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第二話 美月と沙織と狼たちと

 土曜日。榛名天神駅前の和菓子店、服部宝珠庵。服部美月の実家だ。名菓「香枚井餅」という羽二重餅が、まるで飛ぶようにはけてゆく。榛名天神社の参詣道の入り口というロケーションから、おみやげに買っていこう、という人たちが、朝早くから列を成していた。美月も例外ではなく、お店を手伝わされていた。白い頭巾に、白い割烹着という出で立ち。


「六個入りが三箱で、一八〇〇円になります。ありがとうございます。丁度お預かりします。ありがとうございました……あれ、携帯が……」


『はっとりへ 折り入って相談がある 今から香枚井駅前のウインピーバーガーに行かない? そっちは暇してる? 沙織』


 美月は早速返信を打った。


『沙織へ いま実家が忙しくて、餅ばっかり売ってるよ! お昼を一緒に、ぐらいなら、たぶんOKかな 美月』


 服部美月は、母親に香枚井まで行くと言うと、こんなに忙しいのにお昼を抜けるなんて……と言いつつ憮然な表情に変わったが、高槻さんと昼食を共にするだけだ、と言ったら「まあ、しょうがないわね、行ってらっしゃい」という感じで許してくれた。早速、割烹着を脱ぐと、服装は、ふつうの普段着だった。仮に敷女の制服で買い食いしたり、商売していたら、近所の住民から学校に通報されるといった厳しさがあるからだ。


 榛名天神駅から、各駅停車に乗って一駅で香枚井に着く。香枚井駅は、室山市の北の玄関口とも呼べるロケーションで、葱北本線は快速が、紅葉野電鉄は急行が停車する。そんな賑わいを見せる商業地には、大規模なショッピングモール「シエスタ香枚井」があり、高槻沙織の実家が経営する洋菓子店「高槻洋菓堂」の支店もテナントに入っている。なお、「ウインピーバーガー」という地元のチェーン店も、テナントに入っている。


 服部美月は、ハンバーガーショップに入った。適当にフィレオフィッシュ(もちろんチーズ抜き)のセットを頼むと、やがてそれを受け取り、店の奥で待っている高槻沙織の姿を見つけると、そのまま店の奥へと入って行った。


「やあ、はっとり、こっちこっち!」

「なあに、折り入って相談ってーのは。相談だったら、わたしん家来ればいいだろ?」

「呼びつけておいて、ごめんごめん、実は、わたしんところの店も忙しくて、お店のお手伝いをしているのだ、シエスタ香枚井で」

「なんだよ、お前の都合かよ……わたしだって、榛名天神の店で忙しいんだからっ」

「はい、お礼の印と言っては何ですが、これ当たったんで、はっとりにあげるー」

「お、ポテト引換券か、サンキュー。ところで、わたしのスクラッチカードはどうかな……ええと、十円玉……あった。どれどれ……」


 スクラッチカードを必死にこする美月。


「なんだよ、ハズレかよー」

「おやまあ、残念。でもこれって、十枚ためると五百円のチケットになるんだよ、とっときなよ」

「わたしは私用で香枚井に来ることは滅多にないから、沙織、お前が集めろ」

「そうしますー」

「で、相談って何だよ、教えろよ沙織」

「じ、じつは、今から霜田さん兄弟が揃ってこちらに来るのですー」

「はあ? 聞いてないぞ。何だよ、まるで合コン開始、みたいな雰囲気になっちゃうじゃんかよー! 焦らせるなよ」

「で、ですねえ、友人代表として、一緒におしゃべりしましょう、というのが、わたしからのお願いだったりするのです」

「……帰る、わたしは忙しい、残り全部お前が食え」


 沙織は、美月がすっくと立ち上がると、事務的な表情になって、その場を立ち去ろうとするのを、服をつかんで必死に制止しようとした。


「お願いです服部さん、わたし一人だけじゃ心細いので、どうかお願いします!」

「……んもう、ちょっとだけだぞ!」


 その頃、鍵堀川を渡ってきた霜田 翔と、橋の対岸で待っていた霜田拓也が合流し、紅電香枚井駅西側に隣接する「シエスタ香枚井」に向かって歩き始めたところ。背広には社章がついているので、二人共、上着を脱いだカッターシャツにスラックスという出で立ちだ。ライバル鉄道の社員同志が一緒に飯を食うというシチュエーションは、お互い避けたかったらしい。やがて、二階のハンバーガーショップに、二人が現れた。


「はっとり、あの人がおなじみ拓也さん。で、ちょっとチャラそうなのが、弟の翔さん」

「翔さんは初めて見る顔だなあ。確かにチャラそう」

「あ、こっち来るわ」


 高槻沙織が手を振って合図を送ると、霜田兄弟は「よっ」というような、敬礼ほどではないけれども、軽いジェスチャーをして見せた。


「はっとり、あなたの隣譲って、席譲って」

「わ、わかった」


 霜田兄弟が、ハンバーガーをトレイに載せてやって来た。まず口を開いたのが、弟の翔のほうだった。


「おっす、沙織ちゃん! 隣の子、誰? 新顔だなあ」

「こ、こんにちは翔さん、この子、友人代表の服部さんです」

「服部さんって言うのか。初めまして。オレは霜田 翔。よろしく!」

「あ、ど、どうも……」

「それにしても、服部さんって、胸でけえなあー」

「こら、翔、セクハラするな!」


 割って入ったのは、翔の兄貴である霜田拓也だ。翔の頭に空手チョップを炸裂させた。


「痛てえ……」

「女の子にセクハラするなとあれほど……」

「わたし、帰りたい……」

「はっとり、ここは我慢して、お願い! 女子には、誰にでもああなの、翔さんって」

「セ……セクハラされた……」

「だってさ、本当にでけえから」

「ま……またセクハラされた……」

「翔、黙れ! とっとと座れ、このおっぱい星人が!」


    ◇ ◇ ◇


「拓也さん、こんにちは」

「ああ、こんにちは」

「お、オレには?」

「知りませんっ!」

「沙織ぃ、まるでガキンチョだよな、翔さんって」

「目が、もう身体目当て、って感じだよねー」

「なんだよー、それ、失礼な。オレだってマジメな葱北本線の駅員だぞ!」

「沙織ちゃんに美月ちゃん、コイツ、女子をナンパすることだけが生き甲斐の、どう猛なケダモノだから、気をつけて」

 二人「はーい」

「おい、ちょっと待てよー! オレにはそんな設定ねえよ! 誤解を与えるなって!」

「ちなみに、兄貴のオレは、いつでも紅電の代行バスが運転できるよう、バスが運転できる大型二種免許持ってるよ」

「お、オレだって、ハーレーダビッドソン運転できる大型二輪持ってるんだからな!」

「霜田さんたち、すごおおおい!」

「でも、翔さんとタンデムしたら、翔さんの背中のセンサーで胸の感触探られそうね」

「あり得る、あり得る」

「なんだよー、そのケダモノ設定やめてくんないかなあ……」


 食事も一段落したところで、各自が携帯電話を用意して、ワイヤレスで情報を交換することにした。


「じゃあ、いっきまーす」

「いっせーの、えいっ!」

「あ! 翔さんのも取り込んじゃった……」

「後で消せばいいんじゃない?」

「消すなよ! ちゃんとオレのも残せよ!」

「拓也さんのは、ちゃんと残しときますからね」

「うん、ありがとう」

「って、おい!」

「じゃあ、今日のメインイベント終了、ってことで、良かったな、沙織」

「ありがとう、はっとり!」

「あ、霜田さんたち、今日はお忙しい中、ありがとうございました!」

「済みません、私のわがままで呼び出したりして……」

「いや、気にしなくていいよ、オレらのことは」

「そうそう、オレたちのことは、心配いらないから」

「じゃあな」

「じゃあ、また月曜日、改札口で!」

 二人「はーい」


 そうして、二人の駅員は、席を外した。まだ何かしゃべり足りない翔は、兄貴に向かって何か言っているが、その都度兄貴の空手チョップを後頭部にくらうのだった。


「翔くんって、まだまだ子どもっぽいところあるよねー」

「くんって……確かに、言えてるー」

「それに引き替え、拓也さんって、紳士よねー」

「そうかなー。案外、実は中身がムッツリスケベだった、とか言うんじゃないのー」

「んもう、幻滅するじゃない、はっとりったら」

「男は狼よー、気をつけなさい、赤頭巾ちゃん」

「そういうもんですか」

「その通り」

「と、いいいますと?」

「敷島女子、略して『敷女』ならいいんだが、色魔の女子、略して『色女』にだけは、絶対なっちゃダメだぞ」

「はっとりったら、時々、学校の先生みたいなこと言うねえ」

「まあね。長年、アホ二名の世話してきたから、くせかな、これは」


 服部美月が、ドリンクを口にした瞬間、高槻沙織が突拍子もない事をしゃべった。


「ところで、はっとりは誰が好きなの?」

「ごぼっ!」

「恋とか、してるの?」

「げはっ、げほ、げほ……あー、もう、沙織は急に何を言い出すの?」

「わたしの恋愛事情はともかく、いつも仲人さんみたいに振る舞ってるはっとりは、誰が一番好きなの? 恋とかは……してないの?」

「ばっ、ばかもの! わたしに限って、好きな人なんかいるはずないじゃない!」

「そうかな。はっとりって、異性モテしそうな感じするけどなあ……」

「もててない、もててない。どうせ見てくれだけの堅物な女ですとも!」

「そうかなあ……はっとりを見て、振り向く男子、結構いるよ?」

「あー、わたしさあ、まだ異性に興味ないんだよね。つーか、色恋沙汰は、何かと面倒くさいし、噂や評判になるのもイヤだし」

「でも、和菓子屋さんの長女なんだし、お店にお婿さんをお迎えしなきゃ……」

「って、いきなり配偶者かよ! 気が早いんだよお前は! ……さて、帰るか」

「ぶ……無粋なこと、訊いちゃったかなあ」

「さあ、もうすぐ一時だ! 仕事だ仕事! 行くぞ沙織!」

「はあい」


 シエスタ香枚井の地下一階に、高槻洋菓堂の店舗がある。そこに付き合わされる、服部美月。なにやら「お土産」があるそうだ。冷蔵ショーケースと、いわゆるクッキー、ビスケット類が半分半分に置いてある。


「やだ、チーズケーキが置いてある……」

「違うよはっとり、こっちのだよ。これだったら食べられるでしょ。ほら、棒状に丸めたバタークッキー」

「え、ちょっと待て。わたしにくれるのか?」

「うん、ヤボ用に付き合わせてしまったお礼」

「いいよ、友達なんだし、そんな社交辞令みたいな、遠慮します」

「堅いこと言わない言わない。電車賃代わりに」

「わたしは、できれば五〇〇円玉の方が嬉しいのだが……」

「はい、プレゼント、フォー、ユー」

「さ、さんきゅ。あんがと。じゃな。仕事頑張れよ!」

「うん、今日はごめんね」


 シエスタ香枚井のエスカレーターを昇って行く美月。そういう美月も、実は、恋がしたいって思っているし、人並みの健康な女子なのだから、異性に興味がないわけじゃない。が、しかし、いっつも理性が勝ってしまう。理性が、そうした欲求を、知らず知らずのうちに抑え込んでいるのだ。由緒正しき「香枚井餅本舗」のお嬢さんだ。常に、そういう欲求は抑えるように、両親から知らない間にインプリントされている。


(でも、沙織に言われた……恋をしたことがあるのか、って。ないことはないけど、わたしって勝ち気だし、どちらかと言えば男言葉だし、男友達はいたけど、そんなピュアなシチュエーションまで至ったことがないし、キス……だって、まだだし……)


 エスカレーターを上り終え、少し進んだところで、ふと立ち止まった。


「恋……かあ……」


 美月は一瞬、遠い目をした。


「えええい、心頭滅却すれば火もまた涼し! さあ、仕事だ仕事!」


 服部美月は、紅電香枚井駅の切符売り場で、コインを投入し、一五〇円と書かれたボタンを押した。そして、完全に我に返った。


(そうね、シエスタ香枚井に空き店舗が出来れば、服部宝珠庵の支店を出すという手もあるかもね、経営上。ライバル同士、繁華街でこそ、しのぎを削らねば! 各駅停車の門前町でくすぶっている場合じゃないわ。よーし! 今度、父親に相談してみよう!)


    ◇ ◇ ◇


 服部家の晩の食卓。ショルダーベーコン入りの野菜炒めに、ご飯、それからおみおつけ。至ってシンプルな晩ご飯だ。服部家の夕餉は遅い。午後七時に店を閉め、午後八時にみんなでお食事といった具合に。食卓には、沙織と、沙織の兄で服部明良、沙織の母、沙織の父、服部征志が座っていた。


「ねえ、父さん、お願いがあるんだけど」

「お金の相談だったら、聞けないなあ……」

「今度、シエスタ香枚井に出店することがあったら、私手伝う!」

「うーん、シエスタ香枚井かあ。一度は考えたんだが、どうも店賃が高くてな……」


 社会人一年生の兄、明良が口を挟んだ。


「おい美月、もしかして、お前の友達の、洋菓子店と張り合おうってのか?」

「うん、まあ、そんなところ」

「止した方がいいと思うぜ。うちは、室山市観光協会に置かせてもらっているし、道の駅・香枚井にも置いているし、葱州縦貫道の岩崎サービスエリアにも置かせてもらっているんだから、全然、高槻さん家とは、客層が違うんだよ」

「くっそお、早く大人になって、高槻洋菓堂を見返してやりたいんだけどなあ……」


 この道一筋の父、服部征志が口を挟んだ。


「美月。今は、学問に集中しなさい。もし文学部に入れたら、特に、この近辺の歴史を研究するんだ。何故、天神社に餅を供えるようになったのか。なぜ、服部家が御用達になったのか。そもそも、何故地名が春名坂上なのに、どうして井戸の名前が香枚井なのか。どうせ勉強するのなら、そこんとこを、深ーく勉強しなさい、わかったね」

「はあい」


 服部美月は、自分で自分の食器類を洗い終わると、自室にこもった。椅子に腰掛けて、机に向かって、音楽を聴きながら勉強をし始めた。そして、つぶやいた。


「あー、早く大人になりたい……ちきしょ、認めてもらいたい……」

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