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魄、落つる  作者: 高原 景
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序章

 クジョウは足を止め、巨木の梢をすかして天空を仰いだ。空は一面淡い雲に覆われているが、吹く風に雨の兆しはない。風の匂いをかぐように、くん、とクジョウは鼻を鳴らした。それに応えるように、足元できゅるる、と鳴き声がする。突然立ち止まったクジョウに、がつぶらな瞳を向けていた。一見すれば栗鼠のように見えるだろう蠱に、クジョウは笑みを向けた。

「もう少し行こう」

 クジョウが言うと、蠱はふっさりとした尾を振りたてて駆け出した。クジョウは肩に担いだ荷物を軽く揺すり、再び樹海を進んだ。本格的に森に入る時とは違い、ごく軽微な装備である。夜までには森の外に出るつもりだった。

 樹海の濃厚な色彩は、空気をも染めて辺りを満たしている。クジョウは蠱の影を追いながら、注意深く周囲を探った。

(やはり、森が動いたか)

 予測していたことではあるが、予想以上に変化が大きい。少し前にこの場所に来た時には若木が多かった。だが、今は大人三人でも抱えきれぬ程の巨大な幹が目につく。森が動くこと自体は珍しくはなかったが、広範囲の木の成長を一気に促すような変化は珍しい。

はくが、生まれたのか……)

 思わずそう考え、クジョウは自身の思考に顔を顰めた。数年に一度、森が大規模に動くことがある。そのような時に、決まって人は魄が生まれたのだと囁き合う。僅かに眼差しを下げたクジョウは、ちち、という声にはっとする。蠱が四肢を踏ん張るようにして、体を膨らませていた。

「どうした」クジョウは地面に膝をつくと、蠱の滑らかな背に触れた。蠱の警戒が指先から伝わってくる。どれほど深く蠱と繋がっていても、蠱が伝えるものを読み取るのは難しい。クジョウは意識を澄ませる。蠱の波動に自身のそれをあわせて目を閉じた。次第におぼろな像が脳裏に浮かびあがる。

 何かが――地面の底を、奔っている。非常な勢いで……。それは縺れるように疾駆し、不意に地上へと湧きあがった。その力の余波に、森が蠢いた。ざわざわと梢を鳴らし、木々が天へと伸び上がる。幹がめりめりと膨張する。急激な変化に数本の木が地面にどう、と倒れる。

 蠱が捉えた光景――凄まじいまでの森の変動は、蠱使いのクジョウでさえ今まで目にしたことがないほどの規模だった。

 と、その時、ずずんと大地が揺れた。蠱を通さずともわかるそれに、クジョウは目を見開き立ち上がった。どうやら力の波はまだ続いているらしい。蠱がクジョウの腕を駆けあがり、肩に蹲った。

「今日は帰った方がよさそうだな」

 クジョウは呟くと、踵を返した。またも、森が動いた。幸い距離があったせいで巻き込まれることはなかったが、こうも森が不安定な状態では蠱使いといえども身の危険を感じる。やはり、とクジョウは先程の思いを改めて抱く。

 ――やはり魄が生まれたのだ。

 クジョウは努めて表情を消すと、足早に森の外へと向かった。


 

 街の大通りを、一人の青年が駆けていた。

 夕暮れに染まる頃合いである。家路を辿る人々は、簡素な鍛練着で走り抜ける青年に好奇の目を注いだ。街の人々は、誰もが青年の名を知っていた。常ならば飄々と街を闊歩する彼が、今は脇目も振らぬ様子――これは珍しい。

「シンカゲ、えらく急いでいるじゃないか!」

 露店の店仕舞いをしていた壮年の男が声をかける。青年は「ちょっとな」と一声、足を緩めることなく通り過ぎた。道端で一塊になった娘達が、小波のような嬌声を上げる。

 シンカゲがカガリから呼び出しを受けたのは、剣術の鍛練の途中だった。衣服を改めなかったのはカガリの使者が彼に伝えた言葉のせいだったが、どうやら普段とは違う彼の姿もまた注目を集める原因のようだった。シンカゲは街の人々に見られることに抵抗はなかったが――カガリの身内であれば、いやでも見られることに慣れざるを得ないのだから――若い娘達が向ける秘密めかした含み笑いには、内心うんざりとした。

(何が可笑しい)

 心中に毒づきながら、シンカゲはさらに足を速めた。彼は自身の容姿が娘達にとってどれほど魅惑的であるかなど気にもしていない。それ以前に気付いてすらいないのだ。娘達にとっては、シンカゲの引き締まった長身も、無駄のないしなやかな体つきも、そして涼やかに精悍な顔立ちも、全てが魅力だろう。左頬の頬骨から耳と顎の丁度真中あたりへと斜めに走る傷跡さえ、顔立ちを損なうどころか鋭さを際立たせるものとなっていた。

 日中露店の建ち並ぶ道は、既に閑散としている。漆喰の家壁は夕暮れの色を映し、柔らかな夜の気配が近い。シンカゲが向かう屋敷は、街のほぼ中心部にある。そのことが、自由都市リュウドウの実質的な支配者であるカガリの権勢を如実に示していた。

 漸く屋敷に辿り着くと、シンカゲは門扉を走り抜けた。私兵が小さく会釈するのに片手を上げ、カガリが待つ部屋へと急いだ。階段を二段飛ばして駆け上がり、廊下の奥の扉を叩きもせずに開けた。

「早かったな」

 面白がるように言ったのは、部屋の奥に佇む男、カガリである。歳は三十になるやならず、といったところ。短く刈り込んだ髪が四方八方に飛び跳ねているシンカゲとは対照的に、きっちりと撫でつけた黒髪が、男の端正な容貌を引きたてている。

「早く来いと言ったのはそっちだろう」

「その通りだ。それにしても早い」

 僅かに笑みを含ませて言ったカガリだったが、すぐにその眼差しは真剣なものとなった。

「お前に頼みたいことがあってな。すぐにハザカイに向かってもらいたい」

「ハザカイ?」シンカゲは思わずカガリの言葉を遮る。「東の森のきわじゃないか」

「ああ、そうだ。すぐに出ても着くのは明日の朝になるだろう」

「夜通し走れってのか?」

 シンカゲは呆れたように呟きながらも、カガリの落ち着いた声音の底に潜むものに気付いていた。

「一体何があった?」

「ラザンに送っていた使者が、帰路森に呑まれた。使者はラザンからの密書を持っている。お前は使者達を探し出し、無事密書を私に届けてほしい」

 シンカゲは目を見開いた。驚いた理由は幾つもある。だが、シンカゲは敢えてそれを口には出さず、最も無難な言葉を選んだ。

「蟲使いはつれていなかったのか?」

「無論、つれていた。だが、どうやら急激に森が動いたらしい。蠱使いの蠱が先程言葉を伝えて来た。森に呑まれ方向を見失った。自力で森を出ることは出来ない、とな」

 ただ事ではない。森を渡るのに蠱使いの存在は必要不可欠だが、蠱使いとて万能ではない。そして蠱使いは蠱がいなければただの人である。それにも関わらず蠱を飛ばして危機を伝えてきたのならば、真実森に呑まれ出口を見失ったのだろう。

「蠱使いの言葉を伝えた蠱はどうした」

「消滅した。力尽きたのだろう」

 それでは蠱使いも無事ではすまなかっただろう。それ程に、蠱使いと蠱の繋がりは深い。

「今から向かうにしても蠱使いが必要だ。そんなに急激に森が動いたのなら……」

「信頼出来る蠱使いがいない。蠱ならお前も持っているだろう」

 シンカゲが顔を顰めるのにも構わず、カガリは続けた。

「蠱使いは無理だが、腕の立つ者を一人連れて行け。そうだな……スイレンあたりがいいだろう」

 反駁しようとしたシンカゲは、しかし一つ溜息をついて言葉を呑み込んだ。カガリの表情から、シンカゲが何を言ってもカガリが意見を変えないだろうことはわかっていた。

「わかった。すぐに向かうから、蠱が伝えただいたいの場所を教えてくれ。それと……アワユキの市場巡りに明日付き合うことになっていたから、無理になったと伝えておいてくれ」

 カガリが途端に顔を歪めた。それにシンカゲはしてやったりと内心ほくそ笑んだ。何もかもカガリの言いなりというのは面白くない。アワユキの不機嫌の相手くらいはさせたいものだ。しょうがないな、とカガリは呟き、傍らの卓に置いていた小さな布袋をシンカゲに向かって投げた。受け取ると、ずしりと思い。路銀だろう。

「換え馬はいくらつかってもかまわん。ただし、事情はくれぐれも余人には悟られるな。蠱の伝言はすぐに渡すから、準備をしてこい」

 シンカゲは頷くと、部屋を後にした。


 空を染め上げる紅が冷涼とした宵藍に沈む頃、リュウドウの街を二つの騎影が走り出た。一路東を目指してひた走るその姿は、ひたひたと押し迫る夜の帳の向こうへと消えた。

 読んでいただきありがとうございます。

 「最果てに天深く」と並行して、無謀にも新しく「はく、落つる」をはじめてしまいました。「最果て~」は既に書いたものを投稿していますが、こちらはできたてほやほや、書けたものから投稿していきます。

 「最果て~」とは違う風味にしたい、と思い、書き手的には結構挑戦しているつもりです。「最果て~」がどうしても文章量が多く流れが止まりがちなので、こちらは物語のペースをもう少しはやめて量的にも減らそうかな、と。ストーリー的には「最果て~」ほど入り組んだものにはならないと思います。そして最大の難関、書き手が最も苦手とする「恋愛」をメインに据えています。ちゃんと「恋愛もの」になるんでしょうか。……不安。

 物語の大筋だけ決めているので、この先どんな風に物語が動いていくのか、怖いような楽しみなような。結構さかのぼって修正することもあるので、大幅に修正した場合は、あらすじに入れてお知らせします。(もちろん、そんなことがない方がいいのですが……未熟な書き手でして、ご了承ください。)

 何はともあれ、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

 今後ともよろしくお願いいたします!


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