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甘く誘う冬の悪魔  作者: まっちゃ
第二週 濁る吐息に溶ける華
14/32

2/14 手から手へと、映るは爆薬

こんにちは、まっちゃです。1日1話、14日目。タイトル、誤字じゃないですよ? バレンタインスペシャルってことで、ちょっと字数は多いです。

二月十四日。

朝、目覚めた瞬間に、雪宮悠は「今日は何かあったはずだ」と思った。

それが何かは分からない。ただ、思い出せないこと自体が、ひどく静かで、ひどく正しかった。


カレンダーの数字は赤い。

けれど祝日ではない。

街はいつも通り動き、今日は学校もある。

特別な日である理由は、どこにも書かれていなかった。


制服に着替え、いつもの時間に家を出る。

空気は昨日よりも柔らかい。

吐く息が、白くならない。


――もう、冷えなくなったんだな。


そう思って、悠は少しだけ安心する。

安心してしまったことに、疑問を持たずに。


登校途中、誰かの笑い声が聞こえた。

チョコレートの袋を持った女子生徒たちが、楽しそうに話している。

二月十四日。

その日付と光景が、ようやく結びつく。

「……ああ」

声にならない納得が、喉の奥でほどけた。

関係ない。

自分には。


そう結論づけるのに、努力はいらなかった。

傷つきもしない。

期待もしない。

だから、失望もしない。


完璧な防御だ。


教室に入ると、空気が少しだけ浮ついている。

机の上に置かれた小さな包み。

隠すように、渡されるもの。

それらを、悠は風景として眺める。

――遠い。

こおりは、まだ来ていない。

灯の姿も、見えない。


そのことを確認しても、胸は動かなかった。

昨日、十三日の金曜日で、もう削げ落ちた部分だ。


席に座り、鞄を掛ける。

机の中に、何も入っていないことを確かめる。

当然だ。

自分は、何も受け取らない側の人間だ。

「……あ」

不意に、視界の端に影が差す。

「おはよ、悠」

紅羽灯だった。

いつもより少し早い。

手には、小さな紙袋。


包装は簡素で、派手さはない。

それが逆に、現実味を帯びていた。

「はい」

差し出される。

躊躇はない。

照れもない。

幼馴染が、飴を渡すみたいな動作。

「別に、深い意味ないから」

先に、そう言った。

逃げ道を、完璧に用意する声色で。


悠は、一瞬だけ迷う。

断る理由は、ない。

受け取る理由も、ない。

――でも。

「……ありがとう」

手が伸びる。

紙袋が、指先に触れる。


その瞬間、

何かが、静かに移った。

重さはない。

音もない。


ただ、確かに。

手から手へと、何かが受け渡された。

「じゃ、後でね」

灯はそれだけ言って、自分の席へ戻る。

振り返らない。

期待しない。確認しない。


それが、優しさだと、悠は知っている。

紙袋を、机の中にしまう。

開けない。

開ける理由が、見つからない。

それなのに、そこに在ることだけは、はっきりと分かる。


授業が始まる。

チャイムが鳴る。ノートを取る。板書を写す。――鴉が啼く。

いつも通り。

何一つ、変わらない。

――なのに。

胸の奥で、

「これは、持っていてはいけないものだ」

という感覚だけが、微動だにせず、居座っている。

爆発しない。

今は。

けれど、引き金は、もう手中にある。

悠はまだ、それを握っている自覚すらない。


その日の正午、誰も死なず、誰も泣かず、世界は平和だった。


だからこそ、この爆薬は、誰にも見つからない。

――見つからないまま、確実に、次の日へと持ち越される。


昼休み。

教室の喧騒は、午前よりも露骨だった。

机を寄せ合う音。小さく笑う声。

包みを受け取った瞬間に生まれる、ほんの一秒の沈黙。


悠は、それらをすべて「音」として処理していた。

意味を結びつけない。

感情を呼び出さない。


それができてしまう自分に、もう驚きはない。

机の中にある紙袋は、触れなければ存在しないのと同じだった。

少なくとも、そう思おうとすれば、思えた。

「……雪宮」

名前を呼ばれて、顔を上げる。

同じクラスの男子だった。

特別親しいわけでも、疎遠でもない。

「今日さ、用事ある?」

首を振る。

考えるまでもない。

「そっか」

それだけで会話は終わる。

理由を聞かれないことに、安堵はない。

当然の結果だった。


誰かに予定を聞かれること自体が、久しぶりだったことに気づいても、

それを「寂しい」と名づける感情が、もう見つからなかった。


昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

悠は立ち上がり、机に手をつく。

その拍子に、指先が、机の中の紙袋に触れた。


一瞬。本当に一瞬だけ。

なのに、胸の奥で、鈍い音がした。


――触れた。


それは「持っている」とは違う。

「所持」でもない。

もっと原始的な、

**「繋がった」**という感覚。


指先を引っ込める。

何事もなかったように、席に戻る。


鼓動は、変わらない。

呼吸も、乱れない。


それが、かえって異常だった。


午後の授業は、内容が頭に入らなかった。

眠いわけでも、集中できないわけでもない。


ただ、「自分の内側にあるもの」を、外部から観測している感覚が、消えなかった。

――これは、何だ。

答えは出ない。

出ないまま、時間だけが進む。


放課後。

昇降口は、午前中よりもさらに騒がしい。


誰かが名前を呼び、誰かが走り、誰かが立ち止まる。

その中で、悠は靴を履き替える。

「悠」

今度は、聞き慣れた声だった。

霜原こおり。

壁際に立ち、こちらを見ている。

視線が合った瞬間、彼女は少しだけ目を細めた。

「今日、一緒に帰らない?」

問いかけは、軽い。

断られる可能性を、織り込んだ声音。


悠は、ほんのわずかに考える。

――考えてしまったこと自体が、もう、昨日までとは違う。

「……ごめん。今日は」

理由は、言わなかった。

言えなかった、ではない。

言う必要を、感じなかった。

こおりは一瞬だけ、何か言いかけて、それから小さく笑った。


「そっか。無理しないでね」


それだけ。


責めない。縋らない。

踏み込まない。

その距離感が、今の悠には、ひどく遠かった。

校舎を出る。

夕方の空は、思ったよりも明るい。


帰り道、灯の姿は、見えなかった。

――探していない。

それに気づいて、悠はようやく、はっきりとした違和感を覚える。


探すべき理由が、あるはずなのに。

探していい理由も、あったはずなのに。


それを思い出そうとする前に、

**「まあ、いいか」**という言葉が、先に浮かんだ。


その軽さに、初めて、恐怖が混じる。

家に着き、鞄を下ろす。

部屋に入る。


机の上に、鞄を置く。

ファスナーを開ける。


――紙袋は、入っていない。


一瞬、思考が止まる。


机の中。

ない。

上着のポケット。

ない。


心臓が、初めて、強く打つ。


落とした?

誰かに見られた?

そもそも、受け取ったのは――


考えが、そこで止まる。

視線が、自分の右手に落ちた。


指先が、かすかに、温かい。

理由はない。根拠もない。

それでも、「まだ、持っている」という確信だけが、そこにあった。


形がない。

重さもない。

なのに、確実に、離れていない。


爆薬は、もう「物」じゃない。


悠自身の選択に、溶け込んでいる。


夜。

布団に入っても、眠れなかった。

明日が来ることを、怖いとも、楽しみとも、思えない。

ただ、何かを渡される側から、

何かを“使う側”に、近づいているという感覚だけが、はっきりしている。


引き金の重さを、まだ、知らない。

でも、引き金があることだけは、もう、否定できなかった。


――そして、この夜が、

最後の「何も起きない夜」になる。

それを、悠はまだ、知らない。


夜は、何事もなかったように更けていった。


テレビはつけなかった。

音楽も流さなかった。

部屋にある音は、冷蔵庫の低い駆動音と、自分の呼吸だけ。


静かだ。

異常なほどに。


闇の中、一羽の鴉が空を舞った。そこには光があった。

しかし、悠にはどうでもよかった。


布団に横になり、天井を見つめる。

視界の端で、影が揺れた気がして、目を瞬かせる。


――何も、いない。


分かっている。

それでも、確認せずにはいられなかった。


右手を、胸の上に置く。

そこに「何か」がある感覚は、もう疑いようがなかった。


鼓動に合わせて、内側で、微かに振動している。

爆薬は、起爆を待っているわけじゃない。


存在を肯定されるのを、待っている。

悠は、今日一日を思い返す。


灯の声。

紙袋の感触。

こおりの、引き際のいい笑顔。


どれも、自分を責めなかった。

縛らなかった。

選択を迫らなかった。


――だからこそ。


「……ずるいだろ」


誰に向けた言葉でもない。

ただ、事実を口にしただけ。

選ばなくていい世界は、こんなにも、残酷だ。


もし、誰かが怒ってくれていたら。

縋ってくれていたら。

「選べ」と言ってくれていたら。


自分は、まだ――


そこまで考えて、思考が止まる。


「まだ」?

何が、まだ。


悠は、ゆっくりと起き上がる。

机の前に座る。


引き出しを開ける。何もない。

それでも、そこに手を伸ばしてしまう。


空を掴む指が、不意に、何かに触れた。

――違う。

触れたんじゃない。一致した。


自分の中の「これ以上、選びたくない」という意思と、

今日、手渡された「爆薬」が。


瞬間、理解する。


あれは、贈り物じゃない。

期待でも、好意でもない。

「委ねられた責任」だ。

灯は、こおりは、そして、他の誰も。

悠に何も強制しなかった。

だから、選ばなかった結果だけが、すべて、悠のものになる。

世界は、優しさを理由に、引き金を握らせた。

「……逃げ場、ないな」

呟いた声は、

思ったよりも落ち着いていた。

怖くない。

震えてもいない。

それが、何よりの証拠だった。


引き金は、もう、外部には存在しない。

誰かを傷つけるためのものでもない。世界を壊すためのものでもない。


「何も選ばなかった自分」を、確定させるための装置。


撃てば、終わる。

撃たなくても、終わる。

違いは、自分がそれを自覚するかどうかだけ。

布団に戻る。

目を閉じる。

暗闇の中で、初めて、はっきりと思う。

――明日、何かが起きる。

希望じゃない。予感でもない。

確定事項。

今日という日を無傷で通過してしまった代償が、必ず、形になる。

それは救いかもしれないし、破滅かもしれない。


けれど、どちらであっても。

もう、「関係ない」とは、言えない。


最後に、脳裏に浮かんだのは、蒼い色だった。


冷たく、澄んでいて、逃げ場のない色。

檻。

――そうだ。

自分はもう、中に入っている。


鍵がかかった音は、聞こえなかった。

けれど、朝になれば、外からは、はっきり見える。

蒼く澄んだ檻の中で、生きているという事実だけが。


瞬間、その手には引き金がかかっていた。

その銃口は――まだ、未来を向いている。

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