冬至祭小咄
『移動国境』番外、お遊びクリスマスネタ小咄2本立て。
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【和平締結一年目】
隣国の王からの招待状を、こともあろうに一介の連隊長風情が、ぐしゃりと握りつぶした。
最高級の羊皮紙をゴミに変えた右手をわななかせ、無礼な軍人ことレヴァン=ナハトは、自国の王に向かって更に不敬な台詞を吐いた。
「断ります」
「もうすこし婉曲にものを言うことができんのか、おまえは」
ごく最近即位した若きリーディア国王、リアンが呆れ顔をした。
「そんなだから辺境に飛ばされたのだというのに」
「おおいに結構です。今度は西の辺境に飛ばして下さい。なんなら離島でも」
言いながらナハトは紙屑を王の机に叩きつける。彼は汚いものを見るようにそれを一瞥し、「あれよりはその方がましです」と唸った。
「しかしな、ヘイワーズ王は私の名代としておまえを指名しているんだぞ」
「それが宴席で主催者の首をへし折ったら困るでしょうが」
「その方が面倒がなくて良いかも知れん」
しれっと王にいなされ、ナハトは眉間の皺をいっそう険しくした。
王のかたわらに控える端正な顔立ちの秘書官が、琥珀色の目をちらと天に向ける。元マハ軍人の秘書官としては、そうですね、とはさすがに言いかねるらしい。穏やかな声で、ナハトをなだめようと口を挟んだ。
「ナハト連隊長、お願いします。貴方に対する限り、ヘイワーズ王には何の悪気も策略もないと確信が持てるんです。どうか堪えて頂けませんか。リアン様がこの真冬にマハを訪ねたりすれば、また玉座が空になってしまいます」
引き合いに出された国王が、顔をしかめた。彼は病弱ゆえに静養のため都を離れていて、一族皆殺しの運命から逃れられたのだ。今はそうそう寝込むことはないが、それでも健康面に不安はある。
ナハトが主君の身体を案じて顔を曇らせると、リアンは同情を厭って咳払いをし、必要以上に強引な口調で言った。
「言っておくが、私は頼んではいないぞ、ナハト。これは命令だ。わが国の安寧のため、マハ王宮での冬の宴に出席しろ」
そこで彼は、効果を狙ってか、あるいはうっかり漏れた本心か、ため息をついた。
「――さもなくば、先方がこちらに出向くというのでな」
「ッッ!!」
これにはナハトも返す言葉がなかった。絶句し、一瞬で凍りつく。
そのまま春まで固まっていたい気分ではあったが、あいにくと彼は、この王宮が氷像の林立する雪原と化しても構うものか、とは開き直れない程度には、愛国心があったので……
「謹んで拝命つかまつります」
真夜中の雪嵐を思わせる声でそう答えると、よろめきながら王の前を辞したのだった。
骨は拾ってやるから潔く散って来い、とは王の言。
ちなみにナハトの辺境以来の部下達は、上官の顔色を無視して羨ましがった挙句に土産をせびり、真冬の内陸部に強制連行されたとか……。
【その翌年】
今年の冬至祭は平穏だった。
大の苦手である舞踏会は、姪っ子を盾代わりに引っ張り出して切り抜けた。
隣国からの招待状も届かず、おかげで真冬の内陸部へ出向いた挙句に寒い小咄で凍りつかされることもなく、こうして我が家の炉辺で寛いでいられる。
ナハトはふうと深く息をつき、暖炉の前で温かいワインのマグカップを傾けた。シナモンやクローブの甘い香りが心身を緩ませる。
部屋は静かだった。
館の主が無骨で非社交的なため来客もなく、召使達は特別に彼らだけの宴会を許されて、遠く離れた棟の隅でどんちゃん騒ぎをしている。ここまでは、その喧騒は届かない。
ナハトは窓の外を見やった。降りしきる雪のせいで一日通して薄暗かったが、どのみちそろそろ日暮れだ。カップを置いて立ち上がり、雨戸を閉める。
出かかった欠伸を噛み殺し、今日は疲れたしそろそろ休むか、と、自室へ続く階段を見上げた時だった。
ガタゴト、ドスン!
微かながらも確かな異音。彼は椅子に立てかけてあった剣を取り、燭台を手に、用心深く階段をのぼった。聞き耳を立て、気配を探りながら、足音を忍ばせて進む。
誰かが歩き回るような物音が、途切れがちに続いていた。
(盗人か)
今の時期、裕福な貴族・商人の館は盗人に狙われやすい。
客が広間に集まって、主も召使もその応対に追われている隙に、離れた場所に忍び込んで銀器や客の荷物やあれこれを失敬するわけだ。
しかし、ナハトが客嫌いだというのは有名だし、館にもほとんど明かりが灯っていないのだから、盗人の目にも分かりそうなものなのだが。
果たして、物音はナハトの自室から聞こえていた。廊下には足跡も汚れもなく、他所から忍び込んだわけではなさそうだ。いったいどこから、とナハトは顔をしかめた。唯一の侵入経路は煙突ぐらいだが、この雪の日に屋根に上るなど酔狂を通り越して危険極まる愚行であり……
「…………」
そこまで考えた時、ナハトの脳裏にある不吉な顔が閃いた。
いる。
そういう愚行を、敢えてしそうな奴が、知り合いにひとり。
が、しかし、
(いくらなんでもまさかそんなはずは……!)
警戒もためらいも振り捨てて、ナハトは自室の扉を叩きつけるように開けた。
バァン、と大きな音が館に響く。
そして。
「っ、貴様かぁぁ!!」
主の絶叫がそれに続いた。
抜き放たれた刃が蝋燭の炎を映してきらめく。だが盗人ならば怯むところを、この侵入者はけろりとして「ああ見付かっちゃった」などとのたもうた。
その喉元に剣の切っ先を突きつけ、ナハトは小刻みに震えながら笑いをこぼした。
「ふ……ふふふふ、今なら貴様を殺しても言い訳は立つな」
「今さっき思い切り『貴様か』って叫んだんだから、無理だと思いますけど。相手が誰だか認めたってことでしょう」
ちょい、と手袋をはめた手で剣を押しのけ、相変わらず侵入者は平然としている。ナハトは剣を取り落とし、がっくりと床に両手をついた。その背中をぽんぽんと叩く無神経な手。
「見付かっちゃったのは残念だけど、ナハト殿にお会いできたんだから、まあいいや。お元気そうで何よりです」
「つい今しがたまでは、元気だったがな……」
手を振り払ってよろよろと立ち上がり、ナハトは後ずさって距離を取った。
「いったいなぜ貴様がここにいる。いや、理由などいい、聞きたくない。珍妙なその真っ赤な服も、不吉に膨らんだその袋も、どうやってこの部屋に入り込んだのかも、何も聞きたくない。言うな。黙って出て行け、今すぐ!」
「仮にも隣国の王様をこの雪の中に追い出すなんて、まずいんじゃありませんか」
「そもそも国王はこんな雪の中、屋根に登って煙突から家宅侵入するなどという真似はせん! 帰れッッ!!」
「やぁ、すごいですねぇ、どうやって入ってきたのかバレちゃいましたか」
「ほかに方法はなかろうが!」
「そうなんですよ。言い伝えにも一理あるものですよねぇ。この格好ね、さる遠国の行事にちなんだものなんですけどね。冬至だったかその辺りの日に、こういう真っ赤な服を着たおじいさんが夜中に煙突から入ってきて、子供にプレゼントを置いて行ってくれるんだそうですよ」
「……うちの館に子供はおらん。残念だったな。どこの国の話だそれは」
ナハトはむっつりしたまま、それでもうっかり話題に乗ってしまった。怪しい侵入者にして隣国の国王ヘイワーズは、真顔で小首を傾げる。
「さあ、私も又聞きですから。あ、でもね、プレゼントをもらえるのは良い子だけで、悪い子は鉈で首を切られるとか」
「それは絶対に何か別の話と混ざってるぞ。冬至の夜に人殺しが侵入するのでは、家に煙突をつけられんではないか」
「そうなんですよねぇ。あぁでもナハト殿は首を切られる心配はないでしょ。いい人ですからね。だから私もプレゼントを持ってきたんですよ。懐かしいでしょう、ほら。あの国境の村のマージさんが焼いたケーキ」
「む……」
袋からごそごそと取り出された包みに、ナハトは思わず素直に手を出してしまい、そこに重みを感じてから我に返って慌てた。が、受け取ってしまったものを突っ返すのは流石に、礼儀にもとる。相手がいかに礼儀を無視していようとも、だ。その辺の杓子定規さでナハトは随分と損をしているのだが、この歳になっては今更変えられない。
複雑な顔で唸りながら立ち尽くすことしばし。
結局、彼はため息をついて諦めた。
「……まあ、なんだ。折角だから、茶を淹れよう。広間の方は暖炉に火が入っているからな」
やれやれと肩を落とし、ぞんざいにヘイワーズを手招きする。わぁい、とヘイワーズが両手を上げて万歳した。
「ナハト殿とお茶にするのも久しぶりですねぇ。皆も喜びますよ」
「……なに?」
部屋を先に出かけていたナハトが、ぴたりと立ち止まる。その後ろで、ヘイワーズは暖炉から煙突を覗き込んで、上に向かって叫んだ。
「任務成功! 皆でお茶にしようってさ!」
直後、何やらちょっと頭のネジが飛んだような歓喜の雄叫びが届いた。ナハトは眩暈に襲われ、ぐらりとよろめく。が、そこは流石に歴戦の軍人、一瞬で気を取り直して制止した。
「待て! そこから入るな!!……玄関を開けるから、表に回ってくれ」
頼むから。
もはや哀れを催す風情である。ナハトは落としたままだった剣を拾い、疲れた足取りで玄関に向かった。諸悪の根源はうきうきと楽しげに後からやって来て、広間のテーブルに持参した袋の中身をいそいそと広げだす。
ナハトは横目でそれを見て、どうせろくなものではあるまいとげんなりしつつ、玄関の重い扉を開けた。
そして、そのまま氷像になってしまいたくなった。
鼻と頬を真っ赤して、無邪気ににこにこ待ち構えていたのは、見覚えのある顔ぶれ数十人。揃いも揃って赤い服を着込み、まちまちな大きさの袋や包みを抱えている。マハ人のみならず、自分の元部下までいるのは、もはや言うべき言葉も見付からない。
「お邪魔します、隊長! じゃなかった、軍団長!」
先頭にいた元部下が言い、それを合図にどやどやと赤い服の怪人たちが館に上がりこむ。ナハトが召使たちの棟をちらと見やると、ヘイワーズが目敏く気付いて笑った。
「家の人たちは宴会の最中みたいですからね、我々は我々でやりましょう。入用なものは持ってきたんです」
ほらほら、と手招きされて広間に戻ると、テーブルにはワインやチーズ、ローストビーフにパンやケーキまでが並び、兵営で使っていたような丈夫で軽い食器も用意されていた。
完全に呆れてしまったナハトの前で、部下達は以前のように手際よく動き、ささやかな宴会の支度をする。燭台に火が灯され、暖炉の火に薪がくべられて。
「ナハト殿のことだから、折角の冬至祭なのに館で一人侘しく過ごしてるんだろうと思ったんですよ」
ヘイワーズが失敬にも笑ったが、事実なのでナハトは渋面のまま黙殺した。その背中をヘイワーズがぽんと叩き、席へと促す。
「でもこういう宴会なら、ナハト殿も楽しめるんじゃないかなと思って。相談したら、皆快く乗ってきてくれましたよ」
ね、と共犯者達を見回すヘイワーズ。ある者はそらとぼけ、ある者はにやにや笑った。ナハトはしかめっ面で一人一人を睨みつけ、それから、やれやれと自分の席のカップを取った。
「寒い中、よく来てくれた。久しぶりに宴を楽しむとしよう。ただし」
と、彼はそこで一呼吸置き、じろりとヘイワーズに厳しいまなざしをくれた。
「小咄は無しだ」
「ええー!?」
途端に巻き起こる非難の嵐。すっかり毒されおって、とナハトは苦虫を噛み潰しつつ、手振りで皆を鎮めた。
「こいつの小咄が始まったら、俺は酔い潰れるしかなくなる。その前に、この一年、皆がどうしていたかを聞きたいからな。何しろ、俺の知らんところでおまえたち、勝手に結託していたようだから」
ちくりと皮肉られ、元部下たちが首を竦める。ナハトの横でヘイワーズが笑った。
「なあんだ、ナハト殿、仲間外れにされたのが悔しいんですね。寂しがり屋さんだなぁ」
ゴスッッ!!!
隣国の王をテーブルにめり込ませておいて、ナハトは何食わぬ顔でカップを挙げる。乾杯の声と、愉しげな笑いが上がり、広間に食器の触れ合う音や朗らかな話し声がわっと溢れた。
「……乾杯」
あいた、と頭をさすりながらヘイワーズがカップを持ち上げる。無愛想にごつんとカップをぶつけた隣席の軍団長に、ヘイワーズはくすくす笑い、何か言おうとして、やめた。顔が赤いですよ、などと指摘したら、今度は頭からワインを注がれかねない。それは勿体ない。
だからヘイワーズは代わりに言った。
「来年はこの館に子供がいるといいんですけどねぇ」
「来年も来る気か!?」
「だって、ナハト殿に来て貰うわけにはいかないでしょう」
「……去年、強制的に招待したのはどこのどいつだ」
ナハトは唸ったが、内心、去年は己の『嫌で嫌でたまらん』心情をこの無神経な干草頭に感知されたのだろうかと、驚きと共に反省した。
――だがしかし。
「いや、ナハト殿にこの赤い服は似合わなさそうですから」
「…………」
むろん、敵はそんな繊細な神経の持ち主ではなかったのである。
ナハトはうんざりと明後日の方を見やり、隣の干草頭にぶっかけてしまわないよう、ワインを一息で飲み干したのだった。
(終)