第二章 2-5
津坂先生が本木君の名前を出した時、僕はこの事件を瞬間的に思い出した。
「覚えてますよ。モトキっちゃんですよね」
先生はその僕の答えに対し、暗い、無表情で応じ、
「さっきのお墓な、あいつのなんさ」
呟いた。
「え?」
「三年前に自殺したんさ。いや、本当は今週の水曜日が命日だったんだけど、俺も平日は仕事だからさ、今日墓参りに来た」
「そうなんですか」
そうなんですか、としか言いようが無かった。本木君の死は初めて知った。彼とは中学までは一緒だったが、高校以降は違う学校になって会わなかったし、SNS等でも交流が無かった。誰も僕には彼の死を教えてくれなかったのである。
先生はぽつぽつと話しだした。やりきれなさそうに、また煙草を出して、火を点けながら。
津坂先生の話によると、本木君は高校を卒業すると、二浪して、あまり偏差値の高くない私立大学に入った。しかし就職活動がうまくいかずに就職浪人をし、それでも就職が決まらなかったらしく、情報処理の専門学校に入り直した。そしてその学校での三年目を迎え、再び就職活動をするべき時期になったころ、自ら首を吊って死んだのだという。先生はこのいきさつを、本木君の葬式に行った時、僕や本木君の同級生で高校まで彼と一緒だった、本木君の友人から聞いたそうだ。
そこまで話して、先生は煙草の火を消した。そうして少しの間黙っていたが、突然右手で両目を覆い、声を震わせて、
「どれだけ、あいつが死んだことに関係しているかは分からないけど」
と言い出した。
「あいつが小学校を卒業する前、歌を歌わせようとしてあいつにしてしまったことが……なんてひどいことをしちゃったんだろうと、思って」
ううう、う、と泣き出したのである。僕は何も言わなかった。先生の言うとおり、あの事件が彼の性格形成にどれだけ影を落とし、死につながったかは分からない。もしかしたら、少しくらい、自殺の遠因になっているかも知れない。しかし、だからといって泣いたところで、いったい彼は許してくれるだろうか。先生のしたことや、僕が空き教室で彼に罵声を浴びせて責めたことを。
僕は先生の涙を、自分が許されたいがために流しているだけの、偽善的なものに感じ、ひどく白けた気持ちになった。そんな僕の心うちを知らず、先生は数分間泣きつづけた。
それから先生が、僕も本木君の墓参りをしたらどうか、というので、僕は気が進まなかったが断ることもできず墓参りをした。僕は「本木家ノ墓」と彫られた灰色の墓石の前で手を合わせながら、もし本木君の霊が居たら、今さら何をしにきたのかと、僕を非難するのではないかと思った。
それで先生とは別れた。特に連絡先などは交換しなかった。先生は寺の駐車場に車を停めているそうで、良かったら送っていくけど、と言ってくれたが、僕は断った。
「今日は変なところ見せちゃって悪かったな。じゃあ、元気でな。小説がんばれよ」
そう言って駐車場の方に歩いていく先生のスーツの後姿は、僕が小学生のころ見ていたよりずっと、小さかった。




