第四話 中間テストがやって来る!
春名台団地の一部屋。土曜日の午後二時、立花梨音が、柏原桃花の家を訪ねた。団地と言っても新しく、3LDKの広いお部屋だった。そこでしばらくは、おとなしく現代文の教科書を広げて、柏原桃花から指導を受けていたの……だが?
「……い、いかん、糖分不足で、全然考えがまとまらん!」
「え?」
「じゃあ、桃花、今からおやつの時間にしようか?」
「……そうしましょう。それが終わったら、数学にしましょう。その前に、掃除機を」
「あ、そうだった! 忘れるところだったー」
辺りは、主に立花梨音が吹き飛ばしたと見られる消しゴムのカスで一杯だった。
「で、今日のおやつは?」
「沙織んちの、スイートポテトでーす!」
「うわー、美味しそう!」
「じゃあ桃花、お茶入れてきてー。あ、掃除機どこー?」
梨音は、現代文の宿題を書き終えると、ウオークインクローゼットの中から掃除機を取り出し、カーペットを掃除するのだった。一方、桃花は台所から、電気ケトルとティーバッグ、お皿やフォークなどを用意して、こちらの部屋へ持ってくるのだった。
「梨音ちゃんちで揃えたんだよね、掃除機とか、電気ケトルとか、この家の電化製品のほとんどを……」
「お、お客様は神様でございます、桃花さまー」
「えっへん!」
「六〇ヘルツの電子レンジとか、いろいろ揃えてもらいまして、恐縮です桃花さまー」
「お茶ですよー」
「サンキュー!」
さつまいもをくりぬいて作られたスイートポテト。女性に生まれて来たなら「芋・たこ・なんきん」の三大好物は外せない。このふたりは、まだまだ「色気より食い気」の方が勝っていた。
「でさー、今回芋だろう? でさ、わたしが、たこ焼き器持って来たから、たこを制覇するだろう? で、次はあんたが、わたしに、かぼちゃの含め煮を食べさせる。これで、芋・たこ・なんきんコンプリート計画は完璧だね」
「いい計画ですね、梨音ちゃん」
「えっへん!」
「でさー、まさか、その、ナサパニックのたこ焼き器、売りつけるんじゃないんでしょうねー」
「ええー、まさかのまさか、今回はわたしのサービスつーことで、無料でーす」
「良かった、また何か売りつけられるんじゃないかって、ヒヤヒヤしてたの」
「そこまで商売汚くないよ、だって、お得意様だしー」
「じゃあ、芋・たこ・なんきんコンプリート計画って、いい計画ね」
「だろう? 桃花もそう思うだろう?」
「でも……」
「なんだよ」
「五月って、中間考査があるんだよねー。中間テスト」
「……ちゅ、中間テストー!」
「そう、あ、梨音ちゃんは見てなかったんだ、はい、プリント」
「本当だ! やっべえ……」
「……準備、してないんだ、やっぱり」
一方、服部宝珠庵の美月も、プリントが配られていたことを思い出していた。家の自室に入ると、革鞄の中から「中間考査実施について」のプリントを引っ張り出した。しげしげとプリントを見つめ、プリントを持ったまま、店のカウンターへ入って行くのだった。
「お母さん、これ……」
「んまあ、中間テスト? あなた、二年生になってから初めてじゃない?」
「うん。敷女の中間テストって、あなどれないんだよね」
「難しいの?」
「うん、結構ビシバシ来るね」
「……あなた、お店はいいから勉強なさい。さあ、ここはいいから!」
「はあい」
美月は、自室の机に戻り、現代文、数Ⅱ、物理、英語Ⅱなどなどの教科書とノートを取り出した。「ふう」と、溜息をつき、「さてと、どうすっかなあ……」とつぶやいた後、携帯電話を取り出すのだった。
「まずは、一番勉強してなさそうな、梨音にかけてみるか」
『はい、立花ですが……って、美月ぃ?』
「正解。お前、中間テストあるの知ってるかー?」
『えっへん。いま、わたしたちは、桃花の部屋で勉強合宿中なのであったー』
「……それで、はかどってんのか?」
『もちろんであります。理系はわたしで、桃花が文系』
「そ、そうなのか……随分仲良く助け合っているんだなあ……梨音が、勉強だなんて、天災地変の前触れかもな」
『な、なにをおっしゃいますか美月さん。わたしらだって勉強してますよー。いま、桃花の部屋でー』
「ま、マジメだなあ……お前ら、変なもの食べたか? 何か食あたりでも……」
『やだなあ、沙織んちのスイートポテト食べてただけだよー』
「……や、やっぱり」
『なあに?』
「……やっぱり変なもの食べて、アタマがおかしくなったのか……あ、それはそうと、ちゃんと、おカネ払ったんだろうな! まさか、ネコババ?」
『失礼な。わたしらで分け合って、おカネ出しましたよ、美月さん!』
「ちきしょ、うらやましい……さつま芋か……」
『ところで、お二人で、霜田さんたちと、デートしてる場合じゃありませんよ、美月さんったら』
「デートじゃない……って、そ、その話、だ、誰から聞いた?」
『沙織のお母さんからー』
「あ、あのおしゃべり親子……」
『美月さんも、隅に置けないねえ、ぷふっ!』
「わ、笑うなー。わたしは、翔さんにセクハラされただけだ! 全然楽しくなかった!」 『まあ、詳しい話は置いといて、ウチ来る?』
「ったく、春名坂小学校までバスで何分かかると思ってる! わたしは、沙織を呼ぶ!」 『おおー、やっと勉強する気になったか商売人!』
「元祖商売人の、お前に言われたくないよ……じゃあ、勉強、がんばれよ! じゃあな」
『はーい、んじゃねー』
(……く、くそっ、全部見透かされた……沙織はどこじゃああ!)
いそいそと、美月は沙織に電話をかけた。
「あ、もしもし、沙織?」
『はーい、いま、お店のお手伝い中……』
「って、そんなこと、やってる場合かあああー!」
『うわぁ……何だか知らないけど、急に怒られたあああ!』
「沙織、何か忘れてない? 中間テストとか……」
『い、いや、わたしは覚えてないよ』
「それがいかんっちゅーんじゃー! まったく、緊張感持てよ……」
『い、いや、わたしは一夜漬けで何とかするから』
「それもダメ! エプロン脱いで、勉強道具持って、敷女の制服ちゃんと着て、今すぐ榛名天神の店に来なさい! 今日は、明日になるまで、みっちり勉強を叩き込んであげる、わかった? 外泊は、親の許可取るの!」
『はっとり、話が急すぎて、何が何だか……』
「今から一時間だけ待つ、大至急来ないと、絶交だからな」
『わ、わかりました、わかったから、はっとり、どうか落ち着いて……』
「じゃあ、待ってる、わたしは切る」
『……』
高槻沙織は、シエスタ香枚井店のショーケースの裏にしゃがみこんで、とても困惑している……。
「ど、どうしよう……なんか、凄い怒ってる……」
沙織が、母に急いで電話をかけた。
「もしもし、お母さん、いまシエスタ香枚井なんだけど、服部さんに、勉強しろ! って呼び出されて……」
『あら沙織、お疲れさま。って、何かテストの時期でも?』
「そうなの。五月は中間テストがあるから、お前も勉強しろ、って、榛名天神のお店に呼び出されて、お泊まりで勉強がんばることにしたの。直ちに来なきゃ絶交だって……」
『まあ、必死っていうか、すごい剣幕ねえ……』
「とりあえず、家に帰って支度するから、お店、店員さんに任せていいでしょ、ね、ね」
『まあ、しょうがないわねえ……いいわよ、行ってらっしゃい』
「ありがとう、お母さん!」ピッ……
携帯電話を切って、店員さんの方へ向き直ると、沙織はアタマを下げた。
「お店の方、済みません。急に美月の家で勉強する事になったので、行って来ます。後は宜しくお願いいたします、皆さん!」
「沙織ちゃん、勉強がんばってね!」
シエスタ香枚井を出た自転車が、香枚井三丁目の本店兼自宅に着いたのは、そんなに時間はかからなかった。ただ、春名坂を越えて自転車では到底間に合わないので、紅電に乗るしかなかった。
「おやまあ、お帰り。ちょっとあなた、急ぎ過ぎよ!」
「いいの! これはゆっくりしちゃいられないから!」
「もう、ドタバタしちゃって……」
「お母さん、今日は服部さんちでお泊まりになるから、よろしくね!」
「ええ、いいわよ……いいけど、あなた、制服なんかで……」
「はっとりが着て来いって!」
「あら、そう……」
「じゃあ、行って来まーす!」
「気をつけて! って、もう、ドタバタね……」
香枚井三丁目のお店から、自転車で紅電香枚井駅に取って返す沙織。自転車置き場に自転車を収納すると、改札口へ駆けて行く。もう土曜日の午後五時だ。改札口に、霜田拓也の姿を見つけた。
「霜田さああん」
「沙織ちゃん! どうした、こんな夜に、しかも制服で……」
「えへ、榛名天神駅に行くだけですー、服部さんちでお勉強です」
「服部さんかあ……この間は、翔のやつが済まなかった、と言っておいてくれる?」
「はい、わっかりましたー!」
「じゃあ、行っておいで、気をつけて……」
「はーい、霜田さんも、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ!」
『四番線の電車は、次発、各駅停車、楠葉行きです。楠葉までの各駅に停まります。間もなく、電車がまいります。白線の内側まで下がってお待ちください』
(携帯電話、この車両は使っていいんだよ……ね。メール打とうっと)
『はっとりへ いま、紅電香枚井駅の電車の中 次発の各駅なので、動き出すのを待ってる だから、もうちょっと待っててね 沙織』
「ふう……。これで安心してくれるかなあ……」
メールを打ち終えた直後、今度はいきなり電話がかかって来た。
「はい、もしもしー」
『わたしだ! 香枚井三丁目なら、なんで霜田さんちのタクシー使わない! 坂登りゃあすぐじゃないか! 急げ!』
「はっとり、うるさい。もう駅の改札くぐっちゃったよー」
『あーもう、あんたってばお金持ちなのに、コレだっ!』
「でもでも、霜田さんに『おやすみ』って言ってもらえて、なんか幸せ!」
『……なーんだ。のろけかよー。色恋沙汰はわたしには関係ないんだから』
「あ、電車出るよ、じゃ、お店で待ってて」
『はいはい。じゃあ、お幸せに! 大至急来いよ!』ガチャ! プー・プー・プー……
「切れちゃった……っていうか、はっとりがキレてた……何でだろう……」
◇ ◇ ◇
紅電・榛名天神駅は、線路を通すための切り通しの上をまたぐように、橋上駅舎が建っている。つまり、ホームからの上り階段が長いのだ。小刻みにステップを踏んで、沙織は階段を駆け上がった。エスカレーター。そんなに便利なものは、ローカル私鉄の各駅停車の駅には存在しない。階段を上がり終え、自動改札に切符を通すと、例の「服部宝珠庵」を目指して駆けて行った。
「服部宝珠庵」は、寛永七(一六三〇)年から綿々と続く、餅屋の家系だ。名菓「香枚井餅」は、この近辺の地名の由来となっている「香枚井」という井戸の銘水で練り上げられた羽二重餅で、昔は、葱州街道の春名坂越えをする旅人の休息場所となり、美月の実家、「菓匠 服部宝珠庵」は、榛名天神社で「御用達」になっているほどの旧家だったりするのだ。
「こんばんはー、高槻沙織でーす。美月ちゃんおられますかー?」
「あら、春名坂下の高槻さんね! こんばんは! いま、おばさんが呼んでくるから、ちょっと待っててね。……美月! 美月! 高槻さん家のお嬢さんが来られたわよー」
「はあーい」
二階で美月の物音がする。
「……美月、もう来るからね、ちょっと掛けてて頂戴なさい」
「やあ、はっとり!」
「なんだ、遅いぞー! 日が暮れちゃったじゃないかー」
「ごめーん、これでも、全力疾走して来たんだからー」
「じゃあ、上がって、さあ、早く!」
「お邪魔しまーす」
「お、ちゃんと制服着て着たんだな。偉いぞー。それでこそ敷島女子!」
「もう、急がせるから、階段でスカートがもつれて……走りにくかったんだよー」
「今日は、桃花の家で、梨音が合宿するらしいから、わたしたちも合宿だ!」
「な、何で対抗して、わたしたちも合宿するのよー」
「ばかっ、梨音のアホに負けてなるものか。わたしたちが負ける? そんなこと、絶対にあってはならない。さあ、入った入った!」
「もうっ、相変わらず、とことん負けず嫌いねー」
かれこれ、築、四〇〇年近く経った、とことん古風な和風の部屋に、不釣り合いな、水色のカーペットと、ステンレスをベースにした、とことん実用一本槍な調度品。
「ここ、はっとりの、お兄さんの部屋?」
「ちっ……ちがあああう! ここは、わたしの部屋だ! 悪かったな、男らしくて!」
「ごめんごめん……」
「ところで、沙織……あなたのお母様が、わたしたち二人と、霜田さん兄弟と、デートしたことになってるわよ。あなたの店に、スイートポテトを買いに来た梨音に、それがバレちゃってるのよー! なんておしゃべりなのかしら、あなたのお母様! 信じられない」
「ええーっ、お母さん、しゃべっちゃったのー? お、おんなじ制服……だからかな」
「そう、筒抜けよ。同じ敷島女子の生徒といえども、言っていいことと、悪いことが!」
「ごめえん……」
「……ったく! さあ、勉強勉強!」
「あ、そういえば、拓也さんから、はっとりへ、弟がセクハラしてごめんね、って伝言があったよ」
「へっ、今更何を……」
本棚をのぞき込む高槻沙織。他人の本棚なら、誰しもが気になるところ。そこに、朱書きの書籍を何冊か発見した。
「あ、本棚……大学受験の赤本が並んでるー」
「敷島女子の二年生なら、今頃、当然の装備だろ?」
「そんなもんですかねえー」
「あなたも買いなさい。損はしないから……」
「だってー、志望校はおろか、進路決めてないし……漠然と、店を継ぐとか……」
「あーあ、進路も決めずに恋愛ばっかしてるし……沙織は呑気でいいよなあ……」
「はっとりは、決めてるの?」
「最低でも、室山大学には入ろうと思ってる。そこで、教育学を専攻する」
「えー! 国公立ぅー? むずかしいよー」
「あんた、それでも敷女の普通科? さあさあ、そんなことより、わたしに昨日の授業、教えなさいよ。梨音の痴漢事件の巻き添え食って遅れたから!」
「そんなに急がなくても、明日は日曜日だよー!」
「……それもそうね。じゃあ、カフェイン摂るか!」
「じゃあ、わたしはコーヒーで……」
「いや、この家には、お茶っ葉しかない。緑茶だな」
こぽこぽと急須からお茶が注がれ、お茶菓子は、売り物の「香枚井餅」の訳あり品が出された。
「餅なら、ご飯と一緒で、アレルギーの心配がないだろう? これでも沙織さんには、陰ながら、いろいろと気を遣っているのですよ、わたしは」
「ありがとう……ね」
「じゃあ、借りて来たノート、早速、見せてくれないか!」
「わかりました、美月さん……」
◇ ◇ ◇
明くる日曜の、深夜一時。一通り勉強を終えた服部美月は、テレビを見ながら、奇抜なパフォーマンスのお笑い芸人たちを見て、必死で笑いをこらえていた。一方、高槻沙織は、机の上で、まだ問題と取っ組み合っていた。美月はボリュームを落とすと、デスクにかじりついている沙織の方を見て、言った。
「ねえ、沙織……そろそろ眠くない?」
「いや、もうちょっと……」
沙織は、カリカリと、シャープペンシルで書き、時に消しゴムで文字を消したり、口をとがらせて考え事をしたり、また書き始めたり、そうかと思えば腕組みしたり……。
「沙織……ぼちぼち、寝るか!」
「ねえ、はっとり、ここ、分かんない」
「どれどれー? ああ、微分ね。だから、xの時間軸が限りなくゼロに近づく時のyの値のことで、このページの、ここ! 教科書のここだ。ほら、xを徐々に小さくして行くと、その瞬間のyの速さが、核心に近づいて行ってるだろ? これを極限値と言って……」
「ふむ。何となく分かった気が……でも、xの時間の幅はゼロじゃないんだよね……」
「そうだな、ほんの少しの幅はあるけど、幅はゼロじゃないんだな、これが」
「ふむ。奥が深い……時間軸は限りなくゼロに近い幅だけど、ゼロではなく、限りなくゼロに近い……ああっ、もうっ、わたし、これ意味わかんなーい」
「じゃあ沙織、今日は、もう寝よう。あんたいま、数学に随分、哲学混じってる。もっと言えば、ドツボにはまってる。まあ、そういうもんだ、と割り切って、公式を丸暗記することだな。じゃあ、また明日、考えよう。さあ、お布団出してー♪」
「はあっ、やっと解放された……」
◇ ◇ ◇
高槻沙織は、ふすま一枚隔てた向こう側の布団部屋で、着替えをしている。一方、服部美月は、勉強部屋で、着替えを済ませた。
「沙織、着替え済んだー?」
「はい、お待たせ、黄色いパジャマです……って、はっとり、和服の寝間着ー?」
「ええ、いつもそうだけど、それが何か?」
「何か、新鮮……っていうか、胸元がどことなくセクシー!」
「こら沙織! お前、煩悩が多すぎ! そして、変な妄想もしない!」
「は、はなぢが……」
「こらあ! 他人ん家の寝間で、わたし見つめて、鼻血吹いてんじゃない! さっさとティッシュ丸めて鼻の穴に詰める!」
「おまたへしまひた。さあ、れんき消して、にぇるよ、はっとり……」
「な、何言ってるか、わからん! とにかく電気消せー!」
◇ ◇ ◇
美月の部屋には、和風のペンダント照明があり、麦球の常夜灯が、ぽつんと灯る。布団をふたつ敷いて、横になっている。が、沙織は慣れない種類の枕で眠れず、まだ緑茶のカフェインが効いているようで、ひとり暗闇で携帯電話をもてあそんでいる。
携帯に、マナーモードの着信があった。どうやらメールのようだ。
「ねえねえ、はっとり……」
「ふ、ふあ~?」
「いま、携帯に、梨音たちの様子が、写メ付きで、着信来たんだけど……」
「むむう……はん? はいー? いま何時ぃ?」
「ご、ごめん起こして……いま、午前二時……」
「あん? 二時ぃ? 梨音のやつがどうしたってー……もうっ、そんなの、どうだって、いいじゃんかよー……わたしは……ねむ……」
「あ、寝ちゃった。しょうがないなあ、はっとりは……ん? メール?」
『沙織へ イエーイ! ハイテンション! ハイテンション! やってるかーい! わたしら、勉強はかどってまーす! お夜食に、たこ焼きも作ってるぜ! そっちはどうだーい? 梨音』
携帯電話の中で、勉強してるんだか、ちまちまと、たこ焼きを作っているのか、本当に勉強がはかどっているんだか分からない、とにかくハイテンションな画像が映し出されていた。
(そうねえ……うっしっし……フラッシュ消して、美月のセクシーな寝姿などを、パチっと撮影して……)
『梨音へ イエーイ! そっちは楽しそうね。こっちは……ローテンション……わたしが思わず鼻血を吹いた、セクシーな美月の寝間着姿のサービスショットはいかが? ふっふっふ。じゃあ、こちらはもう消灯時間なのでまた明日。じゃあねー。 沙織』
またもや、メールが着信した。
『沙織へ うおおおー、セクスィー! そりゃあ鼻血も吹くよ、色っぺー! じゃあ、わたしらは、色気より食い気っつーことで、芋・たこ・なんきんコンプリート計画、始めてまああす。桃花のかぼちゃの煮付け、いっただきまあす! じゃねー! 梨音』
こうして、服部家の夜は更けて行く……。
◇ ◇ ◇
明くる朝……服部家の朝は早い。午前六時半……。ラジオから、けたたましいラジオ体操の歌が流れてきた。服部美月は、ジャージに着替えて、自室でラジオ体操の演技をしている。そうして、コンポーネントステレオから大音量で流れる、ラジオ体操第一……。
『それでは、姿勢を正して、ラジオ体操第一!』
「ほにゃっ?」
『胸を反らして大きく、背伸びの運動から! イチニーサンシー……』
「む、むがっ? は……はっとり……? い……いま何時ー?」
『手を振り後ろ反りー……』
「む……むにゅむにゅ……」
「さあ、沙織も起きる! ほらあっ!」
「え? た……体操? 急に言われても……」
『斜め後ろに大きくねじって、ゴーロクシチハチ……』
「みゅ……ふみゅ……ゴビー、グー、スー、スー」
「スースーって、おい! まどろみに陥ってるんじゃない! 今すぐ起きろ、沙織!」
どうやら、午前六時半に、高槻沙織を起こすことは、大変な困難を伴う作業と見た。再び制服姿に戻った美月は、机に端座して、朝の勉強を始めた。一方、無理矢理布団部屋に押し込まれた沙織は、制服を眠そうにだるそうに、もたもたと着替えているのだった。
「はっとり、朝早いんだね。おはよう……」
「おはよう沙織。そりゃもちろん、春名坂中学校の頃から、あのアホ二名を起こして引率していたので、私は毎日大変だったんだよ」
「あー、それは大変そう。わたしは、もともと香枚井中学校だから、隣の学区だねえ」
「沙織んとこは、都会だからなあ……。この家はもう少しで、椎瀬町になるところだからねえ、ぎりぎり室山市春名坂上……そこの神社ってば、もう室山県吾野郡椎瀬町大字榛名、だからな」
「田舎って大変だね」
「田舎……って、お前が言うなー!」
◇ ◇ ◇
翌週、中間テストの結果が返ってきた。答案を返却するのはもちろん、君子豹変する、クラス担任の相川杏子先生だ。もしも悪い成績だったら、ケチョンケチョンに言われるだろう。
「はーい、答案を返します。もしも一科目でも赤点だった人は、面談、補習の上に、後日、再試験を行います」
赤点を免れたのは、美月と桃花だけで、たこ焼きを深夜に作っていた子と、数学に哲学が混じっていた子は、それぞれ赤点がちらほら。
「高槻さん、数学。だめよ、数Ⅱレベルでこんなのわかんなきゃ……立花さん、英語が最悪ね。だめよ、これぐらいでもたついてちゃ……」
高槻沙織は、内心動揺していた。
(駅員さんの事で頭が一杯になってた挙句、お店を手伝っていて、ましてや、数学に哲学が混じっていました、なんて言ったら、先生に怒られる……)
立花梨音も、内心動揺していた。
(徹夜でたこ焼き作って食べてました、英語は中学校レベルです、なんて言ったら、先生にバラバラにされる……)
――帰りのHR後。服部美月が召集をかけた。
「香枚井登下校組、集合ー! テストどうだった?」
柏原桃花がやって来た。
「みてみてー! 全部七十点は取れてるよー」
「おおっ! さすがアナウンサーの子どもだなあ」
「てへっ」
立花梨音が、ぶつぶつぶつぶつ言いながらやって来た。
「英語。ほら見て」
「うわ、本当に最悪だ。お前、たこ焼き作って遊んでただけだろう」
「ず、図星です美月さまー」
高槻沙織が、うなだれながらやって来た。
「数学。こんな感じ……」
「うわあ、すごい書き込みと、消しゴムで消した跡……何があったんだ?」
「数学に、哲学混じっちゃいました……」
「はああー。香枚井登下校組でまともなのは、わたしと桃花だけかよー」
「そういう美月は……全部九十点台! いつ勉強してるのー?」
「普段。普段から、一歩一歩の積み重ねだぞ!」
「参りました」
「服部さーん、柏原さーん」
「は、はい!」
恐怖の大魔王、相川杏子先生が、美月と桃花を柔和に呼び止めた。
「あの二人、当面、部活動は禁止ね。香枚井から来ているよしみで、ここはいっちょ、あの子たちに、居残り勉強のボランティアをして欲しいの。先生役ね」
「わかりました。高槻さんには、土日もわたしの家で数学の勉強を教えていたのですが、何と言いますか、哲学的に深く考えてしまうようで、こういうものだ、と暗記して飲み込むのが苦手だと見受けられます」
「ほんとうに……あなたも苦労が絶えないのね……柏原さんも、できれば勉強、手伝ってあげてねー、顧問の先生には、わたしから言っておくから」
「はーい」
先生が去った放課後の教室……。服部美月はゴキゲン斜めだった。
「お前らー! お前らの胸に緊張感はあるか!」
二人「胸なら多少はありまーす」
「これだ……まだまだ緊張感が足りんつっとろうが!」
「はい」
「申し訳ありません」
「まったく……家に電話かける……あ、もしもし、お母さん? それがね、聞いてよー」
「美月先生怖いわねー」
「き、鬼畜だわー」
「……何か言ったかオイ」
「べ、べっつにー」
その後、美月の鬼畜とも言えるスパルタ教育と、桃花の懇切丁寧な教え方で、追試で赤点は免れたようだった。