表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第1話:青年と「8・9・3」

少しずつ更新。

 「ヤクザ」という言葉に対してどんなイメージを持つだろうか。

 怖い? 悪人? 犯罪者?

 それとも任侠? 弱きを助け強きをくじく?


 俺、山本英治は後者だった。


 「ヤクザは社会の弱い人を守っている! 任侠道は今も健在なんだ!」


 そんな妄想を抱いて、小さい頃から切った張ったの任侠映画を食い入るように見ていた。


 俺みたいな一般人が、決して踏み入ってはいけないアウトローの世界。

 でも、だからこそ、俺は憧れと畏敬の眼差しで「彼ら」を見ていた。


 そう、現実的な目では決してなく、妄想の延長線で捉えていたのだ。



 「いつまで寝てんだコラァ!! さっさと起きろこの野郎!!」


 「ひゃい!?」


 突然の怒号。なんだ?何が起きた?


 「山本、てめえこの野郎! 先輩より遅く起きるとは良い度胸だな!!」


 頭をかなづちで叩かれたようにクラクラする。

 部屋いっぱいに射し込む朝日に視界がぼやけてよく見えない。


 「寝ぼけてんじゃねぇ!」


 三度目の怒鳴り声。この声は……ああ……林さんだ……。


 「す、すいません……。あの、起きました……」

 「起きましたじゃねえよこの野郎! さっさと着替えて用意しろ!!」


 林先輩は俺の頭をはたくと、扉を乱暴に閉めて部屋を出ていった。

 その衝撃でやっと目が覚める。

 何度かまぶたをパチパチさせると、視界のもやも晴れてきた。


 日に焼けた畳と白い壁、朝日に照らされた無骨な本棚と大きな掛け軸。埃臭い布団の臭いが鼻を突く。


 昔の夢か……。

 起きた頭でそんなことを考える。できれば覚めてはほしくなかったのに。


 

 上下白のジャージに着替えると、急いで布団をたたみ、階下の事務所へ向かう。

 寝ぼけていてよく分からなかったが、部屋にまで朝食の良い匂いが届いていた。


 今日の朝食は何かな。

 そんな考えが頭をよぎる。気分は最悪だが空腹には勝てない。


 「おはようございます!」


 無理矢理張り上げた大声に、その場にいた全員がこちらを振り返った。全員ジャージ姿に坊主頭。まるで野球部員のようだ。俺の挨拶も野球部員のようだ。


 「おせーぞ、山本。さっさと飯食え」


 一番体格の良い坊主頭が凄みのある声で静かに言った。

 声の主は中野さんだ。顔中にある傷と鋭い眼光。「暴れ虎」の異名を持つ怖い人だ。


 「はい! すいません! ありがとうございます!」


 素早く90度までお辞儀をすると、俺は降りてきた階段の左横にある台所へそそくさと移動する。

 流しの横におにぎりが1つだけ置いてあった。これが寝坊した俺の今日の朝食だ。


 「残念だったな~、山本。お前が起きてこないからおかず全部食っちまったわ!」


 箒で床を掃きながら、林さんがニヤニヤと嫌みを言う。

 この人はいつもこうやって後輩に嫌味を言うのだ。それなのに――。


 「林ぃ。くだらねーこと言ってる暇あったらさっさと掃除しろ」


 「は、はい! すいません中野さん!」


 自分より目上の人にはすぐにペコペコする。

 でも俺は林さんが露骨に嫌な顔をするのを見逃さなかった。


 少ない朝食を手早く食べ終えると、溜まっていた食器を洗う。生ゴミからして今日の朝食は目玉焼きか卵焼きだろう。事務所の定番メニューだ。


 「……山本」


 「あ、は、はい!」


 突然背後から声をかけられた。

 驚いて振り向くと190㎝はあろうかという長身痩躯の男がこちらを見下ろしている。川島さんだ。


 「な、なんでしょう?」


 「……これ」


 川島さんの手にはバケツと雑巾が握られていた。


 「……ん」


 川島さんは半ば強引にそれらを渡すと、面長の顔をやや右に傾けた。

 視線の先にはトイレがある。

 ……要は寝坊した罰としてトイレ掃除をしろということらしい。


 「……わかりました」


 今日のトイレ掃除は川島さんが当番だ。だが、ここで文句を言っても仕方がない。


 渋々掃除用具を受け取ると、川島さんは何も言わずに窓を拭き始めた。

 俺には反論の余地もないらしい。


 洗い物を急いで終わらせトイレ掃除に向かう。

 トイレは事務所の2階と3階に1つずつある。優先順位としては2階のトイレが先だ。ここを先に済ませないと、後から来た人たちに掃除がなってないと怒られる。

 以前それで林さんが怒られて、顔が腫れるまで殴られているのを見たことがある。

 同じ轍を踏んではいけない。



 「山本、1階の掃除頼むわ」


 「はい!」


 「山本ぉ! 新聞取ってこい!」


 「はい!」


 「……これ」


 「はい!」


 「山本ぉ! 布団干しとけよな!」


 「はい!」


 「……あれ」


 「はい!」


 その後何度も繰り返される雑用の押し付けアンド押し付け。

 8時前にはあらかたすべての作業が終わったが、そのほとんどを俺1人でやった。


 朝の雑用が終われば、今度は別の作業がある。

 ……俺の嫌いな作業が。


 「山本。これ」


 「……はい」


 「またいつも通り頼むわ」


 「……はい」


 「てめえ山本! 何だその返事は! なめてんのか!?」


 「いてっ! す、すいません!」


 中野さんから渡された書類を渋々受け取ったら、後頭部を思いきり殴られた。

 林さんがここぞとばかりにお株を上げにくる。


 「すいませんってのはなめてるってことか、おぉ!?」


 「い、いえ、そんなことは……」


 「じゃあグダグダ言ってねーでさっさとやれよ、この野郎!」


 いってぇ……。 今度は横っ面を殴られた……。

 頬がジンジンと熱い。口の中が切れたのか血の味が口いっぱいに広がる。


 「林ぃ。そんなに言ってやんなよ。ちょっと寝ぼけてただけだよな山本?」


 「は、はい……」


 「じゃあ、頼むわ」


 「はい……」


 「あ?」


 「はい! やらせていただきます!」


 「うん、頼むわ」


 そう言うと中野さんは、林さんを連れてタバコを吸いに行った。川島さんはソファーに腰かけながら新聞を広げている。


 手渡されたのは詐欺サイトの製作に関する書類だ。

 どういう人たちを対象に、どういうやり方で、どういうコンセプトで騙すのか。

 ざっくりとした箇条書きの書類。これをもとに詐欺サイトを作れと言うのだ。



 ――情けない。

 悔しくて、みじめで、情けなくて仕方がない。


 何でこんなことになってしまったんだろう。

 俺はここで何をしているんだろう。


 目立つことはないけど、特に問題が起きることもない。

 これからもずっと続くと思っていた平凡な俺の人生。


 「8・9・3」の手札とは無縁のはずの人生が、今ではその手下としてアゴで使われる毎日。


 「はぁ……」


 文句を言うこともできないまま、俺は静かに作業を始めた。

次回も組事務所。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ