非正義の味方
どんなジャンルに設定すれば一番良かったのかわからなかったので日常に・・・
「ありがとうございました~! また指名してね?」
少女は部屋から出てゆこうとする男の手をギュっと両手で握り、頬にキスをする。普段はキスまではしないのだが、見た目が好みでプレイも優しかった。だから“お決まりの挨拶”にお礼を追加してリップサービス。
姿が見えなくなるまで男に手を振ると、少女はベッドと浴室が大部分を占める簡素な部屋に戻る。浴室の汚れと体を洗い、廊下に出る。あとはボーイが目減りした備品の補充とベッドメイクをしてくれる。
「予約まで時間あるなー……」
年齢層の上下が激しい広い控え室に戻ると、畳の上に足を投げ出して今日のシフトを確認する。フリーに入るには時間が足りず、予約の客がくるまでやることがない。ヒマ潰しに携帯端末でゲームをしていると、背が低く童顔の少女が近寄ってくる。
「ねぇねぇ、ソラ。終わったらご飯たべいかないかにゃ?」
『ソラ』というのは店からもらった源氏名。近寄ってきた少女は『アン』という名を昔から使っている。
「いいよー。あ、でも最後の予約のお客、延長すごいんだよねー。ネチッコイくせに雑でキモチよくないし」
「あー、アイツにゃー。他の店でもキラわれてるらしいよ?」
そこから客の話で盛り上がる。『どう雑か』から始まり、『誰々は短い』『誰々は太すぎ』『痛い』『社長らしいよ』『連れてってくれたラーメン屋が美味しかった』『爪割れちゃった』などなど様々な方向へと話を飛ばしながら。しばらく話していると、アンの客がきたのかボーイに呼ばれる。
「はーい! いざとなったらアタシに言いなね。ブラックリストに突っ込んどくからにゃー」
最後にソラは薄い胸を叩き、『いけたらご飯いこうね』というフワッとした感じで部屋から出てゆく。アンの見た目は、もうすぐ二十歳になるソラよりも五歳は若く見える。おかげで万人受けはしないが、そのテの固定客が多くついており人気は高い。ソラの『変なのも多いんじゃないか』という質問に、アンは『アタシが相手をすることで犯罪者を減らしてあげてるんだ』と豪語していた。
「頼りになるなー、アンちゃんは」
それに、この“業界”も長い。伝手も多く別店舗の情報もよく知っているし、強面の店長もアンには頭が上がらないのを知っている。客の中年男性から『十年以上前から働いてる』と聞かされソラも驚いたことがある。その後、乱入してきたアンが男を別室につれてゆき、コッテリと透明になるまで絞り取られ、通常料金の十倍ほど払って退店していった。
真っ白になり遠くを見つめる男性が『本当に天国にいくところだった』とブツブツ言っていたのを聞いてから、ソラも気にしないことにしている。
「あ、コレ……」
ゲームに飽きたソラが、ボーイが買ってきたのだろう一冊の週刊誌を持ち上げる。数ページ捲ると、『当時を振り返る』という内容で特集を組まれたページがあった。
見開きで載った写真に映っているのは、夕陽をバックに肩を支えあう、傷だらけの五人の少年少女。……いや、それは正確ではない。世界を救った五人の“ヒーロー”と表現したほうがいいのだろう。
この世界は一年前、復活した太古の邪神により滅びようとしていた。その邪神を倒したヒーローこそが、ページに映っている当時高校生だった五人。週刊誌の写真では顔にモザイクがかかっているが、姿を現した巨大な邪神との戦いは全世界に放送され、生の五人の姿はソラもテレビで見ている。
「ッ……!」
手に力が入りページに皺が寄る。
「ソラさーん、ごっ指名ー。あのキョドりかたはたーぶん童貞かな。優しくしてあげて」
「は、はーい! って、私このあと予約が」
「シラネ。キャンセルだってテンチョが言ってたけど、探して聞けば?」
控え室の他の嬢から筆下ろしだなんだと冷やかされながら、とりあえず香水をつけて店長を探しに部屋を出る――
「ソラちゃん、ちょっときて」
――と、すぐに廊下にいた店長に捕まった。探す手間が省けたというものだが、店長の顔がいつのも増して怖い気がする。
「どしたんです? 私、予約キャンセルになったんですか?」
「まぁ。てか、今日は他のも全部キャンセルでお願い」
「はあ……お店からもフォローいれてくれるんならいいですけど。もしかして、VIPかなんかですか? 私に?」
「うーん、たぶん」
その客は、店に入ってくるとソラを指名してきた。最初は店員が『都合がつかない』と断っていたのだが、店長のほうに上役から電話がかかってきて、急遽ソラをつけることが決定したらしい。
「オレも急に言われたんだよ。その男の言うとおりにしないと逮捕するって脅された」
「えぇ、逮捕って……キャンセルしたい」
「残念だけど、オレじゃどうにもならない。ま、ソラちゃんは優しいって評判だし、いつもどーりで大丈夫! 大丈夫だよね!」
ソラは店長から、絶対に傷付けないように、絶対に他言無用、と何度も念を押されながら背中を押され、客のいる待合室に放り込まれる。
「キャッ!」
「わ、わわ!?」
つんのめったソラを抱きとめたのは、サングラスにマスク姿の男。待合室にはその男一人だけ。怪しさ満点の格好だが、それもどこからか『入れろ』と命令されているのだろう。
男は薄着のソラを見ては慌て、腕に当たった胸に慌て、アワアワとしている。その様子にソラも『わかりやすいなぁ』と心のなかで呟く。そして深呼吸を一回して、いつもと同じように笑顔を浮かべる。
「初めまして! ソラでーす!」
「は、はは、はじめまして!」
「そんなに緊張しなくていいですよ。はい、こっちでーす」
すでに腰砕け気味の男の手を引き案内したのは、予め店長に指示されていた完全防音のVIPルーム。最初に使った部屋とは比べ物にならないくらい広い。
「お客さん、お仕事なにしてるんですか?」
「え、と……今は特に。国からお金貰ってて」
「へー、そうなんですかー」
服を脱がせながら、いつも通りの質問にいつも通りの返答。会社の重役や芸能関係者なのだと言ってくれば、最後に『すごーい!』とつけるだけの便利な返答。
(国からって、年金とか保護……じゃなよね。保険かなぁ)
質問してもいないことに答えられ、思考がそっちに引っ張られる。肌や筋肉の感じからして、ソラと年はそこまで離れていないだろう。着ている服も派手ではないがブランド物。ならば失業保険で遊びにきたのか。そんな客がくることもある。
「ねぇ、ソレ」
「え?」
ソラに顔を指差され、男は困惑の表情を浮かべた……のだろう。サングラスとマスクで、ソラには表情が見えない。
「取らないと、キスできないよ? それとも、私とじゃしたくない?」
「し、したいです!」
男は大慌てでサングラスとマスクを外す。少し目尻の垂れた、ベビーフェイスの甘い顔。カッコいいというより可愛い。その顔に、ソラの心臓は大きく鼓動を立てた。
「あ、アニキからマスクは外しちゃダメだって言われてたんだった」
「……でしょうねー」
ソラは男の顔を、モザイク越しではあるが少し前にも見ていた。
「ヒーローがこんなお店にくるなんて」
世界を救った五人のヒーロー。
「ど、どうも……」
そのヒーローの一人が、目の前で軽く頭を下げてみせる。名前は久我ハヤト。ヒーローのなかで最年少。一年前で十七歳だったので、店にきたこと自体は法律上にも問題ないはず。問題があったとしても、きっとソラに断る権利はないのだろうが。
「国のお偉いさんにお願いすれば、幾らでも女の子を用意してくれるんじゃない?」
ヒーローは世界を救った恩恵という名目で国どころか世界から保護され、各国から集めた通称“ヒーロー資金”という莫大な予算を好きに使えたはず。『国からお金を貰っている』というのもウソではない。その予算を使えば、どうとでもできるはず。
「だからって用意してもらうのも恥ずかしいじゃないですか……。でも、女性には興味あって……」
「それでウチにきたの? わっかいなー。羨ましい」
ハヤトは顔を赤くし、恥ずかしそうに俯く。こんな店にきている時点で純情ともいえないが、その気持ちはソラもわからないでもない。世界から保護とは聞こえがいいが、実際は第二の邪神にならないよう常に監視されている。
「好きな人がいるわけじゃないし、用意してもらったら絶対に監視されてるんだろうし……。だから、せめて自分の好みの女性がいるところにいこうってネットで調べて……」
変装までして飛び込みで入店してきた。予約しなかったのも、盗聴が怖かったのだとハヤトは語る。しかし残念なことに、世界の監視はそこまで甘くはない。とっくにバレており、しかも断ったら逮捕という脅しつき。だが、ソラも上客を帰す気はない。こんな運命の出会いを逃すわけがない。
「じゃあ、私が一番好みだったんだ」
「は、はい……」
「ありがと。うれしいよ」
ソラはハヤトを抱きしめ、耳元でもう一度、優しく『本当にありがとう』と囁く。下半身には服越しでも感じる熱の棒。
「あ、の、ボクど、どうすれば」
「ねえ、聞きたいことがあるの」
「え……?」
我慢できないといった様子のハヤトの背中を撫でながら、耳たぶを噛む。それだけでハヤトは小さな声を上げる。
「聞かせてくれたら、今日はずうっとアナタの相手をしてあげる。アナタのしたいことをしてあげる」
「なん……でも……?」
「そうだよ。なんでも」
脳を蕩けさせるように、優しく、優しく、囁く。ハヤトの下半身は一層硬く、熱くなるが、同時に困った顔をソラに向ける。
「でも、力のこととかは機密で……」
「そんなんじゃないの。私が聞きたいのは一年……ううん、二年前の話」
「二年前……」
それは、ハヤトたちが力に目覚めて間もない頃の話。邪神もなにも関係なく、ハヤトたちがヒーローになる前に、“最初の正義”を行なった話。
「隅田乃ソウジ」
「ッ!?」
ハヤトはビクリと体を強張らせ、下半身からは急激に熱が引いてゆく。
「大丈夫。アイツはここにいないよ」
ソラは荒く息を吐くハヤトの背中を優しく撫でて、落ち着かせる。
「やっぱり、アナタたちが隅田乃ソウジをやっつけたんだ」
「アイツのこと、知ってるの……?」
「うん。アイツらがどれだけクズだったのか。どれだけ悪人だったのか。ナニをやったのかも全部」
「ソラさんも……被害者……」
「被害者かー。そうなるの、かな」
隅田乃ソウジ。ヒーローが手を下すには子悪党だが、ハヤトにとっては因縁浅からぬ、いまだに邪神と戦うよりも恐怖を抱く大悪党。
「酷くイジメられてたんだよね」
「は……い……」
大地主の息子で、ハヤトが入学した高校の三年生。子供の頃から周辺住民からは悪タレと呼ばれ、自分の思い通りにいかないと癇癪を起こしては暴れていた。親も親で、子供のことで注意されると『そんなことはありえない!』と怒っては聞く耳を持たず、酷いときには注意してきた一家を気に入らないと地域から追い出すこともあった。
そんな相手に、ハヤトは目をつけられてしまった。原因は、廊下ですれ違ったハヤトの顔が気に食わなかった、という至極単純なもの。金で下級生を抱きこみ、『誰かに言えば両親を破滅させる』と親の権力をチラつかせ、隅田乃ソウジはハヤトをイジメていた。
「アイツが捕まったときのこと、詳しく教えて欲しいの」
「それ……は……」
ハヤトは言い淀む。ハヤトたちにとって最初の正義ではあるが、世界的なヒーローとなった今では口に出すのもタブーとなっている。
「……アノ日……服を全部燃やされて、ボクは裸で泣いてたんだ……」
しかし、同じ被害者なのであれば、とハヤトはポツリポツリとだが話してくれる。
「誰にも会いたくなくて、橋の下に隠れてて……そのときに、アニキたちに出会った」
五人は住んでいる場所も違った。顔も知らなかった。それでも、出会った瞬間に『出会うべくして出会った仲間』とわかったのだという。ハヤトはこのとき、誰にも相手をされず、誰にも相談できなかった孤独から、救われた。
「あの人たちこそ、ボクのヒーローなんです」
五人は出会い、仲間となった。ハヤトは自分の仲間を思い浮かべることで、やっと強張っていた体から力が抜ける。
「ヒーローが最初に救ったのは、キミだった」
「はい。でも、当時は五人しかいなくて……力の使い方もよくわからなくて……」
ヒーローとして力が覚醒するのは、もう少し先。邪神や邪神の使徒との戦いをサポートしてくれる仲間とも出会っていない。その頃の五人は、力の片鱗しか使えなかったのだという。
隅田乃親子の悪行を知り、五人は怒りに燃えた。しかし、片鱗でも常人を超える力を手にしてはいたのだが、正義感からか暴力に訴えるような真似をしなかった。かといって、SNSに晒す程度では許せない。例え悪事がバレて塀のなかに入ったとしても、すぐ出てこられたのでは、また誰かに迷惑がかかる。だからこそ、五人はもっと重い制裁が必要だと考えた。
「だから、町の近くを走ってた新幹線の変電所を爆破した。全てを隅田乃ソウジのせいにして」
「……はい、そうです」
力を使ったのは三人。一人は、相手の力を吸収し奪うことができる、『コピー』と呼ばれる力を持った仲間。もう一人は、周囲の気配を察知しどんな攻撃をも見切る、『スキャニング』と呼ばれる力を持った仲間。最後の一人は、邪神の力をも通さない障壁を作り出す、『プロテクション』と呼ばれる力を持った仲間。
最後の力は、ハヤトが持つ力でもある。これは週刊誌にも載っている、機密でもなんでもない情報。ハヤトが話したからと、誰かが飛び込んでくることはない。
「当時は『コピー』も容姿を真似るくらいしかできなくて、『スキャニング』もドコに人がいるのかくらいしかわからなかったんです。ボクの『プロテクション』も邪神に敵うモノじゃなかったし……」
それでも、人を――隅田乃親子を破滅させるには十分な力だった。
まずは一ヶ月ほど、片鱗だった力を試行錯誤しながら訓練し、できるだけ習熟させた。
「あの日は、ドキドキして眠れなかった。たぶん、みんなそうだった」
五人にとっての、初めての正義の日。それは、隅田乃ソウジが十八歳になる前日に実行された。
まず隅田乃ソウジを五人で拉致。次に隅田乃ソウジの姿を『コピー』した仲間が、隅田乃の両親が経営している土木業者に潜り込み、“挙動不審ながらも防犯カメラに映るように”爆薬を盗み出した。そうして隅田乃の両親の車で変電所へと向かった三人は、隅田乃ソウジの姿で、再び“挙動不審ながらも防犯カメラに映るように”爆薬を設置し、警備員に追いかけられながらも爆破した。しかし、この事件で怪我人は一人も出ていない。変電所にいた全員の位置を仲間が『スキャニング』し、ハヤトが『プロテクション』を使って守っていたから。
警備員に囲まれながらもニセ隅田乃ソウジは、『音が気に食わないんだよ!』と捨て台詞を吐き捨て包囲を難なく抜け出し、三人は逃げおおせたのだ、とハヤトは興奮気味にソラに聞かせる。
「それでアイツは捕まったと」
「はい。全て上手くいきました」
解放された隅田乃ソウジは、家で待ち構えた警察により逮捕。『やっていない!』と叫んでいたが、アリバイがないことと防犯カメラの映像が決め手となり塀の向こうへ。両親には資産を全て売り払っても足りない賠償金の請求。権力のなくなった隅田乃一家に手を差し伸べる者は誰もなく、それどころか両親の悪事も次々と住民からマスコミにリークされ、しばらくして両親も逮捕された。『犯罪者親子』と一躍ときの人。今でもネットを検索すれば、顔写真付きで悪事の羅列を見ることができる。
「はじめて、仲間以外に話しました……」
この話がタブーになっているのも、ヒーロー的な行動ではなかったからが大きい。しかし、誰もこのことに後悔はしていない。当時、隅田乃一家はそれだけの巨悪だった。だから、手加減などしなかった。
「そっか……。ねぇ、隅田乃たちがそのあとどうなったか知ってる?」
「いえ、知らないです。すぐに引っ越していっちゃったので。それに調べたいことでもないですし」
「ふーん、ホントに調べたことないんだね。……なら、教えてあげる。隅田乃ソウジはね、一年前に自殺したよ」
「自、殺……?」
よほど驚いたのか、ハヤトの目が丸くなる。その様子が可笑しくて、ソラは笑ってしまう。
「そう。『犯罪者だなんて耐えられない』って遺書を残して、獄中自殺。両親もすぐあとを追うように自殺したって」
「なんて身勝手な……!」
「ねー。自分がやったことの責任も取らずに自殺なんて、身勝手だよね」
ハヤトは『そのとおりです!』と憤る。逮捕された理由が作られた冤罪であっても、隅田乃ソウジは正真正銘のクズ。それが『犯罪者ではない』という遺書を残して自殺したともなれば、許せることではないのだろう。
「……なんか、そういうコトする雰囲気じゃなくなっちゃいましたね」
「ふふっ、そうだね。ゴメンね? 変なこと聞いちゃって」
「いいんです。きっとボクも、誰かに聞いて欲しかったんだと思います。でも、どうしてソラさんが自――!?」
ソラの唇が、ハヤトの唇を塞ぐ。舌でハヤトの歯茎をノックし、開かせ、絡ませ合う。たっぷり数分間、この二年の間に得たテクニックを総動員して、舌だけでハヤトの脳を蕩かせる。
「キスだけで興奮しすぎ~。鼻息くすぐったかった」
「ご、ごめんなさい……。その、キスも初めてで……」
「そうなの? 悪いことしちゃったかな。ならお礼に、私の本名と秘密、教えてあげる。ね、耳貸して」
「は、はい。……う、あ、あの。うぅ……」
ハヤトは耳にキスやらヌルリとした感触を感じるたびに、声を上げる。ソラはそうやって何度か遊んでから、ポソリと、自分の名前と秘密をハヤトに聞かせた。するとハヤトの目がまた丸くなり、ソラは再び笑ってしまう。
「……え、いま……なん、え?」
「だから、私の名前と秘密。妹がいるって知らなかった? 知らないよね。あのキ○ガイ親子と一緒に暮らしたくなくて、中高一貫の学校の寮にいたから。お正月にも帰ってなかったし。おかげで高校になってから学費も払ってくれなくなって、自分でバイトして払ってたけど」
だから、ソラは知っていた。隅田乃ソウジが、どれだけクソな人間かということを。その両親が、どれだけ気が狂っていたかを。間近で見ていたからこそ、知っていた。
知っていたから、わかっていたから、離れて暮らしていたというのに。卒業と同時に、どこか遠くへいって繋がりを絶つつもりだったのに。夢もあったのに。好きな人もいたのに。
「『これが犯罪者家族だ』って私の写った写真が出回っちゃって、学校で騒ぎになって中退させられた。バイトもクビになった。ヤクザみたいな大人がたくさん押しかけてきて、『慰謝料を払え』って脅された。で、結局ここまで堕ちちゃったんだよねー」
「ぅ……あ……」
「隅田乃ソウジは犯罪者。その両親も犯罪者。なら、私は? 血が繋がってたってだけで、私も犯罪者だったのかな。兄も親もクズだってわかってたのに、訴えられなかった私が悪かったのかな。私だってアイツらから離れて、普通に暮らしたかっただけなのに」
正義の味方が最初の正義を成したとき、ソラの人生は壊れてしまった。
正義の味方が正義を成し終えたとき、ソラの人生は堕ちきってしまった。
強大な権力を持った両親と、その両親から一心に寵愛を受けていた兄。子供だったソラには、家族の異常に気付けても逃げるだけで精一杯だった。なのに、逃げることさえできなくなった。
ソラは『オカシイよね?』と首を傾げるが、ハヤトは顔を真っ青にして答えない。腰が抜けそうなほど恐怖に震えながら、部屋の出口へと後ずさってゆく。
「そうそう! 遺書には続き? というか最初に書いてあったのが、『ハヤトがやったんだ。オレがやったんじゃない』。責めようと面会にいったときにも、ずっと同じことを言ってたよ。ヒーローを妬んでるって誰も信じてなかったけどね。私以外は」
王様でいられるのは住んでいる土地だけだと理解している小心者。それが、ソラの知っている隅田乃ソウジという男。うるさいからと変電所を爆破するような、大事を起こせる男ではない。
「……ッ!? ち、が! ボクは……ボクたち……そん、な気……!」
ハヤトがドアを開けようとするが、指が震えて上手くノブを回してくれない。体液を飲み込んだ喉は焼け爛れたように、言葉を上手く吐き出してくれない。そうして何度もドアノブを掴み損ねていた指が、やっとガチャリとドアを開けてくれる。
「あ、帰る? ねぇ、ハヤトくん。ちゃ~~~~んと、次も私を指名してね? そうしたら約束どおり、私の普通を壊してくれたお礼、いっぱい、いっぱ~~~~い、してあげる」
ソラが満面の笑みを浮かべると、ハヤトはヒーローとは思えないほど情けない叫び声を上げながら、店を出ていった。
――二ヵ月後。
何も変わらず、ソラは控え室で端末をいじっていた。
「逮捕もされてないし、指名もない。まったく、これがヒーローの責任の取り方なのかな」
端末で起動した銀行のアプリには、見たことがないほどゼロの並んだ残高が表示されている。どこから振り込まれたのかは、どこにも書かれていない。
そんなモノを見ていてもツマラないので、適当にニュースアプリを起動し眺める。お客さんとの話題に時事ネタは欠かせない。すると、一件のニュースが目に入った。開いて見てみると、ソラは『ホントに身勝手』と呟き、嬉しそうに微笑んだ。
「ソッラさーん、ごっ指名だよー」
「はーあーいー!」
「お、なんだか絶好調。イイコトでもあったん?」
「ちょっとだけねー」
入れ違いに控え室に帰ってきたアンに『いってきます!』と声をかけ、ソラはスキップしながら出てゆく。
「ソラ、なんか嬉しそうだったにゃ」
「イイコトあったらしいよん。んじゃーアンさん次までごゆっくりー」
珍しく控え室に一人きりになったアンは、消えていたテレビを点けて、チャンネルをポチポチと変えてゆく。しかし、どのチャンネルも同じような緊急特番をやっていた。映っているのは、悲痛な面持ちのアナウンサー、嘆き悲しむ群衆、各国のお偉い役人。そして、口々に疑問と賛辞を述べていた。
「へー、ヒーローが自殺したんだ。世も末だにゃー」
アンはポチリとテレビの電源を切る。それから端末を手に取ると、『ヒーローが死んじゃって悲しいから会いにきて』と営業メールを送っていった。
『あることないこと罪を被せてやったぜ!』的な正義は本当に正義なのかという疑問から、盛りに盛って生まれたお話。別にお相手はヒーローでもハッカーでも探偵でもよかったんですけどね。