に、弥生は頷いた。
「ですが、そんなことは一言も明言されていません。犯人が論点にしていたのはいつも、爆弾を見つけられるかどうかです」
「そう、でしたか?」
平針が首をかしげて見せた。
「つまり、最後の勝負に限り、爆弾は仕掛けられていないのです。迫りくる制限時間に焦れども、答えは存在しないのですから――必然的に犯人の勝利となります」
「本当に、それで大丈夫なんだな?」
金子が重い口調で念押しする。
「はい。お約束します。最後の爆弾は、爆発しません」
「――わかった。そうすると、最後に残された謎だな。つまり、この爆弾騒ぎの犯人は誰なのか? しかし、それこそ大学祭に関係する人間から、全く無関係な第三者まで、世界中の人が容疑者になるだろう? そんな中から、犯人を特定することなんてできるのか?」
「そうそう。こういう場合、爆弾に使われてた材料とかから、警察が地道に捜査するものじゃないんですか?」
金子の言葉に、尾田が疑問をつなげた。
「それは、名探偵のアプローチではありません」
そして、弥生は右手の人差し指を立ててみせた。
「ポイントになるのは、爆弾が仕掛けられた場所と時刻です」
そう言って、弥生は事件を振り返った。
「最初の爆弾は、13:00に講堂です。合唱部・ブラスバンド部の合同演奏会の開始時刻に仕掛けられました。人気のイベントの一つで、例年、アンケートの評価でも上位に来る出し物だそうですね」
弥生の確認に、視線の先にいた前園が頷いた。
「そして、次の爆弾は16:00にメインステージです。お笑い芸人フリップフロップのライブが開始される時刻に仕掛けられました。こちらも今年の大学祭の目玉企画で、最大の集客が見込まれるイベントでした」
弥生は続ける。
「そして最後の爆弾は、17:00。間もなくですが、この爆弾は存在しないので検討から外しても大丈夫です。この中に、限られた人間にしか設置できない時間と場所があるのです」
「限られた人間にしか?」
「設置できない時間と場所?」
尾田と平針がオウム返しに疑問を口にした。
「お笑い芸人フリップフロップは、当日の早朝に遅刻の連絡をしてきました。そして、大学祭実行委員会の中でも、手品同好会に代役を頼むという方針が決定するまで、上層部だけがその事実を知るのみでした。つまり、16:00にお笑いライブが実施されることを知っていたのは、ここにいるメンバーだけということです」
「ちょっと待て。つまり、犯人は――」
慌てる金子の言葉を受け、弥生は頷いた。
「そうです。犯人は、この中にいます」
少なくない衝撃がその場にいるメンバーを駆け抜け、それぞれが顔を見合わせた。
「ちょっと待ってよ。私は、犯人からの電話がかかって来た時、委員長と一緒に電話を受けているわ。確か、委員長と尾田くんも一緒だった。この三人は犯人じゃないわよね?」
前園が、声を上げた。
「その考え方は悪くありませんね。二回目の電話を受けたメンバーですね」
弥生は、頷いて見せた。
「それなら、鍋島副委員長も犯人じゃないぞ。一回目の電話の時に――いや待てよ。平針だって電話の時に一緒にいた。どういうことだ。つまり、犯人はこの中にいるのに、この中にはいないじゃないか?」
金子が、そう言って弥生を見る。
「その前に皆さん」
と、弥生は言った。
「そろそろ、最後の爆弾の爆破時刻の17:00です。ここで、一人の人物に登場してもらおうと思います。イチガツ、入って良いわよ」
そこで、ようやく僕の出番となった訳だ。
「皆さんこんにちは。市原勝也と言います。今日は、『リアル謎解き!』の企画でシャーロック・ホームズをやっていました」
僕は、学生会館内の会議室に入ると、まずそう言って頭を下げた。
「――っ!」
誰かが大きく息を吸い込む音が聞こえた。
それは、驚きもするだろう。
何しろ僕はシャーロック・ホームズだ。
さすがに虫眼鏡とパイプはポケットの中だけど、コートに帽子、重たい紙袋一杯のチラシを装備した、どこからどう見てもホームズな人物が乱入して来れば、驚くと言うものだ。
「彼は、私の助手であり、恋人です」
弥生が僕のことを簡潔に説明してくれる。
「犯人からの三回目の電話で、爆発すれば深い絶望と後悔を味わうことになる場所、と聞いて、彼のことを連想しました。彼が爆発に巻き込まれれば、文字通り深い絶望と後悔が私を襲うことでしょう。しかし、それは不可能だったのです」
弥生さんは続ける。
「なぜなら彼は、謎解きゲームの役割として、大学祭内をふらふらと歩き回っていたからです。そう、17:00に彼の所在を特定することなど、誰にもできません」
弥生さんは、一度言葉を切った。
「彼に来てもらったのは、他でもありません。この事件を解決して、キャンセルしてしまった今日の予定の埋め合わせとして、このあと食事にでも行こうと思いまして」
「食事って」
尾田が呆れたように呟いた。
「さて、皆さん。間もなく17:00です。爆発はしません。カウントダウンは十秒です。……五、四」
最後の爆弾は、本当に爆発しないのか。
弥生の自信はどこから来るのか。
犯人は誰なのか。
事件の決着。
その刻限。
「三、二、一――」
「きゃあっ!」
叫び声を上げて、ある人物が、床に伏せた。頭を抱えて、背をこちらに向けて、倒れ込む。
「ゼロ。――ほら、爆発はしませんでした」
「……」
沈黙が、会議室を包んだ。
「前園さん。イチガツが持っている紙袋の中の爆弾は、既に無力化しました」
弥生さんが、静かに、しかし重々しくそう言った。
「17:00にイチガツが爆発することを知り得たのは犯人だけです。その瞬間、床に伏せるなどの反応をした時点で――犯人はあなたです」
声もなく、前園先輩は体を起こした。
「名探偵の掟、その13。罠もよし」
弥生さんは、そう口を開いた。
「爆弾がどこにも仕掛けられていない、と言うのは嘘でした。ですが、爆発しないことは分かっていました。なぜなら、既に無力化されていることを知っていたからです。分かりやすく犯人に正体を現してもらうために、利用させてもらいました」
そんな弥生さんの言葉に。
「どうして――」
前園先輩は静かに口を開いた。
「最後の爆弾の場所が分かったの?」
「ヒントのおかげですよ。爆発すれば深い絶望と後悔を味わうことになる場所。正直、イチガツが爆発に巻き込まれることしか思いつかなかった。居場所の定まらない彼を爆破に巻き込むためには、爆弾を持たせておくしかないと考えました」
弥生は続ける。
「イベント実行中の彼に、特定のものをもたせることができるとしたら――イチガツに確認したところ、重たい紙袋を朝から持っているということでしたので。そして、それを渡した人物も」
「でも、私は二回目の電話の時に一緒にいたのよ」
前園先輩の言葉に、弥生は言葉を返した。
「二回目の電話は、そもそも、一回目と三回目の電話と違いました。一回目と三回目の電話では、犯人の応答には時差がありました。それでも、こちらの言葉に対して反応していた。それと比較して、二回目の電話はやりとりができていませんでしたし、一気に読み上げているようでした。犯人は合成音声を使うため、テキストの読み上げソフトを使っていると言っていました。テキストを打ち込んで読み上げさせるための時差が決め手です」
「そう。バレていたのね」
前園先輩は、静かにそう言った。
「大胆にも前園さんは、私達の目の前でスマートフォンから電話をかけ、テキスト読み上げアプリで一方的に通話させたのです」
「その通りよ」
前園先輩は、全てを認める言葉を発した。
「私もね、名探偵になりたいと思ったのよ」
前園先輩は、静かに語り始めた。
「違うわね。正確には、如月弥生さん、あなたみたいになりたかったの。日々脚光を浴びて、人々から称賛される。忘れられずに覚えてもらえる。そんな誰かになりたかったのよ」
前園先輩は続ける。
「私にもできると思った。大勢の人を傷つけて、名探偵の栄光を傷つけて、誰からも忘れられない誰かになれると思ったのよ。全部、失敗しちゃったけどね」
前園先輩は、駆けつけたA県警の刑事達の手で、連れ去られて行った。
こうして、N大学の大学祭で起きた爆破予告事件は幕を下ろした。
◆ ◆ ◆
21:00。
A県警前。
ようやく事情聴取から開放された僕と弥生さんは、A県警の建物から外へ出た。風が冷たく、心地良かった。
「結構時間がかかったね。お疲れさま、弥生さん」
「イチガツもね。ごめんね、解決編から巻き込んじゃって」
「巻き込まれてるって言うなら、朝からずっと巻き込まれてた訳だし。それに、解決編に同席することは知っていたから」
僕の言葉に、弥生さんは何らかの推理が働いたのだろう、疑問を返すことなく頷いてくれた。
「大学は、明日にでも事件の顛末を公表するようね。それでも、大学祭は予定通り明日も開催されるみたい。それだけで、今回の依頼を完遂できた価値があるってものね」
弥生は笑って言った。
「本当に食事にでも行きましょうか。イチガツもコートと帽子を脱げば、スーツ姿でしょう? 外食できるわよね」
そう言いながら、歩き始める弥生さんに、だけど僕はすぐには歩き出さなかった。
「弥生さん。嬉しかったよ」
僕は、弥生さんの背中に向かったそう言った。
「最後の爆弾の場所に思い至ってくれて。正直、事件になると僕は弥生さんに忘れ去られていると思っていたから」
その言葉に直接何かを返さずに、弥生さんは、こちらを振り向いてこういった。
「私と一緒にいると、今回みたいに巻き込まれるかもしれない。予定もいつもキャンセルだし。危ないことも、きっとこれからも一杯ある」
それでも、私と一緒にいるの? と。
「それでも一緒にいたい」
僕は、心からそう返した。
「たとえ役立たずの予知能力者でも良ければ。一緒にいても、良いだろ?」
弥生さんの答えは。
それは、予知能力がなくても分かるものだったし、推理しなくてもたどり着けるものだった。