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甘く誘う冬の悪魔  作者: まっちゃ
第二週 濁る吐息に溶ける華
13/32

2/13 灰に残った温度に

こんにちは、まっちゃです。1日1話企画、13日目。今日は13日の金曜日。皆さんの身に、不幸が降らないことを願います。

十三日の金曜日。

けれど、目覚めた瞬間、雪宮悠はそれを思い出さなかった。


カーテンの隙間から差し込む光は、いつもと同じ色をしていた。

白すぎず、暗すぎず、ただの朝。

胸の奥を探っても、不安も、嫌な予感も、ざらついた感触も見当たらない。


――何も、ない。


それが、まずおかしかった。


祝日でもない。

特別な行事もない。

ただ、平日と平日の間に挟まれた、意味のない一日。


制服に袖を通しながら、悠は自分の心拍数を確認する。

速くもない。遅くもない。

生きていることを主張しない、行儀のいい鼓動。


台所でココアを淹れる。

気づけば、それが朝の儀式になっていた。

湯気は立つ。甘い香りもする。

なのに、鼻腔を通り抜けるだけで、体の奥には降りてこない。


舌に残るのは、温度の記憶だけだった。


「……十三日の金曜日、だっけ」


独り言は、空気に溶ける。

それ以上、思考は続かなかった。

怖がろうとしたのに、感情が反応しない。

不吉であるはずの日に、不吉さを感じられない。

それが、ひどく不安だった。


登校途中、雪はもうほとんど残っていない。

歩道の端に、汚れた白が名残のように貼りついているだけだ。

こおりの姿は、ない。

灯の姿も、ない。

それを見て、胸が痛まないことに、悠は気づいてしまう。


昨日までなら、会えなかったら理由を探していた。

姿を探し、声を思い出し、勝手に感情を動かしていた。


今日は、違う。


探そうという意志が、最初から湧かない。


「……楽、だな」


口にした瞬間、

その言葉が自分に向けられた刃だと気づく。

楽であることは、何も失っていない証拠じゃない。

何も持っていない証明だ。


教室は、いつもよりざわついていた。

理由は分からない。

誰かの笑い声が、遠くで弾ける。


悠は席に座り、鞄を机に掛ける。

視界の端で、窓の外を横切る黒い影。


鴉。


一羽だけ。

電柱に止まり、こちらを見下ろしている。


左目が、やけに暗かった。

紫紺――そんな言葉が浮かんで、すぐ消える。

次の瞬間、鴉は飛び立った。

羽音はしない。

何も残さず、消える。


まるで、

「確認しに来ただけ」みたいに。

昼休み。

悠は一人で席に残った。


誰かに話しかけられても、返事はできる。

笑うことも、たぶんできる。

でも、それ以上が続かない。

感情が、平坦すぎる。

嬉しいも、寂しいも、好意も、不安も、同じ高さで並んで、すべて無害になっている。


安全。

完璧な安全圏。


十三日の金曜日なのに、

何も起きない。

何も壊れない。

何も選ばない。

選ばない、という選択だけが、

静かに進行している。


放課後。

昇降口で靴を履き替えながら、悠はふと思う。

今日は、誰の声も思い出していない。

それが、致命的だった。


こおりの心配する声も、灯の柔らかな距離感も、

意識しなければ、思い出せない場所に追いやられている。


忘れたわけじゃない。

思い出す必要が、なくなっただけ。

それは、冷却でも、拒絶でもない。

ただの、無関心。


帰宅後、またココアを淹れる。

カップを持つ手は、震えない。

口に含んで、悠は確信する。


――これは、もう「甘い」でも「苦い」でもない。


ただの、液体だ。

温度も、味も、意味も、すべて剥がされたもの。

十三日の金曜日。

本来なら、不幸が起きてもおかしくない日。


でも、今日は違う。

不幸ですら、悠を選ばなかった。


布団に潜り込み、目を閉じる。

心臓は、相変わらず規則正しい。

静かで、安全で、何ひとつ、傷つかない夜。


――そして、気づく。


これが、

最悪の状態だということに。


呪われないという呪い。

何も奪われない。もう、何も奪われない存在になる。


灰に残った温度に、悠は虚無を見た。

翌日、その虚無に、何かが手渡されることも知らずに。

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