エピローグ
「なんだよ。東京に帰るんじゃないのか、もう一週間もこっちにいるじゃないか」
朝、いつもは寝坊する父ちゃんに「出かけるぞ」とたたき起こされ、朝ごはんもろくに食べずにセダンに乗せられた。男の二人旅。莉奈はばあちゃんと留守番だ。
「どこ行くんだよ、さっきからずっと山道じゃないか」
右へ左へぐるぐるぐるぐる。これがオリバーの言っていた山越えか。酔いそう。
「おまえももうすぐ小六だ。自分がやったことの責任は負わないといけない」
父ちゃんはぴちっとした黒のスーツ姿で、髭もちゃんと剃っている。誰かに会い行くのだ。
「責任? 家出したことならもう一生分、いやそれ以上怒られた」
あれから近所を歩くたびに「もう家出するなよ」「ばあさんに心配かけるなよ」と声をかけられるようになった。噂好きの中山さんなんてチョコパイを手に待ち構えているから逃げるのが大変だ。
ようやく山道が終わり、ひらけたところに出た。たくさんの家がてんでばらばらに建っていて、見える部分のほとんどは山と畑だ。動線を考えずに家を建てて、無理やりコンクリートで舗装したような細い道もたくさんあった。
「着いたぞ。神妙にしろよ」
停車したのは普通の民家。呼び鈴を鳴らして中から出てきた人を見てハッとする。数日前「孫を見つけてくれてありがとう」と菓子折りを持ってきてくれたおじいさんだった。
「他には誰もおりませんので、どうぞご遠慮なく」
招かれるまま中に入ると居間の仏壇に写真が飾ってあった。きれいな女の人が赤ん坊を抱いている写真だ。
おじいさんは親父には煎茶、オレにはオレンジジュースを出していろんな話をしてくれた。
東京で結婚して妊娠が分かった直後に旦那さんが蒸発したこと。
なれない育児でノイローゼ気味になって自殺未遂をはかっていたこと。
こっちに連れ帰ってきて、これからは親子三人仲良く暮らそうとしていた矢先、赤ちゃんに重い障害が分かったときの、壊れていく様子。
親父はしきりに「はぁなるほど」「それは大変でしたね」と相槌を打っていたけどオレはどうにもピンとこなかった。写真の中の幸せそうな笑顔から目が離せないでいる。
「どうして女の人は赤ちゃんと一緒に飛び降りなかったんだろう。親子なのに」
帰りの車の中で聞いてみた。親父は窓を開けて、外のやわらかな空気を取り入れてから独り言みたいに言った。
「あの高さからの落下だ、相当な衝撃になる。大事な我が子にこれ以上傷をつけたくなかったんだろう」
「そんなの勝手だ。どうせ死ぬなら母親の腕の中で死にたいじゃないか。そうじゃないと、さみしいじゃないか。……あいつだって」
急に死体のことを思い出した。死体はずっと独りで、それこそ赤ちゃんのように声を上げ続けていた。ずっと、ずっと。
「翔太。ダッシュボードに入っているチラシ、ちょっと見てみろ」
「え?」
「いいから」
丁寧に折りたたまれたチラシには『たずねびと』と文字が打ってあった。
「△△市の小学六年生。去年の秋から、ゆくえふめい……」
「翔太は知らなかっただろうが、家にも回覧板で回ってたんだぞ。友だちのところに行くと家を出て行方不明になったらしい。家族も方々探していたらしいが」
「――そう、なんだ」
写真の中の男を、オレは知らない。名前も顔もピンとこない。
だけど、たしかに面影がある。こいつは死体。オレのフレンズだ。
そう思ったら急に目蓋が熱くなった。
親父の手を伸びてきて、ぐりぐりと頭をなでる。
「離れていても愛情は通じる……と思っていたけど、そうか、翔太もさみしかったのか」
「ふざけんな、オレはもう子どもじゃないって言ってるだろ」
泣きたくないのに涙が止まらない。
死体は探されていた。こんなふうにチラシを刷ってくれる家族がいた。
良かった。
「ちょっと停まるか。なに飲む?」
停車したのは自動販売機の前だ。百円玉をもらって知らないメーカーの炭酸を買う。コーヒーを買った親父と並んでベンチに腰掛けるとしみじみと言った。
「ばぁちゃんにな、翔太が家出したのはお前がいい加減なせいだって叱られたよ。俺もいっぱい反省して、四月からはこっちで害虫駆除の仕事をやることにした」
「それ、オレも莉奈もここに住むってこと?」
「喜べ。子どもたち」
ここに住む。オリバーと同じ小学校だ。
でも……、死体はいない。
「そういえばこんな話を聞いたぞ。赤ん坊と一緒に見つかった遺骨、警察で保管していたらしいんだが今朝忽然と消えていたそうだ」
親父はニヤニヤしながらコーヒー缶を傾ける。
「今頃どこにいるのかな。早く見つけないと俺が“害虫”として駆除してしまうかもしれないぞ……あちっ」
オレが突然体当たりしたせいで派手にコーヒーがこぼれた。太もも辺りをびっしょり濡らしてワーワーわめいている。でもオレはわざと体当たりしたんじゃない。引っ張られたんだ。
なにに? 上着の右ポケットをあさると死体の指が出てきた。親父の方を示してなにか訴えている。まさか。
「おまえ、生きてるのか?」
指先がオレの方を向いた。『死体が生きてるってバカか』と笑う声が聞こえる気がする。
今度は別の方向を示した。オレたちが住む、あの街だ。
「っ――父ちゃん、早く帰ろう!」
空になった缶をゴミ箱に放り投げ、車に乗り込んでシートベルトをはめた。「なんだなんだ」と笑いながら親父が運転席に滑り込む。
「急にどうした。死体でも見つけたのか?」
「ちがうよ。お喋りで自分勝手でワガママな、どうしようもない友だちを迎えに行くんだ!」
走り出した車の中でオレの心臓はピンポン玉みたいに跳ね回っていた。
(おわり)




