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魄、落つる  作者: 高原 景
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 クジョウは女なのか、そう問うた時のスイレンの表情はなかなかの見物だった。だが、シンカゲ自身も混乱の真中にあって、そう思ったのは後のことである。

 二人はスイレンの執務室にいた。屯所でも位の高い兵士には一室が与えられている。スイレンの部屋は彼女の気質を反映し、きれいに整頓され無駄な装飾は一切ない。話す場所にそこを選んだのは、誰かに聞かれるのを避けるためである。

 スイレンはシンカゲの問いに答えず、「少し待ってろ」とのみ言って部屋を出て行った。程なくして戻ったスイレンは、リラを伴っていた。

「シンカゲがクジョウは女なのか、と。あたしはよくわからん。リラから説明してやってくれ」

 言うや黙り込んだスイレンである。困り顔のリラが、シンカゲとスイレンを見やり、そして小さく「しょうがないわね」と呟いた。

「あなた、クジョウのことを男の子ではないと思っているの?」

「いや、俺は男だと思っているんだが、ムラセが女ではないか、と」

「まあ、ムラセが。どうしてそう思ったのかしら」

「何か寝顔がどう、とか言っていたが、よくはわからない」

 リラは一人納得したように頷いた。

「そういえば、クジョウが眠りこんでしまった時、ムラセにクジョウを寝台まで運んでもらったんだったわ。その時に気付いたのね。ムラセはいつも人をよく見ているから」

「リラ、クジョウは男ではないのか?」

「ええ、クジョウは男の子ではないわよ」

 あっさりとリラが言った。シンカゲは黙り込む。驚きのあまり何も言葉が浮かばなかったのだ。ムラセが思い違いをしているのだと、シンカゲは半ば確信していたのである。

「女性……なのか? とてもそうは思えないぞ。体つきが違う」

 漸く出たシンカゲの言葉に、リラが笑う。

「色々な人が世の中にはいるものよ」

「少なくとも、シンカゲが今まで対してきた女とは違う、ということだな。付き合ってきた女にしても、皆年上だったろう」

 スイレンが可笑し気に言った。このような時でなければ言い返しているところだが、生憎とシンカゲはスイレンの相手をする心境ではなかった。

「クジョウは少しだけ成長が遅れているのね。今でもきれいな子だけれど、成長したらきっと誰もが振り返るような美しさになるわよ」

 女性として立つクジョウの姿が、シンカゲには咄嗟に想像がつかない。だが、リラが偽りを言わないことは、よく知っていた。

「女性なんだな」

 自らに刻みつけるように言う。これにリラは答えなかった。なおも困ったような表情を浮かべ、シンカゲを見詰めている。

「それなら何故男として生きているんだ?」

「それはわからないけれど、何かやむにやまれぬ事情があったのではないかしら」

 おっとりとリラは言った。その言葉にシンカゲは改めてリラを見やる。

「リラはクジョウに聞いて知ったわけじゃないのか」

「ええ、そうよ。直感でわかったの。そうでなかったら、私も確信は持てなかったわ」

「そうか」シンカゲは呟いた。

「やけに落ち着いているな」もっとシンカゲが取り乱すものと思っていたのか、意外そうなスイレンの声音である。

「そういうわけじゃないが……」

 落ち着いているわけではない。驚き、混乱している。だがシンカゲは、クジョウが男ではない、という事実そのものについては意外なほど冷静に受け止めていた。不思議なのはあれ程毎日クジョウと接しながら、女性だと気付かなかったことである。そしてこれからクジョウとの関係が変わるかというと、そうは思えない。そもそもクジョウが男として生きているのだから、真実の性がどうであろうともクジョウを女性扱いする気にはなれなかった。クジョウとて、このような形で周囲に真実が知れるのは望まないだろう。

「で、シンカゲ、武術大会はどうするんだ? 女だとわかってもクジョウの出場を認めるのか?」

 シンカゲは考え込んだ。クジョウが男ではないとなると、スイレンやムラセが何を懸念していたかがわかる。確かに技も戦いに臨む態度も未熟な男兵士の中に、いくら女性扱いせぬとはいえクジョウを入れるのは躊躇われる。しかし、とシンカゲは思う。そもそも、今回の出場はクジョウ自身が決めたことだ。

「認めるも何も、クジョウが己で決めたことを俺がどうこう出来るわけじゃない。クジョウだって、男と戦うことは十分に覚悟の上だろう。女だから、という理由で出場をやめさせるのは、男として生きるクジョウに失礼だと思う。そもそも、クジョウが女であることを秘している以上、俺達もクジョウには男として対するべきじゃないか?」

「いやに柔軟じゃないか。あたしなんかクジョウが男ではないとわかって、どれ程うろたえたか」

「まだ驚いてはいるよ。ただ……男だろうが女だろうが、クジョウはクジョウだ。何も変わらない」

 何気なく言った後に、シンカゲはその言葉が全てであることに気付いた。

 クジョウはクジョウだ。男であろうが女であろうが、己がクジョウに対して抱く印象は変わらない。

「ふうん、そういうものか?」

「ああ、そういうものだと思う」

 静けさの中にも凛とした芯の強さを感じさせるクジョウの姿は、クジョウの人間性をあらわすものであって、性別によって左右されるものではないだろう。そして時折、掠めるようにしてあらわれる翳りは、己の性を秘するという生き方故のものであったか、とシンカゲは考える。

「シンカゲ、私からお願いがあるの。クジョウは自分でも自覚しないままに、少し無理をし過ぎるところがあるわ。一番近くにいるあなたが、気をつけてあげてほしいの」

 リラが言った。シンカゲはそれに頷く。

 クジョウが女性であることは胸に秘めておけばいい。これまでと何一つとして変わることはない。シンカゲはそう思っていた。



 武術大会が行われるのは、リュウドウの街の中心部、自由兵士団本部の演習場である。兵士達にとって力試しの場である大会は、街の人々とっては娯楽となっていた。毎年、多くの人々が観戦に訪れるが、それが尚更に各屯所を奮い立たせる結果となっていた。

 武術大会の前日、クジョウはシンカゲに連れられて実際に試合が行われる演習場へと向かった。

「どのような場所で戦うか見ておいた方がいい。本番はやはり緊張するからな」

 言いながら、シンカゲは慣れた足取りで演習場の門をくぐった。後に続きながら、クジョウは辺りを見回した。外からは高い壁で見ることが出来なかったが、内部は広い楕円形になっていた。砂地の地面には赤い粉で線が引かれ、明日の試合に向けていくつかの区画にわけられている。それぞれの区画で試合が行われるのだろう。てっきり外と同じ垂直の壁が囲んでいるものと思っていたが、ぐるりと周囲を取り巻いて階段状の観客席が設けられている。

 演習場には、同じような目的で事前に試合会場を見に来たのか、ちらほらと人の姿があった。見たことのない姿は、他の屯所の兵士達だろう。

 と、その時シンカゲが立ち止った。つられるように立ち止りその顔を見上げたクジョウは、思わず息を呑んだ。シンカゲが目を細めている。その横顔は、普段の彼からは想像もつかない鋭い気配を纏っていた。シンカゲの視線を追ったクジョウは、前方から近づいて来る男達に気付いた。中心の一人が、シンカゲに声を放った。

「よう、久しぶりだな、シンカゲ」

「お前に親し気に名を呼ばれたくはないな」突き放すような硬質な声音。言われた方はわざとらしい笑い声をあげた。背後の男達に聞かせるため、というようにクジョウには思えた。

「さすがカガリ一族様だ! 俺達には名も呼ばれたくないとさ!」

 シンカゲは表情一つ動かさず、男を見詰めている。挑発には乗らぬと、沈黙の内に示していた。男の顔が腹立たしげに歪む。その眼差しがクジョウへと移った。

「えらく可愛らしいのをつれてるじゃねえか」

 シンカゲが素早く一歩前に進み出ると、背にクジョウを庇うようにして立った。

「口で喚くことなら誰でも出来る。俺に文句があるなら、武術で勝負をするんだな。それならまともに相手をしてやる。尤も、その度胸がお前にあれば、だがな」

 シンカゲの声は抑えられた低いものだったが、尚更に凄味を感じさせた。男が一瞬怯んだような様子を見せ、その顔がみるみる朱に染まった。怒りのためか、あるいは気圧されたことへの羞恥か、クジョウにはわからなかった。クジョウからシンカゲの顔は見えなかったが、シンカゲの氷のような瞳が殊更に冷たい光を放っているだろうことはわかった。そのような時、精悍に整ったシンカゲの顔立ちは、見る者を圧する迫力を醸し出す。

「てめえとはいつか決着をつけてやる」

 男はシンカゲに詰め寄るようにして言うと、傍らを通り過ぎて行った。他の者達がその後を追う。

 男達の気配が遠ざかると、シンカゲは小さく息をつき、クジョウを振り返った。そこには先程までの鋭さは既になかった。

「嫌なものを見せてしまったな」

「さっきの連中は他の屯所の……?」

「ああ、そうだ。北方きたかたの連中なんだが、以前から何かと因縁をつけられている」

 東方ひがしかたは北方と相性が悪い。武術大会では東方と北方が大抵優勝争いをするため、屯所同士の対抗意識が強いのだ。血気盛んな若い兵士達の衝突は日常的に起こっている。だが、先程の相手はシンカゲ個人に悪意を持っているようだった。それを言えば、シンカゲは苦々しく頷いた。

「北方は資金面で有力商人のクマガヤの援助を受けているんだが、そのクマガヤがカガリと相性が悪い。北方の中にはカガリの身内というだけで何かと言いがかりをつけては喧嘩をふっかけてくる者がいる」

「今まで、絡まれて喧嘩沙汰になったことがあるのか?」

「まあな」言葉少なにシンカゲは答えた。シンカゲの様子から、相手に負けたということはなさそうだが、理不尽な理由で敵視されるのはシンカゲにとって不愉快なことに違いない。思わず黙り込んだクジョウに、シンカゲは気を取り直すように笑みを向けた。

「屯所に戻ろう」


 演習場から屯所へと向かいながら、シンカゲはさり気なくクジョウの気配を探っていた。予期せぬこととはいえ、嫌な場面を見せてしまったと思う。クジョウの様子に変わったところはなく、僅かに視線を伏せて歩いている。

 ――えらく可愛らしいのをつれてるじゃねえか。

 男の言葉を思い出し、顔を顰める。あの時、思わずクジョウの姿を隠すように背に庇っていた。男の言葉が不快だったせいもあるが、男の目にクジョウの姿を晒したくないという思いが確かにあった。クジョウが男ではないと知ったのは昨日。その後シンカゲはクジョウに対して別段態度を変えはしなかった。クジョウに抱く印象が変わらなかったせいもあり、自然と普段通り接していたのだが、やはりどこか女性であることを意識しているのかもしれない。尤も、クジョウを男だと信じていても同様の行動をとったかもしれず、シンカゲにもしかとはわからなかったが。

 シンカゲ自身には一つだけ確かな変化があった。これまでとは異なり、シンカゲはクジョウの何気ない動作にも注意を払うようになっていた。そうすると、今までは気付かなかったことが少しずつ見えてくる。シンカゲの歩く速度がクジョウには速過ぎたらしい、と気付いたのは今朝のことである。人が多い程、まるで見られるのを避けるように顔を伏せる癖があることにも気付いた。そして時折、祈るように瞳を閉じて左耳の耳飾りに触れている。

 クジョウの一つ一つの動作が、シンカゲには新鮮だった。女性に特有の甘やかさや柔らかさは感じられないが、かわりに張り詰めた静けさとたゆたうような独特の間合いがある。

 以前クジョウを公衆浴場に連れて行ったことがあったが、知らぬこととはいえ悪いことをしたと思う。裸を晒すことを厭い公衆浴場を利用しない人も多いため、あの時のクジョウの様子もさほど気にとめていなかったが、男でない身ではさぞ気まずかっただろう。

 クジョウが何故男として生きているのか――たった一人で蠱使いとして生きて来た、その生き方自体と何か関係があるのだろうか。各地を渡り歩く蠱使いは圧倒的に男が多い。女性の蠱使いがいないわけではないが、単独で行動する者は少なかった。クジョウが男として生きているのも、女性であるからこそ付き纏う危険から身を守るためなのかもしれない。

 だがそうであるならば、何故シンカゲ達とともにリュウドウに来てからも、男として日々を過ごしているのだろうか。蠱使いとして便宜上男を装っているだけであれば、常に男である必要はない。シンカゲには、クジョウが男として生きる、もっと深い理由があるような気がしてならなかった。それを、知ろうとは思わない。そこまで踏み込む権利は己にはないとシンカゲは思う。あるいは、クジョウが男で在り続けるのは、シンカゲ達を信用していないせいかもしれないのだ。

 クジョウは何時かリュウドウを去るつもりでいる。シンカゲはそう確信していた。リュウドウに来た時の姿のままリュウドウを去る、それならばそれでいいと思う。カガリはクジョウをリュウドウから出すつもりは毛頭ないようだが、シンカゲは違った。カガリの意に背いてでも必ずクジョウに自由を返すと、心に決めている。

 自由こそがクジョウの望むものだとシンカゲはこの時信じていた。

 クジョウが男ではないということを、シンカゲは淡々と受け入れてしまいました。はい、そういう男です。当初はもう少し取り乱す設定を考えていたのですが、「なんか違うな」と。女性だからといっていきなり気持ちや態度を変えるような男は嫌だな、という書き手の思いのせいで、シンカゲがどんどん冷静な男になってしまいました。でもそのうち熱い面も出てくるはず。

 ……むしろ書き手がもう少し熱くなるべきか??

 何はともあれ、今後ともよろしくお願いいたします!

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