第八話 梅香祭(文化祭)
今年、創立九十周年を迎える、室山県立敷島女子高等学校。ここにも、普通の高校と同様に、文化祭がある。現在の敷島二丁目は、以前、敷島市大字梅香と呼ばれていた関係上、その伝統を受け継いで「梅香祭」(ばいこうさい)と呼び習わされている。
部活動やクラスの模擬店が展開されている校庭には、テントが設営されていて、さまざまな催しが行われている。鉄道員である霜田兄弟は、土日という関係上、駅係員として、参加どころではなかったし、タクシー業の霜田家も、目下忙しくて来られなかったが、家庭科部メンバーの親御さんは来ている。
高槻沙織の父、服部美月の父、立花梨音の父、水谷啓子の父が来ていて、公共放送ラジオ担当の柏原桃花の家からは、代わりに母が来ていた。どれどれ、といった案配だ。
「立花さん、あれ、娘さんでは?」
「本当ですね、梨音だ。……何々? クイズ『乳酸ショック』ですと?」
「クイズに答えて、不正解ならば、乳酸飲料をジョッキに入れて、飲み干すそうです」
「あ、あのバカ……!」
『二年三組、立花梨音ちゃんです! どうぞー!』
「いやあ、どうもどうも~」
『早速ですが、問題です。大化の改新が行われたのは、西暦何年でしょう、はい、十秒以内にお答えください。十、九、八……』
「はい! はいはいはい!」
『おおっ、早いですねえ、さて、お答えをどうぞ!』
「鳴くよウグイス……七九四年!」
ブブー!
「な、なんだ、外れちった……」
『残念! っていうか、当たりもかすりもしませんでしたね。正解は、西暦六九五年でしたー。歴史をもっと勉強しましょう。では、罰ゲームとして、ジョッキに並々と注がれた、乳酸飲料を飲み干してもらいます。さあ、どうぞ!』
「せーの、立花さんのいいとこ、見てみたいー! そーれ、一気、一気、一気、一気……」
「ぶっ、ぶふうううー!」
「きゃあ」
『おっと、早くも吹きだしたー、大丈夫か立花さん! 最後まで責任持って飲み干していただきましょうー!』
「げはっ、ごえっ、わ、わたし、もう無理……」
その一部始終を見ていた、父、立花功武は絶句した。すでに怒りを通り越して、呆れていた。ぽかーんと口を開けて……。
「ほら、立花さん、女の子だけだと、遠慮がなくなるんですよ、気にしないで」
「そうそう、元気があっていいじゃないですか」
「チャレンジ精神旺盛な娘さんで……ぷふっ」
「お、オレ、育て方間違えたか……な……」
「さあ、立花さん、気を取り直して、家庭科部の模擬店行きましょう、ね」
「た、たぶん、育て方……間違えた……」
「見なかったことにしようか、立花さん……」
次に一同が向かったのが、文化祭には欠かせない、食品系の模擬店。中でも、代々受け継がれて来たのが、敷女名物、ダシが自慢の「梅の香うどん」だった。重要なミッション、梅の香うどんを任されているのは、服部美月とその先輩後輩たちだった。とても緊張している様子で、先輩たちに尋ねているのだった。
「ば、梅肉の分量、間違いないですよね、ね、ね?」
「うん、もう少し薄い方がいいんじゃないかしら。ダシを足してみて」
「は、はい、わかりました、先輩!」
「服部先輩、何か緊張されてませんか?」
「ぶるるるる、何でもないの、何でもないったら……ただ、伝統の味を守るプレッシャーがあってね、それで……」
様子を見て、たまらずに、服部征志が声をかけた。
「おーい、美月ぃー、来てやったぞー! 僕らにも一杯食わしてくれや」
「は、はい、わかりましたですとも、お、お父さま……」
「なんだ、えらく緊張しているな」
「敷女九十年の伝統を守るプレッシャーに押しつぶされそうで……」
「そんな昔からあるのか、梅の香うどんって……」
「うん、戦前から……」
「高槻です、僕も一杯もらおうかな」
「うちとは違って、立派な娘さんだ……」
「立花さんも、ぼおっとしてないで、一杯いかが?」
「はい、頂戴します」
「美月ちゃん、私にも一杯いただけるかしら」
「はい、お待ち下さーい」
「おお、来た来た」
「どうぞ、熱くなっていますので、やけどに注意してくださいね」
梅の香うどんは、薄い梅肉風味のダシ汁に、シーズン時に摘み取った、梅の花びらの塩漬けがトッピングされていて、どちらかと言えば関西風味だった。
「おお、美月ちゃん、グッジョブだ!」
「美味しい!」
「いい仕事してるなー」
「ありがとうございます! 苦労した甲斐がありました!」
「良かったですね、先輩」
「あの、皆さん、スイーツも、服飾雑貨もありますので、ぜひそちらもご覧くださいね!」
「おお、任しておけ、美月ちゃん!」
「そ……育ちがうちのとは全然違う……」
◇ ◇ ◇
さて、お次は、柏原桃花&立花梨音プロデュースのたこ焼き模擬店「桃源郷」だ。今は、立花梨音が「乳酸ショック」クイズの後で、テント内の椅子でへたりこんでいるので、桃花が先頭に立って売っている。三年生の先輩も一緒にちくちくとたこ焼きを作っている。そこへ、先程の父兄一同がやって来て、声をかけた。先ずは立花功武から……。
「こら梨音! 少しは真面目に商売しないか!」
「お、親父ぃ……今はもうダメ……ビフィズス菌のゲップが出るう……げぼっ」
「は~あ、情けない……ごめんね、桃花ちゃんたち」
「いいえ、私たちは、大丈夫ですから……」
「小粒でも、ぴりりと美味しいですよー」
一部始終を見ていた、柏原桃花の母がつぶやいた。
「ねえ、桃花。私とお父さんのぶん、包んでくれないかしら……局に持っていくから」
「えー、恥ずかしい~」
「日頃からあんなにたこ焼き作ってるじゃない、心配いらないわ」
「じゃあ、二箱だけよー」
「いいわ、頂戴」
それを見ていた親父共も欲しくなって、その場で食べるのだった。
「うん、カリッとして、ふわっとして、丁度いい」
「霜田君たちにも買って帰ろうか」
そして、高槻沙織と後輩たちのブース「モンスター・クッキー・マシーン」というコーナーにたどりついた。一種の自動販売機で、500円玉を入れて、スロットマシンのように、モンスターの右手を下に降ろすと、「ウオー、クッキー!」といった具合に音が鳴り、袋に入ったクッキーが、本体上半身の下にある取り出し口から、ポロポロと出てくるのだった。おかげでお子様連れのお客が多く、物珍しさから行列が出来ている。
「沙織、沙織はどこだー?」
「ウオー、クッキー!」
見ると、モンスター・クッキー・マシンの裏側で、ボイスチェンジャーを使ってしゃべっていて、500円硬貨投入を見計らって、クッキーを手動で排出していたのだった。その役を、後輩に譲ると、折りたたみ会議テーブルの向こう側から、ひょっこり沙織が出て来た。
「ウオー、クッキー!」
「沙織、もうそれはいいから、素に戻りなさい」
「いやあ、皆さん、どうもどうも、いらっしゃいませー」
「あの声、沙織ちゃんだったの?」
「ウオー、クッキー! ……この声に、ボイスチェンジャーを使ったの」
「よく喉が枯れないよな」
「ええ、実は、喉がガビガビですー けほんこほん」
柏原桃花の母親が、こう言った。
「じゃあ、私たちのぶんと、うちのお父さん、それに霜田さんたちに渡すので、準備お願いね」
「ウオー、クッキー!」
「いや、その効果音は、もう無しでいいから……」
◇ ◇ ◇
「お待たせしましたー」
「どうもありがとう」
「ところで、水谷さんは?」
「あー、あの子はいま、あのへんで綿飴屋さんやってまーす」
「じゃあ、水谷さん、行きましょう?」
「あ、ああ、そうしましょうか」
「じゃあね、高槻さん」
「がんばれよー」
校庭を横切って、グラウンド隅の鉄棒の近所に行く父兄一同。その近辺は、疲れて休んでいる生徒のたまり場になっていた。水谷啓子は、いささか暇を持てあましていた。
「綿飴ですよー、おいしいよー……だめだ、全然売れない……」
「啓子! こんなところで、綿飴かい?」
「お、お父さんたち……」
「どうだ、売れてるかー?」
「見ての通り、全然売れないよ……」
「これはねえ、こうやって、商品見本を左右、三つづつぐらいに吊り下げて……」
「値段は、もう少し落とした方がいいな。百円ワンコインってやつだ」
「そして、このメガホンで、お客さんに訴求する! これで完璧。あ、喉をつぶさないようにね、注意して……」
「で、元気よく『綿飴いかがっすかー?』……これでOKだ。やってみ?」
「わ……『綿飴いかがですかー?』……『美味しい綿飴、くせになっちゃう綿飴!』」
「そうだ、その調子だ!」
「じゃあ、値段も下がったことだし、おじさんたちに一個くれるかー?」
「はいっ!」
水谷啓子は、機械の中央にザラメ砂糖を入れると、機械が暖まるのを待った。やがて、ふよふよと、綿飴らしきものが立ちのぼって来たので、それを割り箸ですくい取り、きれいに丸めて行く。
知らぬ間に、百円とあって、いつの間にか、近所の子ども達が群がってきて、綿飴の順番を待つのだった。
「ほらね、小学生は、百円玉が限界なんだよ」
「なるほど……ありがとうございました!」
「じゃあ、頑張って!」
「はいっ!」
「お姉さん、僕もー」
「お姉さん、わたしもー」
「はいはい、良い子は順番に並んでねー」
◇ ◇ ◇
夕方……一般公開も済んで、撤収の準備にとりかかった。後夜祭では、キャンプファイアーが催されていた。
「やー、今年も済んだかー、なあ、服部!」
「そうですね、先輩! 梅の香うどんの味、伝授致しました」
「それは良かった……わたしら、最後だもんね……」
「こんばんは、サオリ……ですぅ……スッカリ、声が、枯れて……」
「お前は『クッキー!』言い過ぎだよー」
「あ、だっるうー、しんどーい。美月、なんか元気の出るものない?」
「あいにく、ここにはない。つーか、お前は、乳酸ショックだけだったろ?」
「てへへ……その分、桃花がたこ焼きの腕を上げたぞ」
「あっつい……のど渇いた……のぼせています。沙織ちゃん、お水ない?」
「はい、お水! 桃花はずっと鉄板の前だったからね」
「先輩、水谷です……わたあめいかがですかー?」
「おおっ、啓子ちゃん、ありがとう!」
「みんなで食べよう」
「じゃあ、わたしはこれぐらい頂戴してー」
「もうっ、ダメです! 乳酸ショックだけの人は謹んでください」
「しょぼーん……」
「はい、先輩!」
「おお、悪いなあ、こんなにもらっていいのか? 一年の、水谷さんだったっけ」
「はいっ、なんというか、記念に……」
「ははっ、記念ね」
「で、これが沙織さん、これが美月さん、これが桃花さん、で、乳酸ショックだけの人は、これだけ」
「こ、こんなにちょびっと? ひとつまみも無いよ?」
そんな笑いに包まれながら、今年の文化祭は、幕を閉じるのでありました。