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第二章 2-2

 津坂先生は僕たち生徒に非常に人気のある先生だった。それは彼が情熱的で人懐っこく、エネルギッシュだったからでもあるが、なにより子供が好きそうなユーモアのセンスに溢れていたからだった。


 津坂先生のおどけた性格を端的に表しているのが、僕の通う小学校に彼が来た時の、新任式での挨拶だった。


 そのスピーチで津坂先生は、型どおりの挨拶を簡単に述べた後、ひどくまじめな顔をして、


「ところで皆さん、この式の前に掃除をしたそうで」


と言い出した。


「指が汚れているでしょう。両手の人差し指と人差し指を、叩き合わせてホコリを取ってください。ほら、こんな風に」


そう言って、壇上で両手を前に出し、指と指を叩き合わせ始めたのである。座ってそれを見ていた全校生徒も、仕方なくそれを真似しはじめた。


ちちちちちちち……


 体育館に、生徒たちの指と指がこすれ合う音が響いた。


「それでは、中指も。それから、薬指、小指」


津坂先生が言って手本を示すごとに、生徒が叩き合わせる指が増えていき、体育館に響く音が大きくなる。


「最後に親指、それでは手のひら全体も……」


ぱちぱちぱちぱち……


ゲリラ豪雨が襲ったかのように、全校生徒が手を叩く音が体育館を包んだ。そこで津坂先生は自分の手を止め、


「ああ皆さん、私に盛大な拍手をありがとうございます」


と言ってうやうやしく頭を下げたのである。どっと笑い声が起こった。


 今思い出せば他愛ない話だが、子供だった僕には津坂先生のこの挨拶がひどく面白く、(なんだか面白そうな先生がやってきた)そんな風に感じたのを覚えている。


 さて、そんな津坂先生に僕は五~六年生の時に担任してもらったわけだが、先生の授業はこの新任式の挨拶の調子そのものだった。ギャグのオンパレード、下らない話に脱線してそのまま本線に戻って来ないことはしょっちゅうで、教室はいつも生徒の笑い声に満ちていた。津坂先生はあっという間に僕らクラスの生徒の心を掴んだ。


 まだ反抗期にもさしかからない、大人の言うことを絶対的に信じる傾向にある年齢の子供の学級というのは、人気のある教師が担任すると、カルト教団のように担任教師のことを盲目的に信じる集団と化すことがある。僕たちのクラスがそれだった。


 津坂先生の言動は必ずしもいつも正しくは無かったと思うし、それどころか先生はかなりクセの強い人だった。目立ちたがり屋で我が強く、自分の考えをどこまでも押し通す面があって、自分の結婚式の(先生は僕が五年生だった頃におそい結婚をした)ビデオを授業中に流すし、通学にはランドセルを使わなくてもいい、と言い出して、クラスのほとんどの生徒がランドセルでなくリュックやナップサックを背負ってくるようにしてしまった。それから、授業外の課題として、百人一首やら枕草子やら奥の細道やら、日本の古典文学や詩歌の暗記・暗唱を、それもかなりの量を僕たちに課した。日本人の常識としてこれくらい覚えておくべきだ、というのが先生の持論で、しかし朝夕のホームルームで毎日それらを暗唱する僕たちの様子は、少々異常だったろうと今になって感じる。


 また津坂先生は――こうやって洗いざらい書くと、今さら揚げ足を取っているようで先生には申し訳ないが――自分に良く懐いている女子生徒に「マー坊!」などと言いながら皆の前で抱きついたりして、これら先生の言動は、おおらかな時代だったからいいものの、今だったら教育委員会に通報されて懲戒を食らってもおかしくなかったなと思う。


 しかし、とにかく津坂先生が大好きだった僕たちは、そんな津坂先生の少々おかしいところにも疑問を感じず(あるいは疑問は感じてもそれを大きく上回る彼の魅力に、疑問に蓋をしてしまって)、先生の言うことをよく聞いていた。二年間、クラスにまとまりもあったし、生徒間のいじめも無く、卒業式では皆ばらばらになるのが悲しくて泣き、津坂先生も人目をはばからず大泣きに泣いて、僕も泣いたのを覚えている。


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