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ささやかな決意

「ほほぅ、アルカさま。昨日とは見違えるように意欲的になられましたなぁ。これは良い傾向ですぞ。ご褒美に伝書鳩を務めて差し上げたいのですが、お届け物はございますかな?」


 マーク博士が穏やかに促してくれたので、ようやくアルカはこっそり本の間に隠し持ってきた品物を取り出す勇気が持てました。


 マーク博士にすれば、まったくわかりやすい程そわそわしていたくせに、いざ授業も終わりとなってもなかなか言い出せない様子のアルカにとうとう助け船を出したというところです。


 本来なら自分から言い出すまで知らん顔をしてやろうかと思っていたのですが、それこそ真剣に授業を受けていましたし、そうなってみれば自分の考えをしっかりと持っていることもわかったので、今日は少しおまけというところでしょう。


「マーク博士。これは私が刺繍をしたハンカチなのです。出来れば王子殿下に使って頂きたくって……お渡し願えますか?」


 このハンカチは刺繍の授業の折に作ったものですけれども、刺繍やマナーなどはベル母さまから教えて貰っていたので、実はかなりの腕前なのでした。


 メアリーなどはまるで山だしの娘でも来たかのように思っていますけれども、基本的なことはしっかりと教えていたベルなのです。

 それがなかなか実を結ばなかったのは、ひとえにアルカの性格によるところが大きいでしょう。


 堂々としていれば簡単にできることなのに、すっかりパニックになってしまって軒並み失敗を重ねていたのですから。

 もしもベルが生きていたら、いったいどうしてそうなったのか? と、目を丸くしたに違いありません。


「畏まりました。けれどもアルカさま。お手紙はないのですか? 殿下だってお手紙をお待ちしているでしょうに」


「あの、なんとお返事を書いていいかわからなくて……きっとこの次には書いてまいりますから、今回はどうぞこれだけ渡してくださいませ」


 そう言いながらアルカは顔が赤くなってくるのを感じていました。

 でも赤面症は気にすれば気にするほど酷くなるのものですから気にしないでくださいとアンに言われていたので、アルカは意識して堂々と振る舞いました。


 そうして先ほど習った歴史上の王様の名前を呪文のように心の中で唱えていると、どうやら幾分ましになってきたようです。


 そんなアルカの様子は年配のマーク博士には好もしく映りました。

 少しばかり気弱ですがこの少女の芯の部分には、しっかりとした性根があるようです。

 これはなかなか素晴らしい貴婦人に成長しそうだ。

 殿下もうかうかしていると横からかっさらわれることだっておるかも知れませんぞ。


 マーク博士は密かに能天気なアルファナイト殿下を思い浮かべて、ほくそ笑みました。


 

 マーク博士が出ていかれるとアルカの昼食の時間になります。

 いつもは私室に食事を運んでもらうアルカですが、今日は少し様子が違いました。


「ニーナ、私はこのまま少し自習を続けるので昼食はいらないわ。その代わりお茶とフィンガーサンドウィッチをお願いします」


「アン。少し質問があるのだけれど、お昼が終わったら午後の授業の前に時間が取れるかしら?」


 これは驚くべき変化です。

 なぜならアルカはいつだって周囲に言われるままに行動していたのですから。


「アルカさま。厨房では食事の支度をしておりますのよ。急な変更は迷惑ですわ」


 ニーナが少しきつくアルカに言いましたが、アルカはのほほんと躱してしまいます。


「それを上手に伝えるのが侍女の仕事なのではなくて? こんな簡単な変更事項にすら対応できないくらい王宮侍女というのは無能なのかしら? 出来ないということならばしかたがありませんわ。私も無能な部下は必要ありませんの」


 アルカの言うのはある面では事実です。

 一流と言われるスタッフは主の意向を言われる前に忖度できるほどで、言われた時には準備が整っていたりもするものです。


 しかし王族が予定を変更させることが、多くの人々に迷惑をかけるという面があるのも事実ではあります。

 しかしアルカはあえてここは強く出ることにしたようです。


 無能と言われてニーナたちは絶句しました。

 たしかにこのくらいのこと、我儘と言うレベルですらないのですから。


「畏まりました。すぐにご用意いたします」


 ニーナが引き下がるとアンがにっこりして言いました。


「アルカさま。私も別に昼食はけっこうですから、このままお仕え致しますわ」


「いいえ、アン。私は少し自習をしたいからアンはきちんと食事はとって頂戴。教えて頂きたいのは自分の感情をコントロールする方法なのよ。コツがあるって言ってたでしょう?」


「はい。アルカさま。それでは先に食事を済ませてしまいますわ」


 

 アンが控えの間に下がるとそこでは、ニーナやジャンヌ、マリーが大騒ぎしています。


「どういうことなの。私たちを無能扱いなんて! 自分は下賤の身の上のくせに大きくでたわね」


 ジャンヌがいきり立つのをニーナは冷静に抑えました。


「いいこと。出自がどうあれあの娘が公女として私たちの主の地位についているのは事実なのよ。しかも毎日すごい勢いで変わろうと努力しているわ。少なくとも王宮侍女のプライドにかけて二度と無能呼ばわりはさせないわ。あなた達もいいわね。ここで無能のレッテルを張られたら私たちの出世の目はなくなるのよ」


 ニーナにそう言われてジャンヌもマリーも蒼白になってしまいました。

 確かに王宮侍女としてみれば、無能と言われても仕方がないような対応をしてきたことは確かです。

 感情に流されて幼い振る舞いをしてきたのは、どうやら自分達の方でした。


「なかなかやるじゃないの。いいわ。これからは本気で仕事をしてあげる。みんな。アルカなんかに負けないわよ。あの子が成長するなら私たちはもっと先を歩いていくのよ」


 いつの間にか侍女たちはアルカを一応ではあっても、主としてたてることにしたようです。

 身分やこねだけで王宮侍女になれるわけではないという、いい意味の自尊心が彼女たちを本道に立ち戻すことに成功したようです。


 それを見てアンはこっそりと安堵の息を吐きました。

 この先王妃さまが君臨することになる王宮で、アルカさまが無事に公女としての公務をこなせるようになるためには優秀な側近が必要なのですから。



 いっぽうナイトはマーク博士がいやに楽しそうな様子なのに気が付きました。


「マーク博士、いったいどうなされたのですか。どうやらかなりご機嫌な様子ですが」


「私の機嫌がよい理由はアルカ公女殿下にあるのですよ。殿下のお手紙を頂いてからアルカ公女は目に見えて成長なさいましたからね。健気なものじゃありませんか。たかが殿下の手紙ぐらいでああも発奮するなんてねぇ。乙女心ですかな」


「アルカが元気になったんならそれは嬉しいけれどね。おかしいね。そんなにたいしたことなんて書いていないのになぁ」


「あまりつれない朴念仁では恨まれまずぞ。そうそうアルカ嬢から殿下にプレゼントを与かっております。なんでもアルカ嬢は刺繍の授業で、殿下のためにハンカチに刺繍をしたようですぞ」


 アルカの刺繍は竜の文様を巧みに織り交ぜたものでした。

 ハンカチとしての機能を損なわないような小さな刺繍であるがゆえに、その難易度はかなりのものです。


「へぇー。これは見事だなぁ。アルカにこんな特技があるなんて知らなかったよ。刺繍だけなら誰にも負けないんじゃないか?」


「褒めるべきところはそこですか? 殿下。乙女が心を込めて刺繍を縫い留めたというのに、その言われようではアルカさまがお可哀そうですな」


「な、なんだよ。それじゃぁまるでアルカが僕に気があるようじゃないか!」


 そう言ったナイトは、マーク博士の訳知り顔を見て頬を染めました。


「そんなんじゃないぞ。アルカと私はいわば兄妹みたいなもんだからな。邪推してはアルカに失礼だ」


 そう言いながらもいかにも大切そうにハンカチをしまうのをみて、マーク博士は満足しました。


「どうでしょうかな。それはともかくアルカ嬢は殿下のお手紙を待ち望んでいるようですぞ。よろしければこの私目が伝書鳩になりますから、時々はお手紙を書いてさしあげてはいかがですか」


「うん。まぁ、そんなことでアルカが元気になるなら、時々なら書いてやってもいいかな。別に深い意味はないからな。勘違いするなよ。あくまでアルカの為なんだからな」


 そうやって言い募ればつのるほど、動揺がダダ漏れになっていることに気づかないナイトなのでした。


 まぁ全く恋に無頓着だったナイトが、どうやら少しばかり意識し始めたのかもしれません。

 それならけっこうなことだとマーク博士は思いました。


 だってアルカの一途な想いを見ていると、つい応援したくなるではありませんか。

 王族が恋で相手を選べるわけではないと知っていたとしても……。



 ところでその夜、随分夜が更けてきたというのに、アルカはベッドの脇の机でうんうん唸っています。

 マーク博士が言っていた手紙を書こうとするのですが、最初の一文字すら書けないのです。


「えっと。どうしよう? なんて書けばいいの?」


 うんうんと唸っていると遠慮がちに寝室の扉がノックされました。

 アルカはが返事をすると、そろそろとマリーが顔を覗かせました。


「アルカさま。まだおやすみにならないのですか? 明日も予定が詰まっておりますのに」


「まぁ、マリー。今日はあなたが宿直だったのね。ごめんなさい心配をかけたかしら。すこし考え事をしていたら眠れなくなっただけよ。だからマリーも早くおやすみなさい」


「眠れないようでしたら、入眠作用のあるハーブティーをお入れいますわ。ガウンを羽織ってお茶になさいませんか。よろしければお話をお聞きしますよ」


「ありがとうマリー。そうさせてもらうわ」


 マリーはアルカにガウンを着せてやりながらいまさらのようにアルカの肩が華奢なのに気が付きました。

 マリーは17歳ですがアルカはまだ14歳です。

 自分が14歳のころは、まだまだ両親の庇護の元ぬくぬくと過ごしていたなぁ。


 そう思うとマリーは自分がアルカを馬鹿にして冷たい態度をとってきたことが恥ずかしくなりました。

 この少女を守ってやれるのはアルカ付きとなった侍女である自分達しかいないのに、アルカは王宮にきて味方もなく心細くておどおどしていたのでしょう。


「さぁ、アルカさま。ゆっくりお飲みになってくださいね」


「マリーも一緒に座ってくれる?」


 不安そうに見上げるアルカの瞳はとても澄んで真っすぐなものでした。

 そうか。

 この少女はこんな目をしていたのか。


 マリーは少しづつこの少女のことを知っていこうと決意しました。


「ありがとうございます。このミーシャティは甘味をいれなくても、ほんのりと甘さが感じられるので私の好物なのですよ。甘味をとると太ってしまいますからね」


「あら。マリーはとてもスタイルがいいのに、そんなことを気にしているの?」


「だって私の母親がかなりふくよかな人なのですもの。私も太りやすい性質かも知れませんでしょう。このスタイルをキープするのはこれでけっこう大変なんですよ。アルカさまは王宮にきてから随分お痩せになりましたね」


 そうなんです。

 王宮に入ってひと月しかたたないというのに、少女の身体はげっそりとやつれていました。

 

 私はこんなことにも気が付かなかったのか。

 確かに無能と言われても仕方がなかった。

 マリーは自分が情けなくて唇をかみしめていましたが、アルカは人が側にいることが心地よいらしくふんわりと笑顔を見せていました。


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