第二章 3-1
それから僕は津坂先生と繁桂寺で会ったことを小説に書いた。津坂先生の人となりや、先生と本木君との間にあった事件を詳細に書いたら、あっという間に三十枚を超えた。
○○社の担当編集者にそれを送ると、すぐ返事があって、基本的にこれで行きましょうとOKを貰った。
「良かったですよ、前作以上にリアリティがありますね! へっへへ……ひとつ確認しますけど、これ、実話ですか?」
編集者は電話口で媚びた笑いを一声あげてから、抜け目なく聞いてきた。
「いえ、フィクションです」
僕は嘘をついた。
「そうですか! じゃあ、プライバシー権もだいじょうぶ、と」
本木君の自殺や教師によるいじめなど、遺族や津坂先生に読まれたら訴訟でもされかねないような内容が書かれているので、確認したのだろう。僕も、これが津坂先生にでも読まれたらまずいとは思ったが、他にアイデアが無いし、背に腹は代えられなかった。しかし、作中では先生や本木君の名前はイニシャルで書いたし、僕自身、作家名にはペンネームを使っており、そのペンネームは津坂先生には明かさなかったから、まず先生が読むことはないだろうと思われた。
それから、編集者の提案で、僕は連載している小説を連作にすることにした。主人公の作家が、散歩をしている時にちょっとした事件に遭う、というのが連作の共通点で、書き出しは必ず「散歩をすると、時々、変わった出来事に遭遇する。」というものからはじめることにし、今回の作品にもそう書き加えた。連作小説全体のタイトルは、『散歩の文学』とした。作品ごとに小タイトルを付けることにし、今回のタイトルは「T先生の涙」とした。
「前回の作品ももったいないですから、連載が続いて単行本になった時にでも、タイトルと書き出しを合わせて連作の第一作としてまとめましょう」
そう編集者がポロリと言ったので、僕は少なからず興奮した。自分の小説が、本になる……。これでようやく、妻にも周囲にも、自分は作家であると堂々と言えるのではないかと思ったのである。
しばらくして僕はまた原稿料をもらった。すぐに全額を妻の口座に振り込んだ。そして、仕事から帰ってきた妻にそのことを伝えた。
妻はにっこりと笑顔を浮かべて、
「ありがとう。有紀くん、がんばってるね」
と、生活費としては少なすぎるその金に対してうれしげに言ってくれた。僕はそんな妻を見ながら、この笑顔が見たくて、自分は小説を書いているのかも知れないな、と思った。




