決心 旅の死おり
別に「自殺はいいよ」と言っているのではありません
よし、死のう。
そう思ったのは、その日の授業の一発目。
シャーペン片手に居眠り中のバカを視界に入れた時だった。
口に出していたら、新任の先生を含む教室の全員が僕を凝視したことだろう。
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生きていればいいことだってあるさ。
死んだら何も残らない。
人は皆何時か死ぬもの、焦る必要なんてない。
どうせ何時か死ぬんだし、別に今すぐに死んだってかわりゃしない。
生きていられる時まで精一杯生きよう?
精一杯生きたって、死ぬときゃあっさり死ぬもんだ。
志半ばで悔やみながら死ぬよりか、踏ん切り付けてさっさと死んだ方が賢くないか?
身も蓋もない。平行線だ、自分でもそう思った。
だが、僕にはもう迷いは無かった。
まず、いつ死ぬのか。
これは直ぐに決まった。
高2の夏休み、死のう。
多分、僕が輝ける最後の時だろうから。
日付は8月の15日にしよう。そんな歌もあったし、丁度曾祖父の命日だ。
別に運動部に所属しているわけではない。
パソコンをいじる程度の、同好会の様な文化部に所属している。
無論、長期休暇も部活に殆ど行く日は無い。
思い立ったが吉日、とは言うが、その日は高2の4月中頃である。
時間が、ない。
家に帰ってカレンダーを確認した。
死ぬべき日まであと114日。
計画を、立てなければ。
まず、死ぬまでにやっておきたいことを書き出した。
・実況プレイ動画の作成
・腹違いの妹がいることを親友に話す
・ネットカフェでオンラインゲーム(SPF)をする
・作っていないプラモデルの消化
・遺書っぽいものを書く
・父親と話をする
・一人でカラオケボックスに行く
・PCの中の、見られたらヤバいものを始末する
こんなところか。
それにしても、
「う~ん、パッとしねぇな」
完全にオタクのそれである。
それからの僕は実によく生きた。
したいことを書き出し、絞ったからだ。
だが、一番は、自分の命に明確な期限を設けたことだろう。
僕はいつも、追い込まれないと本気が出せない。
死ぬ日を自分で決める。
それは僕にとって、究極の最終手段だった。
勉強は相変わらずだったが、自殺を悟られないように、
いつものように、楽しげに学校生活を消費していった。
その裏で何をどの順番で何日にするのか、細かなスケジュールを創った。
言わば、「旅の死おり」だ。
これを作っている時が、人生で一番楽しかった。
そして死を決心した日から何日も経った、台風が僕の住んでいる地域を逸れ、そのまま北上していった日本晴れのある日。
「できた」
死おりが完成したのは、期末テストの直前。夏休みの2週間ほど前だった。