王妃の不在
メアリーの連れてきた先生方の多くはナイトにも教えている学識豊かな先生方です。
その他にも淑女としての教育を担当するために、アルカ付きのお話相手という名目の監視役も付くことになりました。
本来このような手配や心配りは母親役である王妃さまのお仕事のひとつです。
陛下に妻がいないというのはつまりは王宮に女主人がいないということになるので、本当なら早期に王妃さまを立后すべきだったのです。
しかし陛下が王妃はベルだけだと言い張りベルの汚名を晴らして王妃として迎えに行くと言い切ったので、この女主人の不在が長く続いていたのでした。
実は王妃の葬儀もアルカの来る寸前に済んでいて3ヶ月の服喪期間が終われば、否応なく陛下は新しいお妃さまをめとらなければならないのです。
王様は王妃を娶る代わりにナイトを正式に王太子として迎えることを主張しました。
つまり次の王妃となる女性は、自分の産んだ子供が王になることはないということを承知して嫁いでこいと言っているのです。
王妃様の汚名をそそいだ王は民衆の人気は高いのですが、保守的な貴族や神殿の評判は決してよくはありません。
王は貴族との融和の証として反対勢力の筆頭である、ウェルズ公爵家の長女ジェニーとの婚姻を決めました。
ジェニーはベルが王妃と迎えられる前までは王妃候補筆頭と噂されたいた女性で、公爵は王妃が決まってもジェニーをどこにも嫁がせなかったのです。
10年を無駄にしたとはいえこうしていよいよジェニーが順当に王妃に納まれば、いくら王太子として正式に認められてもナイトの立場は盤石とはいいがたいのです。
こんないかにも不安定な勢力バランスであるのに、ここに前の王妃の養い子を我が子同然に遇するなどということをすれば、新しい花嫁はどれほど不愉快に思われるでしょうか?
王はベル王妃を心底愛していましたから、新しい王妃となる女性の気持ちを考えてみることがないのかもしれません。
それでもメアリ―は同じ女性として、新しい王妃が温かくアルカを迎え入れるとは到底思えないのでした。
だからこそアルカを離宮に遠ざけるなり、森に帰してやる方がずっとアルカの為になるだろうと思っていたのです。
けれども守護竜までアルカを王宮で育てろというのですから、仕方がありません。
メアリーに出来ることはアルカをどこに出しても恥ずかしくない貴婦人として育てることだけです。
アルカの瑕疵はそのまま王や王太子の瑕疵となってしまうからです。
それに鉄壁の貴婦人としての佇まいを身につけることが出来なければ、アルカは社交界で八つ裂きにされることでしょう。
女官長としてメアリーは、またもや難局を乗り越えてゆかなくてはなりません。
しかもその命運を担っているのが、どこの誰ともわからない孤児の少女なのですから、メアリーの心労はつきることがありません。
アルカが目の回るような思いで次々と紹介される先生方の挨拶を受け終わったとき、女官長が言いました。
「殿下、それでは殿下のお側付きを紹介いたします。本人の部屋で待たせておりますのでご案内致します」
そうして当然のように付き従おうとする侍女たちを人払いしてしまいました。
お側付きのお部屋はアルカが与えられている王女の間の一角にあります。
高位貴族のご夫人らしく自身の侍女たちも引き連れての王宮入りでした。
「ケイ、お待たせいたしました。こちらがアルカ・エリザ・ブース公女よ。まぁベルの養い子だそうだから何とか助けてちょうだい」
「まぁ、いきなりベルの娘を助けてくれなんて王宮まで呼び出すのですもの。驚いたわよメアリー。あなたが人に助けを求めるなんてよっぽどのことよね。アルカ殿下。私はベルの親友でしたのよ。自己紹介いたしますわね。ケイ・パトリシア・ホワイト侯爵夫人と呼ばれておりますわ。夫は亡くなって息子が侯爵家を継いでいますから、気楽な未亡人ですの」
「人払いをしていますからここには私とメアリーの3人だけですわ。座って下さいな。お茶の用意も出来ていますしね」
ケイは物馴れた様子で寄る辺ない娘をテーブルにつかせると、安心させるようにアルカの手を握って頷いてみせました。
「さぁ、メアリー。先ずは状況を詳しく説明して頂戴。あなたが救難信号 を寄越すなんてきっと困った事態なんでしょう」
そうしてメアリーが事細かに今の情勢を説明したので、アルカの方が驚いてしまいました。
「ごめんなさい。私ここに来るべきではなかったんですね。このままでは新しい王妃さまにも、国王陛下にもナイトにだって迷惑をかけてしまうもの」
ところがメアリーは首を振って言ったのです。
「ところがそうとばかりは言えないのですよ。さすがにベルと言うべきか、ベルの手紙を陛下から読ませていただいたので、アルカの事は大抵承知しているつもりです。陛下としても全部承知の上であなたを守ってほしいと思われたのでしょうしね」
「単刀直入に言うとアルカ。あなたには忘却と姿隠しの魔法がかけられています。あなたが心から愛する人とキスをすればその魔法は消えるそうよ。全くベルらしいわね。こんな面倒な魔法を掛けるなんて!」
「まぁ、ロマンチックじゃない。さすがわベルだわ。ということはメアリー。アルカは相当の身分の娘ってことね。隠さなきゃいけないぐらいの」
「まぁ、そうでしょうねぇ。でなければベルが手元に置く筈ないのよ。あんな迷いの森で子供を育てるなんて! 普通の孤児なら伝手を頼って赤ん坊のうちに養女にだしていたでしょうね」
「そんな! ベル母さまは何も言っていませんでしたわ!」
アルカが驚いて否定しましたが、そんな言葉は歯牙にもかけず年配の女たちはアルカの教育方針などを細かに詰めていきました。
「アルカ、あなたのことは公式には公女。そして多くの宮廷雀たちはあなたを王の私生児だと侮っているの。だからこれから辛いことや苦しいことが起きると思うわ。いいえ、起きます。何といっても噂雀たちは自分よりも弱いと思えばむさぼりつくすハイエナみたいな人たちですからね」
「そうね。アルカ。社交界というのはいわば戦いの場なの。今の権力や地位を維持するだけでも戦わないといけないのよ。とってかわりたい人はいくらでもいるんですもの。でもここまで来てしまったらアルカに逃げ場はないわ。ベルがあなたを保護した時からそういう運命だったのでしょう」
メアリーとケイが2人揃ってそんな風に脅すものですから、アルカはすっかり縮みあがってしまいました。
そんなアルカを2人は強い視線で見つめています。
「アルカ。私たちはアルカの味方です。精一杯アルカを守ってみせるわ。ベルを守れなかった時のような後悔はしたくないの。だからアルカ。強くなれる? 弱弱しいものが生き残れる世界ではないのよ。どうしても無理なら森に逃がしてあげるわ。けれどアルカ。逃げてもいつか運命があなたに追いつくことになるわよ」
それはいかにも恐ろしい言葉でした。
アルカが迷いの森に置き去りにされたのは、きっと運命の顎からアルカを守る為だったのでしょう。
けれどこうして運命は再びアルカに光の中を歩かせようとしています。
「わかりました。メアリーさま。ケイさま。私、自分の運命を切り開いて見せますわ。そしてお母さまのかけた魔法を解いて真実の自分を見つけ出してみせます。戦わないで運命に負けるなんて嫌だわ」
そのアルカの決意を聞いて、メアリーとケイはほっと肩の力を抜きました。
実のところアルカはとても素直で優しい娘ではありましたが、いかにも儚げで戦う勇気なんてなさそうに見えたからです。
けれどもアルカは自分の為には弱弱しい娘ですが、人の為ならいくらだって戦える娘だったのです。
ベル母様、王様、竜のおじい様。ナイト、メアリー、ケイ。
アルカが大切に想っている人々が、アルカに強くなることを願うというなら、アルカはがんばるしかないと思ったのでした。
メアリーもケイもそんなアルカの気持ちなどお見通しです。
できれば自分の為に、自分の問題として受け止めて戦って欲しかったのですが、今のアルカにはそれが精一杯でしょう。
ひとまず強い気持ちで王宮で生活する覚悟が出来ただけでも、よしとしなければなりません。
その面ではナイトは立派でした。
この王宮に1歩足を踏み入れたその瞬間から、常に次代の王たらんとして振る舞っています。
足りないものばかりで辛いはずなのにそんなことはおくびにも出さずに、いかにも生まれついての王として振る舞っているのは、さすがに陛下とベルの息子だと感心させられたものでした。
その反面女性と暮らしたことがないせいか、女心のわからない面が多くて情緒面の成長が待たれるところです。
「アルカ、それではあなたの部屋に戻ります。この部屋を1歩でたら私は女官長です。今後一切この部屋での話はしませんし、あなたを表だってかばいだてすることもありません。困ったことがあったらケイに何でも相談なさい。自分で悩みを抱え込んではいけませんよ。いいですね」
アルカはこくんメアリーの目をしっかりと見て頷きました。
この扉を一歩出たら、戦いがスタートするのです。
そんなアルカの後ろからケイが如何にもお目付け役らしくつんと澄まして付き従っています。
「それでは公女殿下。明日からは申し上げたスケジュール通り先生方がみえられます。陛下への謁見は月に1度のみ。王太子殿下とのお茶会が月に1度。それ以外の外出予定は今のところございません。王妃さまが立后されましたら、王妃さまから殿下のスケジュールについてご指示があるかと存じますが、それまでは私の作成したスケジュールで動いていただきます」
「わかりましたメアリー。ご苦労様」
アルカは意識して公女らしく振る舞いましたが、内心はドキドキして心臓が口から飛び出しそうです。
それにしてもメアリーは他から見ても厳しいと思えるスケジュールを課しました。
これで少しがアルカに対する風当たりが弱まればいいのですが……。




