第二章 1-3
アパートに帰る前に銀行に寄った。預金残高を確認すると、三万円ちょっとしか無かった。三万円。我ながら情けなくなった。いい歳をした男の預金額とはとても思えない。とにかく、今度引き落とされるはずのスマートフォン利用料金代に一万円だけ残して、二万円引き出した。
夕方に帰ってきた妻と夕飯を二人で食べている時に、僕は妻に相談した。
「悪いんだけど、お金くれない?」
妻は何も言わずに立ち上がって、バッグを取りに行き、財布を出して一万円を僕に渡してきた。
「いや、三万円、必要なんだ」
「ふうん、何に使うの?」
妻はやんわりと言った。不思議そうな眼をしてこちらを見てくる。
「なんていうか、そう、小説の取材費」
「取材費?」
「ある人にインタビューしててさ。明日までにどうしても必要なんだ。ごめん」
「謝らなくてもいいよ。ただ、取材費なんて、これまで無かったから。なんか、有紀くんのことだから、変な人にだまされたりしてるんじゃないかと思って」
僕は内心どきりとした。
「大丈夫だよ。小説が売れたら、また原稿料は全部家計に入れるからさ」
妻は唇の端に笑みを浮かべて、「きっとだよ」と言いながら、財布からもう二枚一万円札を引き抜き、僕に渡してくれた。
翌日の昼、僕は再び喫茶店に向かった。おじさんはまたあの席に座って僕を待っていた。僕は早速茶封筒に入れた金を渡した。
「確かに」
おじさんは中身を確認すると、カラカラと笑って、
「これで次の小説も安泰やな、センセ」
「これで、小説のネタになるような体験がまたできるんですね? 絶対に」
僕は怒気さえ含めて念を押した。こうして金を渡してしまうと、妻の言った「変な人にだまされたりしてるんじゃないか」という言葉が思い出された。
「あったり前やがな、ワシ、嘘はつかへんよ」
「じゃあ、今度はどうすればいいんですか? 教えてください」
「この前は、小学校の前の通りを南へ少し、歩いたやろ? あの通りをもっと行くとな、五分~十分くらいで寺に行き当たる」
「繁桂寺、ですか?」
「そうや。今日の夕方、その繁桂寺へ入るんや。歩いて行かなあかんで」
「本当にそれだけで大丈夫なんですか」
僕は不安だった。こうして契約書も何も交わさず、金だけ先に取られて、あとは知らないふりをされることも考えられる。おじさんは僕の言葉に少し嫌そうな顔をした。
「大丈夫やって。間違いない。この前もそうだったやろ? また何か困ったら、この席におるから」
そこで態度を変えて笑顔を取り戻し、
「さあ、そうとなったら飯や飯! お兄さん、支払い頼むわ。何がいいやろ……お兄さんも頼みや。こないだ、ピザはまあまあやったで」
前回同様さんざん食べて、僕に金を支払わせるのだった。




