それでも彼女は温かい。(3)
「ブーブー」
スマホのバイブ音がする。
画面にはこれから強い雨が降ると表示されている。
さっきまで太陽が出ていたのにな、いつの間にか空は灰色に染まっていた。
…豪雨予報か…その予報外れてるよ…
だって、もう…僕の世界には日の光なんか当たっていない。空は、厚い、黒い雲に覆われ、雷鳴の響く嵐に見舞われているんだから…
ポツ、ポツポツ……
次第に雨が強くなっていく。窓を滴る雨水が美しい。けれど触れようとして窓に手を伸ばしても、窓の外側の世界には僕の手は届かない。
でも、何故か雨水の冷たさだけが指先からジンジンと伝わってきた。
それから、ただ…灰色の世界を眺めていた。
ふと、家の前の少し錆びたオレンジ色のカーブミラーの中に女性が映っているのを見つけた。
こんな天気の中傘も持たず、ただぽつりと立っていた。
…まさかと思った。それと同時にたぶんそのまさかだろうとも思った。
何で…何でそこにいるんだよ!
僕の後悔とも嘆きともとれるその思いは決して声になんかならなかった。
部屋のドアを勢いよく開け、階段を駆け下りる。寝巻きだってことも忘れて裸足のまま玄関を飛び出る。
そこには彼女が立っていて、僕を見て、一瞬驚き、その後、愛想笑いを浮かべる。
彼女には赤い傘が似合う。そんなことを不意に思った。
僕が外に飛び出た時、彼女はそこにいた。
夏なのに、雨水は冷たくて、突き刺さるようで痛い。
それなのに、平然とした彼女がそこにいることが、酷く悲しかった。
彼女に痛いという感覚がない証明が勝手に始まり、勝手に完結した気がしたから。
彼女と僕はあと一歩僕が前に出ればキスできるくらいの距離にいるのに、僕達の間には堅く、高い壁が立ちふさがっていた。
僕達の一歩の距離は近いようで遠かった。
「悠くん!」
その声が僕達の間の見えない壁を壊した気がした。
満面の笑顔で僕の名前を呼ぶ彼女は太陽みたいで、その笑顔は夏の紫外線みたいに痛かった。
そして、彼女に名前を呼ばれただけで高鳴るこの胸がうるさくて、チョロすぎる自分に腹が立つ。でも、それ以上に彼女が元気で安心する自分がいた。
「何でこんな雨の中こんなところにいるんだよ!」
そんな僕の感情とは裏腹に自然とそんな怒りの声が溢れる。
違う。言いたかったのはそんな言葉じゃない。
「私…幽体だから濡れませないの。」
確かに彼女の髪を頬を服を伝う雫は一粒も無い。不自然に足元のコンクリートの灰色が濃くなっている。でも…
「それでも君はそこにいる。僕にとっては一人の人間としてまだ生きているんだ。
だから…幽体だからとかそういうのはもうやめてほしい。こんなのは僕のわがままかもしれないけど…それでも…」
また僕はいつの間にか泣いていた。
彼女と再会してからどんどん泣き虫になっているのかもしれない。
少しずつ僕の口から紡ぎ出された思いは彼女に届いたのだろうか…
「ごめんね…ごめんね…」
気が付くと彼女は泣いていた。でも…笑っていた。目には大粒の涙を溜めているのに必死に笑顔を作ろうとしていた。
あーあ。そんな顔されちゃぁ…
こぼれ落ちていく涙が少ししょっぱかった。
それからは久しぶりに二人でゲームをして遊んだ。
人気ゲームの「超戦闘スパイラルファイターズ」通称スパファイ。
さっきまで泣いていた事を忘れるくらい熱中した。いや、忘れようと必死に遊んだのかもしれない。
何度も何度もしたけど一回も勝てなかった。
そういえば昔からゲームで勝ったことがない。
彼女によると、
「悠くんは動きが単純だからだよ。自分の感情のままに動いているっていうか…」
アドバイスをもらったがどこをどう直せば良いのか結局分からなかった。
現実でもゲームでも人はそう簡単には変われないということなのかもしれない。
ゲームに熱中しすぎて気づかなかったがもう既に7時を回っていた。
「そろそろ終わりにしましょうか。」
「そうね。…悠くん一つだけ…お願いをしてもいいかしら。」
彼女の顔はこころなしか少し赤い気がする。
「なんですか。」
「…これからもまた…前みたいに遊んでくれないかしら…私…今悠くん以外に頼れる人がいないから…」
途切れながらも紡ぎ出された言葉がなんだか嬉しくて少しこそばゆい気分になった。
ていうか、上目遣いはずるい。
あと、僕以外頼れないって言葉もずるい。
あぁ。君は前から…ずっと…ずるい人だ。
これじゃ僕に選択権なんて無いじゃないか。
「もちろん。良いですよ。」
あぁ。こんな返事をしてしまう僕も馬鹿だ。
「ありがとう。とっても嬉しい。」
まぁ、彼女のこの笑顔を見れたから良いかな。
やはり僕は馬鹿だ。
こんな時間が永遠に続きますように…
いつの間にか空に輝く一番星にそう願った。
既に四日。彼女との再会したあの日から経っていた。