第四章
公会議が行われるのは街の中心にある中央執政会議場である。リュウドウが街として栄え始めた当初から存在する石造りの建物は、厳めしい雰囲気を帯びている。建物のほぼ中央部にある公会議場では今まさに公会議員達が集い、定例の会議が開かれていた。
淡々と進む会議の中、カガリは椅子にゆったりと座りながら、目の前に集う公会議員達を見詰めていた。公会議員は八人のうち半数を職人組合の代表者が、そしてあとの半数を商業主の代表者が占める。議長は一月交替の持ち回りで、今は職人の代表者の一人が務めていた。
公会議員はいずれもカガリより十以上年長の者ばかりである。さして大きな議題があるわけでもなく、生産状況と商品取引における価格の変動についての報告を読み上げる議長の声ばかりが響いていた。公会議員達の顔はどれも茫洋として掴みどころがない。だが、それが見せかけでしかないことをカガリはよく知っていた。特に商業主から選ばれた者達は、表面上は協調関係を築いていても、決して内心を見せようとはしない。それが商人の在り様と言ってしまえばそれまでのことだが、少なくとも公会議員だけに限って言えば、内心を見せられぬ事情というものがある。
――それも一つだけというわけではない、とカガリは思う。
「本日の議題は以上ですが、他に何かありますか?」
議長が読み上げるための原稿を机に置き、集う面々を見回した。その視線が、束の間カガリの所でとまる。カガリは眼差しだけで答え、おもむろに言った。
「私から一つ、申し上げたいことがあります」
視界の端で商業主の代表者の一人が露骨に顔を顰める。カガリはそれに気付かぬふりで言葉を続けた。
「最近リュウドウに入る原材料に粗悪品が多く混ざっているとの報告が上がっています。特に鉄鉱石は二割から三割が粗悪品だということです。早急に対策を打つべきではないでしょうか」
「それはいかん。対策が必要ですな」これは議長の言葉である。些か反応が速過ぎるが、仕方なかろう、とカガリは思う。老境に差し掛かった愚直な職人肌の男に、そもそも腹芸は出来まい。
「私はそのような話は聞いておらん。報告と言うが、それは信憑性があるのか?」
言ったのは、先程顔を顰めた男――五十がらみの商業主である。名をクマガヤという。
「はい。鉄鋼職人組合から詳細な報告を受け取っています。ここにありますので、後ほどお渡ししましょう」
「それは用意のいいことだな」
カガリはにこりと笑み、「ありがとうございます」と一言、益々渋面になる相手から目を逸らし、一同を見回した。
「私の提案といたしましては、二点あります。一つには、現在リュウドウに流れ込む原材料の検査を担っている検査所係官の異動を行い、より精確な技量を有する者に変えること、そしてもう一つは、今後粗悪品が流入せぬよう検査の段階だけでなく、原料の調達に関する契約をより厳密に審査する審査機関を創設することです」
「審査機関だと」密やかなざわめきが起こる。
「人選はどうするつもりだ。今の係官も厳正な審査の上選んだ筈だ。人をかえるとなると他の商業主や職人組合も黙っていないぞ」再びクマガヤの声。カガリはクマガヤを正面から見据える。
「鉄鋼はリュウドウの基幹を支える産業です。その中でも特に武器生産技術が抜きん出ているからこそ、リュウドウは他国と伍していけるのです。しかし原材料そのものが粗悪となれば、リュウドウの基盤を揺るがしかねません。早急に改善しなければなりません」
これに反論は出なかった。カガリの言葉が的を射ていたせいである。
「係官の人選に関しては職人組合の皆様にお願いしたいと考えております。審査機関につきましては、公会議員の商業主と職人組合の代表者から数名、そしてこちらも職人組合に専門的な知識を有する職人を複数名選んでいただきたい」
「それでは商業主の意向は反映されない! これまで係官の任命権は我ら商業主にあったではないか!」
「そもそもそれが間違いだったのです。商業主は物を売るのが仕事、原材料の検査に関しては素人同然です。実際に原材料から物を作り出すのは職人、ならば職人が係官を選ぶのが道理でしょう」
「だが検査係官は原材料の良し悪しだけがわかればいいというわけではないぞ。原材料の価格に関しても妥当なものか否かを見極めねばならん。そのようなことが職人に可能とは思えん」
「それは聞き捨てなりませんな!」職人組合の代表者達から、クマガヤに非難の声が飛ぶ。カガリは身ぶりでそれを抑え、言った。
「無論、全てを検査係官に任せるのは負担が大きすぎます。ですから、審査機関を置くのです。検査係官は原材料の厳密な検査を、そしてその結果を踏まえ、審査機関で価格を含めた契約全般の検討を行います。専門的な知識を有する職人からの意見を聞きながら、我ら商業主も精査に当たります。そうすれば漏れ落ちはありません」
理路整然としたカガリの言葉に、職人組合の代表者達が賛同の声をあげた。クマガヤ以外の商業主達も賛意をあらわす。
「クマガヤ殿、いかがですか?」
クマガヤは真実憎々しげな表情をカガリに向けたが、既に趨勢は決まっている。不承不承といった様子で頷いた。
「では職人組合の方で検査係官と審査機関に参加する職人の選定を行うこととします。他に何かある方はいますか?」
議長の言葉に答える者はおらず、公会議は終了した。
中央執政会議場を出たカガリは、クマガヤに呼び止められた。でっぷりと突き出た腹を揺すりながら、クマガヤが近付いて来る。
「いやはや、またしてもしてやられたな」
「何のことでしょう」カガリは立ち止って相手の顔を見やる。
「惚けることはない。鉄鋼組合からの報告書といい、議長の様子といい、どうせ職人組合の方にはじめから根回しをしていたんだろう」
「さあ、何のことやら」
あからさまに惚けるカガリにクマガヤは舌打ちでも漏らしそうな表情である。商業主と職人組合が元来険悪な間柄であることは周知の事実、そのような中で例外的にカガリだけが職人組合と密な繋がりを築いているのは誰もが知っている。それこそがカガリの強みであり、他の商業主達から抜きん出る要因の一つだ。
「職人組合にばかりすり寄っていると、そのうち、足元をすくわれるぞ」
脅しともとれるクマガヤの言葉だったが、カガリは涼しい顔を崩さない。笑みを浮かべて言った。
「そういえばクマガヤ殿は御存じですか? どうやら粗悪品を見逃していた検査係官の懐には、最近法外な金が入っていたようですよ。係官の職だけでは到底得ることはかなわぬような額だとか。どうにも奇妙な話ですね。しかも原材料の提供元とリュウドウの商人の間で裏取引が行われ、粗悪品が流れるよう手配すれば、商人が提供元からこれまた莫大な金銭を受け取ることになっていた、とか。それが仮に真実であれば、係官はその商人に買収でもされていたんでしょうね」
「それはまたひどい噂だな。だが噂は噂だ」
「ええ、無論根も葉もない噂だと信じておりますが、もし真実ならばその商人はただでは済みますまい」
カガリの言葉に沈黙が落ちる。クマガヤの表情に一瞬、閃くように憎悪が浮かび上がった。カガリに顔を近付け、クマガヤは低く囁いた。
「忠告しておいてやろう。若造が、あまり賢しらになるものではないぞ」
言うや、クマガヤは道に止められた馬車へ歩み寄ると、その中に姿を消した。騒々しい音をたてて走り去る馬車を見送ることなく、カガリは己の屋敷へと向かった。
クマガヤが粗悪品の一件に絡んでいることは間違いない。だが、それを明らかにすることは難しいだろう。海千山千の古狸が、そう容易く尻尾を出すわけがない。
(打撃を与えることが出来ただけ、よしとするしかあるまいな)
カガリは思う。
クマガヤは本来己が潤うことだけを求める男だ。公会議員になるのもそのため。クマガヤが公会議員に選出されるためにばらまいた金よりも、己に便宜をはかってもらおうとする商人達からクマガヤの懐に転がり込む金の方がはるかに多いだろう。公会議員制度がもたらす悪弊である。
公会議員の中で最も力を有するのがカガリであることは自他ともに認める事実だが、いまだ旧態依然とした体制にしがみつく商業主は多い。クマガヤはその典型だ。カガリはそのような輩をこのままのさばらせておくつもりはなかった。リュウドウに変革をもたらす、その思いに迷いはない。
足早に進むカガリの顔は、固い決意に引き締まっていた。
リュウドウの四方に配置された兵士団が一同に会し、武術大会が開催される。そのことをクジョウが知ったのは、武術大会が開催される僅か五日前――体術の鍛練の後、シンカゲが発した「クジョウも出場してみるか?」という言葉がきっかけだった。
「武術大会!?」
目を丸めたクジョウに、シンカゲは頷く。
「ああ、毎年初夏に開催される。どの屯所が最も優れているか試されるわけだから、皆思い入れが強い」
そういえば、少し前から兵士達がどこか落ち着かない様子だった、とクジョウは思う。だが、体術の鍛練以外は医療所に籠っているため、武術大会のことなど全く知らなかったのだ。
「俺が、そこに出るのか? まだ全然体術をものに出来ていないのに……」
「試合はそれぞれの階級や段階ごとに行われる。クジョウのようにまだ鍛練をはじめて間もない者達だけの組で試合に出れば、それほど実力の差はないと思うぞ」
シンカゲはクジョウの表情に苦笑する。
「別に強制じゃないから、出るかどうかは自由だ。クジョウは正式な自由兵士というわけでもないしな。ただ、力試しのいい機会になる。どれ程力がついたか、試合に出ればわかるからな。出てみるか?」
喉元まで出かかった否、という言葉をクジョウは呑み込んだ。以前ならばすぐにでも断っただろう。だがその答えが出ない。何故なのか己でもわからぬまま黙り込んだクジョウに、シンカゲは言った。
「今すぐ答えなくてもいい。出る気があるなら言ってくれ。三日前までには出場者を届け出ることになっているから」
「……わかった」
シンカゲは、よし、とでも言うようにクジョウの肩を叩くと離れて行った。その背を見送り、クジョウは小さく溜息をついた。
シンカゲの鍛練を受けるようになって二箇月ほど、基礎は身についてきたが、それでも未熟であることには変わりない。防衛術はまだしも攻撃術に関してはどうしても身が竦んでしまう。勘は悪くない、とクジョウを評するシンカゲからは、何故攻撃に転じると途端に動きが鈍るのか、と首を傾げられていた。
他者に痛みを強いることを厭うという、どうしようもない己の性に原因があるのだと――到底シンカゲには言えぬクジョウである。
やはり断るべきだ。クジョウは思う。おそらく屯所を出る時までシンカゲと顔を合わせる機会はあるまい。屋敷へ戻る時に、出場しないことを伝えようと心に決めた。
夕刻、屯所の門に向ったクジョウは、シンカゲの姿を見つけ駆け寄った。
「シンカゲ」呼びかけると、笑みが向けられる。並んで歩き出し、クジョウは早速切り出した。
「あのさ、昼間に話していた武術大会のことだけど」
と、その言葉が唐突に響いた澄んだ声に遮られた。道の向こうにアワユキがいた。
シンカゲの名を呼び歩み寄ってくるアワユキに、クジョウは続く言葉を呑み込んだ。道行く人々が、アワユキを振り返る。クジョウも、アワユキの美しさに見惚れていた。結いあげられ柔らかな光沢を放つ髪がアワユキの容貌を引き立たせ、女性らしい体の曲線を優美に浮き上がらせる衣が、彼女の動きにあわせて揺らめく。シンカゲに向けられた表情が、尚更にアワユキの魅力を引き出していた。
「どうした」引き比べ、何とも素気ないシンカゲの言葉である。
「迎えに来たのよ」拗ねたような口調でアワユキは言うと、シンカゲの腕を引いて歩き出した。シンカゲがさり気なくアワユキの手から身を引くと、アワユキの表情に一瞬激しい色が奔った。クジョウは慌てて目を逸らす。自分一人がとんでもない邪魔者になった気分だった。
アワユキは再び、シンカゲに華やかな笑みを向けた。
「シンカゲ、今年の武術大会では必ず一番になるわよね。去年はもう少しのところで二位だったから、今年こそ優勝してね」
「そう簡単にはいかない」
「いいえ、シンカゲなら必ず優勝出来るわ。少なくとも北方の連中には勝ってもらわなくちゃ。あの連中、本当に腹が立つんだから。後ろ盾にクマガヤ様がいるからって、大きな顔をしちゃって」
「おい、アワユキ」
嗜めるシンカゲの口調を気にした様子もなく、アワユキはシンカゲ越しにクジョウを見やった。
「あなたも武術大会には出るの?」
「まだ、決めていない」
「あらそうなの。ねえ、シンカゲ。私精一杯応援するわね。絶対負けちゃだめよ」
「わかったよ」
どこか呆れたような、しかし柔らかなシンカゲの口調である。アワユキは嬉し気に微笑むと、「約束よ」と囀るように言った。
二人から少し遅れて歩いていたクジョウは、周囲の人々がシンカゲとアワユキの姿を、ちらちらと見ていることに気付いた。少し前、アワユキが屯所までシンカゲに会いに来た一件は、屯所内部だけでなく街の人々にも広まっていた。カガリの身内としてだけではなく、その容姿でも注目を浴びる二人である。二人が恋人同士だというまことしやかな噂は、今では真実として人々に信じられている。
クジョウは、実際には二人が恋人同士ではないことを知っている。今のところアワユキの一方的な片思いであるらしい。だが、まるであつらえたような二人だと思う。並び歩く姿は美しかった。
互いが互いのためにあるような――そう思い、胸が塞がれたように、息が詰まった。
(馬鹿だ。何を辛く感じる必要がある……)
心中に呟く。己自身の愚かさに唇を噛み締めていた。辛く感じるのは、己がアワユキと同じ線上にいると思い違いをしているせいだ。己とアワユキとでは立つ土台がそもそも違う。遠くかけ離れた地平で、二人を見詰めているだけだ。アワユキのように、シンカゲに微笑みかけることは出来ない。そして、シンカゲがアワユキに向けるような笑みを、クジョウに向けることはないだろう。
やがて屋敷が近付くと、アワユキは弾む足取りで門の中へと駆けこんで行った。見ると、カガリの姿が扉の前にある。クジョウがカガリを見たのは数える程、言葉を交わしたことさえない。兄妹で楽し気に語り合う姿を見ながら、クジョウはシンカゲへと近付く。
「ああ、今日は公会議の日だったか」シンカゲは呟き、思い出したようにクジョウを振り返った。
「クジョウも、武術大会では応援してくれ。去年二位になったせいで今年こそ勝てと周りがうるさくてかなわん」
「俺も出るよ」
シンカゲが目を瞬いた。意図せずに零れ落ちた言葉に、クジョウ自身も驚いていた。あれ程断ろうと思っていたものを――だが、すぐに心を固める。
「俺も武術大会に出る」繰り返し、シンカゲを見上げる。シンカゲは暫く無言だった。クジョウの煮え切らぬ態度に、出場はしないものと思っていたのかもしれない。と、シンカゲが大きく笑んだ。
「そうか」ただその一言、向けられる瞳の柔らかさに、クジョウは顔を伏せた。
これだけで満足すべきなのだ。これ以上を望むべきではないのだ。
――望めよう筈もないのだ。
何時か、この地を去る時に、シンカゲの笑顔を胸に刻んでいれば、それでいい。
クジョウは眼差しを上げる。次第に日が長くなり、夕刻とはいえ空は明るい。遠くたなびく細い雲が微かにオミナエシの花の色を帯びていた。
物語が予期せぬ方向に動き出しました。カガリの部分、はじめは全く考えていなかった展開です。でも、こういうことって考え出すと楽しくて、ついつい広げてしまいます。
ではでは、今後ともよろしくお願いいたします!