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魄、落つる  作者: 高原 景
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 シンカゲはクジョウへと剣の切先を向けるスイレンの姿に、苦い思いを抑えることが出来なかった。やはり、という思いである。カガリのことだ。スイレンに事前に言い含めていたに違いない。シンカゲので使者達を見つけ出すことが出来ない時――無論、そうなる可能性が高いことはカガリも先刻承知だろう――かわりに雇った蠱使いを始末するように、と。例え依頼が偽りであることを知られずとも、カガリが少しでも危険な芽を残しておくとは思えない。

 シンカゲはクジョウを窺った。なおも降り続く雨に全身濡れそぼりながら、立ち尽くしている。黒髪が張り付いた頬は青ざめ、見開いた目ばかりが暗く大きく見えた。

「どうして俺を殺すんだ?」

「坊やに理由はないよ。あたしらに理由があるんだ」

 優し気ですらあるスイレンの声に、シンカゲは眉を潜めた。このような声を出す時、スイレンは本気だ。

「スイレン、やめろ」シンカゲは厳しく言うと、剣の前に立ちはだかった。

「どきなよ。あんたもわかってる筈だ。あたしらに関わった者を生かしておくわけにはいかない。秘密を守るために必要なことだ。あんたが、その子を森から救い出したりしなければ良かったんだけどね。あたしも、こんなことに剣を使いたくはない」

「カガリやあんたがどう思おうと、俺はクジョウを殺させるつもりはない。クジョウは何も知らないんだ」

 もっとも、とシンカゲは皮肉に続けた。

「このようなことをしてしまった後では、もう遅いが」

「そういうこと。どちらにせよ、取る道は一つしかないのさ。シンカゲ、どきな」

「取る道は他にもある」

 スイレンが訝しげに目を細めるのを見ながら、シンカゲは深く息を吸った。一つは己を落ち着かせるため、一つは迷いを振り切るために。

「クジョウをリュウドウに連れて行く」

 背後で息を呑む気配がした。何も言うな、とシンカゲは心中でクジョウに呼びかける。無論、蠱のように意思を伝えあうことなど出来はしないのだが。

「馬鹿を言うんじゃないよ。その坊やを連れ帰るだって!?」

「ああ、そうだ。俺達には新たな蠱使いが必要だ。クジョウならば能力的にも問題はない。それに、そうすればスイレンが……いや、カガリが懸念するようなことが起きる恐れはない」

「あんた……」

 スイレンは口を噤むと、シンカゲを凝視した。と、不意に笑い出す。

「なるほど、そうきたか。さすがにカガリ仕込みだね。悪知恵が働く」 

「褒められた気がしないんだがな」

「褒めているんだよ。素直に喜びな。力自慢の馬鹿男なら掃いて捨てる程いる。あんたがそうならないか、少し心配していたところだ」

 シンカゲは感情を抑えてスイレンを見やる。ここでスイレンの言葉に反応してはいけない。彼女はシンカゲを試しているのだ。どれ程の考えでいるのか。子どもじみた反応をすれば、全て無意味になりかねない。

 無言の対峙に、張り詰めた緊張が高まっていく。スイレンの背後では、男達が事の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。スイレンが唇を引き上げる。諦めでも是認でもない笑みだ。

「あんたの好きにしな、シンカゲ。でもね、その坊やが少しでも不審な行動を見せたら、容赦はしないよ」

「ああ」

 スイレンは素早く剣を鞘にしまった。その表情に過ったのは苛立ちだけではなかった。口でどう言おうと、彼女とてこのような殺しは不本意な筈だ。

 シンカゲはクジョウを振り返った。立ち尽くす姿が、ひどくほっそりとして見えた。そういえば抱き上げた体は軽かった。厚い布を通してもわかる程に、クジョウは華奢だった。だが、裏腹にシンカゲを見詰める瞳は強い。戸惑いと、怒りとを綯い交ぜにして、シンカゲを凝視している。

「クジョウ、俺達とともにリュウドウに来てくれ」

「俺は依頼の内容も、見たことも、誰かに漏らすようなことはしない。そう誓っても、一緒に行かなければ俺は殺されるのか?」

 それに、シンカゲは頷いた。クジョウの声が震えた。

「それでは虜囚と同じだ」

「そうだ。だが、お前が信じるに足る人間だと示すことが出来れば、いずれは自由になれることを保障する」

「自由……か」

 鋭い皮肉が凝っていた。翳りを帯びた響きに、シンカゲはクジョウを見やる。クジョウは半ば目を伏せていた。シンカゲを見ることなく、ぽつりと言った。

「わかった。あんた達と一緒に行くよ」

「すまん」

「謝るくらいなら、いっそ俺を殺せばいい。森に置き去りにすればよかったんだ」

 シンカゲはそれに答えることが出来なかった。クジョウが眼差しを上げる。薄墨の澄んだ瞳が、シンカゲを捉えた。クジョウの長い髪から滴が落ちる。涙のようなそれを、シンカゲは不思議な心地で見ていた。強さと裏腹な儚さがある。

「偽りの名前より、真実の名前の方があんたに似合ってるよ。シンカゲ」

 密やかにクジョウが言った。



 カガリの使者は急ぎリュウドウへと向かい、シンカゲとスイレン、そしてクジョウは一旦ハザカイの街へと戻った。

 口入屋の主人は森の際にまで迫った変動を知っていたらしい。三人がそれに巻き込まれたことを知ると、驚くやら無事を喜ぶやら忙しない。蠱使いへの報酬の四割が口入屋の取り分である。だが、クジョウはシンカゲからの代金の全てを男に渡した。

「俺、この人達に雇われて一緒に行くんだ。今まで世話になったお礼だよ、おじさん」

 クジョウの言葉に、シンカゲは複雑な心地になった。言葉の通りなのか、それともシンカゲからの金を受け取りたくなかったのか――嫌悪されても仕方がないほどのことをクジョウに強いているという自覚がシンカゲにはあった。

 リュウドウに連れて行き、蠱使いとして雇い入れる。そう言えば聞こえはいい。だがシンカゲ達がクジョウに突きつけたのは、自由を失うか、さもなくば命を失うか、という二者択一だ。虜囚と言ったクジョウの言葉は正しい。

(だが、死なせたくはなかった)

 シンカゲは思う。カガリのやり方はよく知っていた。冷徹な判断が必要な場合もあると承知していたが、今回ばかりは見過ごしに出来なかった。もとはと言えば、己の蠱を使いこなせぬシンカゲ自身にも責任はある。

 街を後にし、三人は馬でリュウドウを目指した。

 シンカゲとスイレンが驚いたことに、クジョウは見事に馬を操ってみせた。富裕層や兵士ならばいざ知らず、庶民が乗馬を身につけることは滅多にない。蠱使いならば尚更に乗馬とは縁遠い筈だ。森の変動が起こった時、余程訓練を受けているのでなければ馬は邪魔になる。故に、森を渡る時は徒歩が原則なのだ。どこで乗馬の技術を身に付けたのか――だが、シンカゲはクジョウに問うことはしなかった。スイレンも、クジョウのことはシンカゲに任せたと言わんばかりに口を閉ざしている。

 帰ったらまずはカガリに対さねばならない。シンカゲはその困難を思い、そして決意を新たにする。カガリがクジョウの人となりを認め、目にしたことを他言するような人物ではないと信じれば、命を奪うようなことはすまい。彼は非道な人間ではない。クジョウがどのような人物なのか、シンカゲはまだ何もわかってはいない。だが、クジョウが秘密を漏らすような人間ではないだろうことを、何故かシンカゲは信じていた。

 ただ一つ、懸念があった。クジョウには密書を見られている。それがカガリに知られれば、クジョウがどのような人間であろうと、命を奪おうとするやもしれぬ。故に、それだけは決して知られてはいけなかった。



 クジョウは馬に揺られながら、傍らを走るシンカゲとスイレンを窺っていた。彼らが傭兵などではないだろうと、今では確信していた。リュウドウの自由兵士は名高い。彼らがその一員だとすれば、優秀な兵士に違いないだろう。

 逃げることなどとうに諦めていた。逃げれば殺される、ということがなくとも逃げなかっただろう。どうせあの街からも流れるつもりだった。次に流れる先がリュウドウなら、それはそれで構わない。本当にいずれ自由になれるのか、それはわからなかったが、そもそも自由になったところで何か違いがあるだろうか。

 人を避け、頑なに己を秘して生きて来た。性を偽り、名を偽り、何時しか真実の己と虚の己と、どちらが本当の己かすらわからなくなっている。

 ――真実の己などはじめからなかったのかもしれない。

 クジョウは苦く思い、指先で耳飾りに触れた。蠱使いのクジョウという偽り。それを貫いて生きてもいいのではないか。むしろその方が楽だろうか。それとも、いっそあの森で死んだ方が良かったか。森での死こそ、己が己に立ちかえる最後の手段かもしれぬ。クジョウはシンカゲの横顔を見詰めた。すまないと詫びた、低い声音――その誠実さが、クジョウには辛かった。

 駆け抜ける響きに連動して、シンカゲの鼓動を、包み込む腕の強さを思い出す。その温もりも今は遠い。クジョウはシンカゲから目を逸らした。

 まだ見ぬリュウドウで何が待ち受けているのか、クジョウにはわからなかった。己が何も変わらぬのだと、その時クジョウは信じて疑わなかった。夜の深まりは見通せぬ未来に似て、無明に何一つとして見出すことは出来なかった。

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