閑話2:港町の日本酒論争~C₂H₅OH(エタノール)をめぐる誤解~
伏木も日本酒は大好きです。
全国津々浦々の日本酒を嗜んでいます。
全国といっても近辺の酒屋を探し回るだけなのですが。
(日本全国を回れるようなキャンピングカーとお金と時間の余裕が欲しいなあ←何もない私)
まあ、その日本酒ですが毛嫌いする方もそれなりに見受けられます。
美味い、美味くないではなく「悪酔いするから」というのが理由のようです。
さてさて日本酒は本当に悪酔いする飲み物なのでしょうか。
今回はそんな閑話となります。
【漁師の愚痴】
「いやあ、昨日はひでえ目にあったぜ」
夕方の『ナツメ亭』。カウンター席で、漁師の源さんが大きな声で愚痴をこぼしていた。
「日本酒なんか飲むからだよ。あんなもん、悪酔いするに決まってる」
その言葉に、リナは厨房から顔を出した。
「源さん、今なんて?」
「あん? だから日本酒は悪酔いするって言ったんだよ」
源さんは腕を組んだ。
「ビールなら平気なのに、日本酒飲むと次の日頭痛えし、気持ち悪いし。やっぱり日本酒は体に悪いんだよ」
「そうそう」
隣の席の若い漁師、健太も頷いた。
「俺も日本酒飲むと、すぐ顔真っ赤になるし。あれ、絶対体に合ってないって」
「でもよ、焼酎は大丈夫なんだよな。焼酎なら二日酔いしねえ」
源さんが付け加えた。
リナは包丁を置いて、カウンターに両手をついた。
「・・・ちょっと待ちなさい」
【リナの反論】
「源さん、健太君。その話、全部間違ってるわよ」
「はあ? 何言ってんだ、実際悪酔いしたんだぞ」
「だから、それは日本酒のせいじゃないの」
リナは真剣な表情で言った。
「日本酒が悪酔いするっていうのは、完全な誤解よ。化学的に説明してあげる」
「また始まったよ、リナの化学講座」
源さんは苦笑したが、リナは構わず続けた。
「いい? まず基本から。お酒に入ってるアルコール──正式名称はエタノール、化学式C₂H₅OHね」
リナはメモ用紙に化学式を書いた。
エタノール: C₂H₅OH
H H
| |
H-C-C-O-H
| |
H H
「このエタノールは、ビールだろうが日本酒だろうが焼酎だろうがウイスキーだろうが、全部同じ物質なの」
「え、そうなの?」
健太が驚いた顔をした。
「当たり前よ。違うのは濃度だけ」
【アルコール濃度の真実】
リナは説明を続けた。
「ビールのアルコール度数は大体5%。日本酒は15%前後。焼酎は25%、ウイスキーは40%くらい」
「つまりね──」
リナは指を立てた。
「源さんが昨日飲んだ日本酒、何合飲んだ?」
「えっと・・・3合くらいかな」
「3合は540ml。アルコール度数15%だから、純アルコール量は・・・」
リナは計算した。
「540ml × 0.15 = 81ml。エタノールの比重は0.789だから、81ml × 0.789 = 約64gの純アルコールね」
「ビールで同じ量のアルコールを摂取しようとしたら・・・」
「64g ÷ 0.05(ビールの度数) ÷ 0.789 = 約1,620ml」
リナはにやりと笑った。
「つまり、ビール大瓶3本分よ。源さん、ビール3本飲んでも平気?」
「い、いや・・・それはキツイな」
【悪酔いの正体】
「でしょ? つまりね──」
リナは腕を組んだ。
「日本酒が悪酔いするんじゃなくて、日本酒は度数が高いから飲みすぎちゃうのよ」
「ビールはお腹が膨れるから、自然とブレーキがかかる。でも日本酒は少量でたくさんのアルコールが摂取できるから、気づいたら飲みすぎてる」
「なるほど・・・」
健太が納得したように頷いた。
「でもさ、リナさん。じゃあなんで次の日頭痛いの?」
「いい質問ね」
リナは新しい紙を取り出した。
「それは、アルコールの代謝メカニズムを知れば分かるわ」
【アルコール代謝のメカニズム】
「アルコールは肝臓で分解されるの。その過程はこう」
リナは図を描いた。
【アルコール代謝経路】
エタノール(C₂H₅OH)
↓
アルコール脱水素酵素(ADH)
↓
アセトアルデヒド(CH₃CHO) ← 悪酔いの原因
↓
アルデヒド脱水素酵素(ALDH2)
↓
酢酸(CH₃COOH)
↓
水(H₂O) + 二酸化炭素(CO₂)
「ポイントは真ん中のアセトアルデヒド。化学式CH₃CHO」
「これが二日酔いの元凶なの」
「あせとあるでひど・・・?」
源さんが舌を噛みそうになった。
「そう。この物質は猛毒よ。頭痛、吐き気、動悸、顔の紅潮──全部これのせい」
【アセトアルデヒドの恐怖】
「アセトアルデヒドの毒性は、エタノールの10〜30倍」
リナは真剣な表情で言った。
「この物質が体内に蓄積すると──」
アセトアルデヒドの影響:
・血管拡張 → 頭痛、顔の紅潮
・交感神経刺激 → 動悸、発汗
・嘔吐中枢刺激 → 吐き気
・DNA損傷 → 発がんリスク
「だから、アセトアルデヒドをいかに早く分解するかが重要なの」
「それが、この酵素──アルデヒド脱水素酵素2型、略してALDH2」
「この酵素の働きが強い人は、お酒に強い。弱い人は、お酒に弱い」
「へえ・・・」
健太が興味深そうに聞いていた。
「健太君、日本酒飲むとすぐ顔が赤くなるって言ってたわね?」
「うん」
「それは、あなたのALDH2の働きが弱いのよ。アセトアルデヒドが分解されずに溜まって、血管が拡張して顔が赤くなる」
「そうなんだ・・・」
【日本人とアルコール】
「実はね──」
リナは新しい情報を付け加えた。
「日本人の約40%は、ALDH2の働きが弱い遺伝子型を持ってるの」
「40%も!?」
「そう。これは世界的に見ても珍しい。白人や黒人は、ほぼ100%がALDH2活性型」
「だから──」
リナは説明した。
「日本人はもともとお酒に弱い民族なの。無理して飲む必要はないわ」
「特に、お酒を飲んですぐ顔が赤くなる人は、絶対に無理しちゃダメ」
健太はほっとしたような顔をした。
「じゃあ、俺が日本酒飲めないのは、体質のせいなんだ」
「そうよ。恥ずかしいことじゃない。むしろ、無理して飲む方が危険なの」
【醸造酒と蒸留酒の違い】
「でもよ、リナ」
源さんが口を挟んだ。
「焼酎は大丈夫なんだよ。焼酎なら二日酔いしねえ。これって、蒸留酒だからだろ?」
「ああ、その話ね」
リナは新しい紙を取り出した。
「実はそれも、半分正解で半分間違いなのよ」
「え?」
「まず、醸造酒と蒸留酒の違いを説明するわ」
【醸造酒とは】
リナは図を描き始めた。
「醸造酒っていうのは、原料を発酵させただけのお酒」
【醸造酒の製造】
原料(穀物・果物)
↓
酵母による発酵
↓
糖 → エタノール + 二酸化炭素
↓
醸造酒
例:
・ビール(麦)
・日本酒(米)
・ワイン(ブドウ)
・マッコリ(米)
「醸造酒には、エタノール以外にも、発酵の過程で生まれたいろんな物質が含まれてるの」
「いろんな物質?」
「そう。例えば──」
リナは列挙した。
醸造酒に含まれる成分:
・エタノール(C₂H₅OH)
・水
・糖類(グルコース、フルクトースなど)
・有機酸(乳酸、コハク酸など)
・アミノ酸(20種類以上)
・ビタミン類(B₁、B₂、B₆など)
・ミネラル(カリウム、マグネシウムなど)
・高級アルコール類
・エステル類(酢酸エチルなど)
・アルデヒド類
・フーゼル油(複数の高級アルコールの混合物)
「これらの成分が、お酒の味や香りを作り出してるの」
【蒸留酒とは】
「一方、蒸留酒は──」
リナは新しい図を描いた。
【蒸留酒の製造】
原料(穀物・果物)
↓
酵母による発酵
↓
醸造酒
↓
加熱して蒸留
↓
エタノールと水を分離・濃縮
↓
蒸留酒
例:
・焼酎(米、麦、芋など)
・ウイスキー(麦)
・ブランデー(ブドウ)
・ウォッカ(穀物)
・ラム(サトウキビ)
「蒸留っていうのは、液体を加熱して気化させて、また冷やして液体に戻す操作のこと」
「エタノールの沸点は78.3℃、水の沸点は100℃」
「だから、適切な温度で加熱すると、エタノールだけが先に気化する」
「これを集めると、高濃度のアルコールが得られるってわけ」
【蒸留で除かれるもの、残るもの】
「重要なのは──」
リナは強調した。
「蒸留すると、何が除かれて、何が残るか」
源さんと健太は身を乗り出した。
「蒸留で除かれるのは──」
蒸留で除かれる成分:
・糖類(沸点が高いので蒸発しない)
・アミノ酸(沸点が高い)
・ビタミン(多くは熱に弱い)
・ミネラル(蒸発しない)
・有機酸の一部(沸点が高いものは残る)
・色素成分
・重い不純物
「つまり、醸造酒に含まれていた栄養素や不純物の多くが除かれるの」
「でも──」
リナは続けた。
「蒸留しても除かれないものもある」
蒸留しても残る成分:
・エタノール(C₂H₅OH) ← 当然
・水
・高級アルコール類(イソアミルアルコール C₅H₁₂O、イソブタノール C₄H₁₀Oなど)
・エステル類(酢酸エチル C₄H₈O₂など)
・アルデヒド類(アセトアルデヒド CH₃CHOなど)
・ケトン類(アセトン C₃H₆Oなど)
「これらは、沸点がエタノールに近いから、一緒に蒸発して蒸留酒に混ざるの」
「これを総称して、『香気成分』または『フーゼル油』って呼ぶわ」
【フーゼル油の正体】
「フーゼル油・・・?」
源さんが聞き返した。
「ドイツ語で『悪い酒』って意味よ」
リナは説明した。
「これが、蒸留酒の香りや味わいを作り出してるんだけど──同時に、二日酔いの原因にもなるの」
「え、じゃあ焼酎も二日酔いするってこと?」
「当然よ。蒸留酒だからって、二日酔いしないわけじゃないわ」
リナは図を描いた。
フーゼル油の主な成分と作用:
・イソアミルアルコール(C₅H₁₂O)
→ 頭痛、めまいの原因
・イソブタノール(C₄H₁₀O)→ 頭痛の原因
・プロパノール(C₃H₈O)→ 神経毒性
・アセトアルデヒド(CH₃CHO)→ 二日酔いの主犯
「これらの成分は、エタノールより代謝が遅いの」
「つまり──」
リナは強調した。
「エタノールが分解された後も、体内に残って、二日酔いを引き起こす」
【醸造酒vs蒸留酒、どちらが二日酔いしやすい?】
「じゃあ結局、醸造酒と蒸留酒、どっちが二日酔いしやすいんだ?」
源さんが聞いた。
「それが──」
リナは腕を組んだ。
「一概には言えないのよ」
「理論的には──」
【醸造酒の特徴】
メリット:
・栄養素が豊富(ビタミンB群、アミノ酸)
・これらがアルコール代謝を助ける
・飲むペースが遅くなりがち(度数が低め)
デメリット:
・不純物が多い
・糖分が多く、カロリーが高い
・腹が膨れて苦しい
【蒸留酒の特徴】
メリット:
・不純物が少ない(糖分ゼロ)
・カロリーが低い
・栄養素の分解にエネルギーを使わない
デメリット:
・栄養素がほぼない
・アルコール代謝を助ける成分がない
・フーゼル油が残っている
・度数が高いので飲みすぎやすい
「つまり──」
リナは結論を述べた。
「どちらも一長一短。二日酔いのしやすさは、結局飲む量と飲み方次第」
【蒸留の質の違い】
「でもね、蒸留酒にも質の違いがあるの」
リナは新しい情報を加えた。
「高級な蒸留酒と、安い蒸留酒の違い──それは蒸留の回数と精度なのよ」
「蒸留の回数?」
「そう」
【蒸留回数による違い】
1回蒸留:
・フーゼル油が多く残る
・風味が強い
・二日酔いしやすい
例: 一般的な焼酎、安いウイスキー
2〜3回蒸留:
・フーゼル油が減る
・風味と純度のバランス
・比較的二日酔いしにくい
例: 上質な焼酎、ブランデー
連続式蒸留(何度も蒸留):
・フーゼル油がほぼゼロ
・クリアな味わい
・二日酔いしにくい
例: ウォッカ、ホワイトリカー、甲類焼酎
「だから──」
リナは説明した。
「同じ焼酎でも、乙類焼酎(1回蒸留)と甲類焼酎(連続式蒸留)では、二日酔いのしやすさが違うのよ」
「へえ・・・知らなかった」
【日本酒の不純物は悪いものなのか?】
「でもさ、リナ」
健太が質問した。
「じゃあ日本酒の不純物って、全部悪いものなの?」
「いい質問ね!」
リナは微笑んだ。
「実は、全然そんなことないの。むしろ、日本酒の不純物には、体にいい成分がたくさん含まれてるわ」
【日本酒の栄養価】
「日本酒には──」
リナは列挙し始めた。
日本酒に含まれる有益な成分:
【アミノ酸】(20種類以上)
・アラニン(C₃H₇NO₂) - 甘味、肝機能サポート
・グルタミン酸(C₅H₉NO₄) - 旨味、脳機能サポート
・アスパラギン酸(C₄H₇NO₄) - 旨味、疲労回復
・プロリン(C₅H₉NO₂) - 甘味、コラーゲン合成
・アルギニン(C₆H₁₄N₄O₂) - 免疫力向上
【ビタミン類】
・ビタミンB₁(C₁₂H₁₇N₄OS⁺) - アルコール代謝に必須
・ビタミンB₂(C₁₇H₂₀N₄O₆) - 脂質代謝
・ビタミンB₆(C₈H₁₁NO₃) - タンパク質代謝
・ナイアシン(C₆H₅NO₂) - アルコール分解の補酵素
・パントテン酸(C₉H₁₇NO₅) - エネルギー代謝
【有機酸】
・コハク酸(C₄H₆O₄) - 旨味、疲労回復
・リンゴ酸(C₄H₆O₅) - 酸味、疲労回復
・クエン酸(C₆H₈O₇) - 酸味、疲労回復
【その他】
・コウジ酸(C₆H₆O₄) - 美白効果
・ペプチド類 - 血圧降下作用
「これらの成分が、実はアルコール代謝を助けてくれるの」
「特にビタミンB群とアミノ酸は、肝臓でアルコールを分解する時に必要な補酵素の材料になるわ」
【つまり、醸造酒の利点】
「つまりね──」
リナは説明した。
「醸造酒である日本酒は、『自分を分解するための栄養素』を含んでるの」
「一方、蒸留酒はこれらの栄養素がほとんどない。だから、蒸留酒を飲む時は、別途栄養を摂取する必要があるわ」
「なるほど・・・」
源さんは納得したように頷いた。
「でも、だからって日本酒が二日酔いしないってわけじゃないんだろ?」
「その通り!」
リナは指を立てた。
「結局、どんなお酒でも、飲みすぎたら二日酔いするのよ」
【では、なぜ日本酒は悪酔いすると言われるのか】
「でもさ、リナ」
源さんが言った。
「やっぱり日本酒の方が、ビールや焼酎より二日酔いになりやすい気がするんだよな」
「それにはいくつか理由があるわ」
リナは指を立てた。
「まず第一に──飲むペースの問題」
【理由1: 飲むペースが速い】
「ビールはジョッキで飲むから、一口の量が多くて、ゆっくり飲む。焼酎もロックやお湯割りで、グラス1杯ずつ飲む」
「でも日本酒は──」
リナはお猪口を手に取った。
「お猪口やぐい呑みで、ちびちび飲む。でも実は、これが危険なの」
「え、ゆっくり飲む方が危険なの?」
「違うわ。お猪口だと、何杯飲んだか分からなくなるでしょ?」
「ああ・・・確かに」
源さんは納得した。
「ビール1杯、2杯って数えられるけど、日本酒は『まあもう一杯』ってどんどん注がれて、気づいたら5合6合飲んでる」
「しかも日本酒は度数が高いから、少量でも大量のアルコールを摂取してることになる」
「結果──肝臓のアルコール分解能力を超えて、アセトアルデヒドが蓄積。二日酔いになる」
【理由2: 水を飲まない】
「第二の理由──日本酒を飲むとき、水を飲まない人が多い」
リナは新しいグラスに水を注いだ。
「ビールは自体が水分だから、ある程度水分補給になる。焼酎も、お湯割りや水割りなら水分が摂れる」
「でも日本酒は──」
「アルコール度数が高い分、体内の水分を奪うのよ」
「アルコールには利尿作用があるの。具体的には──」
アルコールの利尿作用:
↓
抗利尿ホルモン(バソプレシン)の分泌抑制
↓
腎臓での水分再吸収が減少
↓
尿量増加
↓
脱水症状
「脱水になると、血液中のアセトアルデヒド濃度が上がって、二日酔いが悪化するの」
「だから──」
リナは水を差し出した。
「お酒を飲むときは、必ず同量の水を飲むこと。これを『チェイサー』って言うのよ」
【理由3: おつまみの問題】
「第三の理由──おつまみの選び方」
リナはカウンターの上に、いくつかの料理を並べた。
「日本酒に合うおつまみって、何を想像する?」
「えっと・・・刺身とか、塩辛とか」
「そう。塩分が高いものが多いでしょ?」
リナは説明した。
「塩分の高いおつまみは、さらに喉が渇いて、お酒が進む。でも水は飲まない」
「結果、脱水とアルコール過剰摂取のダブルパンチ」
「しかも──」
リナは続けた。
「刺身だけ、塩辛だけ、みたいに、タンパク質や塩分に偏った食事になりがち」
「ビールの場合、枝豆、唐揚げ、サラダ、フライドポテト・・・いろんなものを食べるでしょ?」
「ああ、確かに」
【理由4: 飲む時の体調】
「第四の理由──これが一番大事なんだけど」
リナは真剣な表情になった。
「日本酒を飲むシチュエーションを考えてみて」
「シチュエーション?」
「そう。ビールはどんな時に飲む?」
「えっと・・・仕事終わりとか、暑い日とか」
「焼酎は?」
「晩酌とか、リラックスしたい時とか」
「日本酒は?」
「うーん・・・寒い日とか、疲れた時とか、特別な日とか・・・」
「そう。そこなのよ」
リナは指を立てた。
「日本酒は、体が疲れてる時や、寒い時、または宴会で盛り上がってる時に飲むことが多い」
「でも、疲れてる時や寒い時は、肝臓の機能も落ちてるの」
【肝臓の機能と体温】
「肝臓は、体の中の化学工場。いろんな酵素反応が起こってる」
リナは図を描いた。
肝臓の主な機能:
1. 解毒(アルコール、薬物、毒素の分解)
2. 代謝(糖質、脂質、タンパク質の処理)
3. 合成(血液凝固因子、アルブミンなど)
4. 貯蔵(グリコーゲン、ビタミン)
「これらの機能は、体温や血流、栄養状態に大きく影響される」
「疲れてる時は──」
疲労時の肝機能低下:
・血流低下 → 酸素・栄養不足
・グリコーゲン枯渇 → エネルギー不足
・酵素活性低下 → アルコール分解能力低下
「つまり、疲れた時にお酒を飲むと、いつもより酔いやすく、二日酔いになりやすいの」
「なるほどな・・・」
源さんは納得したように頷いた。
【焼酎が二日酔いしないという誤解】
「で、源さん」
リナは源さんを見た。
「焼酎なら二日酔いしないって言ってたわね?」
「ああ。実際、焼酎の方が楽な気がするんだよ」
「それはね──」
リナは説明した。
「焼酎を飲む時は、お湯割りや水割りで飲むでしょ?」
「ああ、そうだな」
「つまり、自然とチェイサーを飲んでることになるの。しかも、ゆっくり飲むから、ペース配分もできてる」
「一方、日本酒は冷やか熱燗で、ストレートで飲む。水も飲まない。ペースも速い」
「だから──」
リナは結論を述べた。
「焼酎が二日酔いしないんじゃなくて、焼酎の飲み方が、たまたま二日酔いしにくい飲み方なのよ」
「なるほど・・・!」
源さんは目から鱗が落ちたような顔をした。
【醸造酒と蒸留酒、結論】
「じゃあ、まとめるわよ」
リナは腕を組んだ。
「醸造酒(日本酒、ビール、ワイン)の特徴:
・栄養素が豊富で、アルコール代謝を助ける
・でも不純物も多く、風味が強い
・適量なら健康効果も期待できる
・飲みすぎると、やはり二日酔いする」
「蒸留酒(焼酎、ウイスキー、ブランデー)の特徴:
・不純物が少なく、比較的クリア
・でも栄養素もないので、代謝に必要な成分を食事で補う必要がある
・高級品は蒸留回数が多く、フーゼル油が少ないので二日酔いしにくい
・飲みすぎると、やはり二日酔いする」
「つまり──」
リナは強調した。
「どんなお酒でも、飲みすぎたら二日酔いするの!」
「醸造酒だから、蒸留酒だから、っていう問題じゃない。飲み方次第よ」
【日本酒の美点】
「でもね──」
リナは微笑んだ。
「日本酒が悪いわけじゃないのよ。むしろ、日本酒には他のお酒にない美点がたくさんあるわ」
「え、そうなの?」
健太が驚いた。
「当然よ。日本酒は、世界でも稀に見る高度な醸造技術で作られたお酒なんだから」
リナは新しい紙を取り出した。
「日本酒の製造過程を見てみましょう」
【日本酒の製造と栄養】
「日本酒は、米と水と麹から作られる」
日本酒の製造過程:
米
↓
精米(外側を削る)
↓
洗米・浸漬
↓
蒸米
↓
麹菌(Aspergillus oryzae)を添加
↓
麹の酵素がデンプンを糖に分解
↓
酵母(Saccharomyces cerevisiae)を添加
↓
糖をアルコールと二酸化炭素に発酵
↓
日本酒
「この過程で、非常に多くの栄養素が生成されるの」
「しかも──」
リナは付け加えた。
「焼酎にはこれらの栄養素がほとんど含まれてないのよ。蒸留で失われるから」
【適量とは】
「じゃあ、結局どのくらい飲めばいいんだ?」
「厚生労働省の指針では──」
リナは説明した。
「1日あたりの純アルコール摂取量は、男性で20g、女性で10gが目安」
「各お酒に換算すると──」
【適量の目安(男性)】
ビール: 中瓶1本(500ml)
日本酒: 1合(180ml)
焼酎: 0.6合(約110ml)※25度の場合
ウイスキー: ダブル1杯(60ml)
ワイン: グラス2杯(200ml)
「え、そんだけ!?」
源さんが驚いた。
「そんだけよ。それ以上飲むと、肝臓に負担がかかって、長期的には肝硬変や肝がんのリスクが上がるの」
「まじか・・・」
【リナ式・賢い飲み方】
「じゃあ、最後に、お酒の賢い飲み方をまとめるわよ」
リナは指を折った。
「ルール1: 飲む量を決める」
「適量を守る。日本酒なら1合、焼酎なら0.6合まで」
「ルール2: チェイサーを必ず飲む」
「お酒1に対して、水1。これを徹底する」
「ルール3: 食事と一緒に飲む」
「空腹で飲まない。タンパク質、炭水化物、脂質、ビタミン、ミネラル──バランスよく食べる」
「ルール4: ゆっくり飲む」
「肝臓がアルコールを分解する速度は、1時間あたり約7g。日本酒1合なら、3時間かけて飲むのが理想」
「ルール5: 体調が悪い時は飲まない」
「疲れてる時、風邪気味の時、睡眠不足の時──こういう時は、肝機能が落ちてる。お酒は控える」
「ルール6: 休肝日を作る」
「週に2日は、お酒を飲まない日を作る」
「・・・これ、全部守れる自信ねえな」
源さんは苦笑した。
【エピローグ】
その日の夜。
源さんは、リナに教わった通りに日本酒を飲んでみた。
1合の日本酒に、1合の水。
おつまみは、枝豆、冷奴、焼き鳥、刺身。
ゆっくりと、1時間かけて飲む。
「・・・うまいな」
不思議と、いつもより味わい深く感じた。
翌朝。
源さんは、すっきりと目覚めた。
頭痛もない。吐き気もない。
「本当だ・・・二日酔いしねえ」
その日の夕方、源さんは『ナツメ亭』に顔を出した。
「リナ、すげえよ。本当に二日酔いしなかった」
「でしょ? 魔法じゃない、化学よ!」
リナはにっこり笑った。
「醸造酒だから、蒸留酒だから、じゃない。飲み方次第なのよ」
「ああ。よくわかったよ」
源さんは照れくさそうに笑った。
「じゃあ今日も、教わった通りに飲んでみるか」
「それがいいわ」
夕暮れの『ナツメ亭』から、笑い声が聞こえた。
【今回登場した化学式と成分】
エタノール(C₂H₅OH): アルコールの正式名称
アセトアルデヒド(CH₃CHO): 二日酔いの元凶
酢酸(CH₃COOH): アセトアルデヒドの分解産物
イソアミルアルコール(C₅H₁₂O): フーゼル油の成分
イソブタノール(C₄H₁₀O): フーゼル油の成分
酢酸エチル(C₄H₈O₂): エステル類
アラニン(C₃H₇NO₂): 日本酒に含まれるアミノ酸
グルタミン酸(C₅H₉NO₄): 旨味成分
チアミン(C₁₂H₁₇N₄OS⁺): ビタミンB₁
リボフラビン(C₁₇H₂₀N₄O₆): ビタミンB₂
コハク酸(C₄H₆O₄): 疲労回復成分
クエン酸(C₆H₈O₇): 疲労回復成分
コウジ酸(C₆H₆O₄): 美白成分
【醸造酒と蒸留酒の比較】
【醸造酒】
製法: 発酵のみ
度数: 5〜15%
栄養: 豊富(アミノ酸、ビタミンB群、有機酸)
不純物: 多い(フーゼル油、糖類、色素など)
二日酔い: 飲み方次第
【蒸留酒】
製法: 発酵+蒸留
度数: 25〜40%以上
栄養: ほぼゼロ
不純物: 少ない(ただしフーゼル油は残る)
二日酔い: 飲み方次第
【リナ式・賢いお酒の飲み方】
適量を守る(純アルコール20g以下/日)
チェイサーを飲む(お酒1:水1)
食事と一緒に飲む
ゆっくり飲む
体調が悪い時は飲まない
休肝日を作る(週2日)
【注意事項】
本作品は、上記の科学的根拠に基づいたフィクションですが、実際の飲酒に関しては、以下の点にご注意ください:
飲酒に関する重要な注意
適正飲酒の目安
成人男性: 純アルコール20g/日以下
成人女性: 純アルコール10g/日以下
休肝日: 週2日以上
飲酒してはいけない人
未成年者
妊娠中・授乳中の女性
運転前・運転中
服薬中(特に睡眠薬、抗不安薬との併用は危険)
アルコールアレルギーの方
ALDH2欠損型の方(無理な飲酒は厳禁)
医療機関への相談が必要な症状
飲酒をコントロールできない
飲酒量が増え続けている
飲まないと落ち着かない
肝機能検査の数値異常
記憶障害、振戦などの症状
緊急時の連絡先
急性アルコール中毒の疑い: 119番(救急車)
アルコール依存症の相談:
各都道府県の精神保健福祉センター
アルコール専門医療機関
断酒会、AA
【伏木より】
この物語で紹介した化学式や代謝メカニズムは、実際の生化学・栄養学の研究に基づいています。しかし、物語の展開や登場人物はフィクションです。
「魔法じゃない、化学よ!」──この言葉に込めたのは、アルコールとの正しい付き合い方を、科学的に理解することの大切さです。
醸造酒も蒸留酒も、それぞれに特徴があります
「悪酔いする酒」は存在しません。飲み方の問題です
適量を守り、休肝日を作り、体調を考慮すれば、お酒は人生を豊かにします
しかし、過度の飲酒は健康を害し、依存症のリスクがあります
この物語が、お酒との健康的な付き合い方を考えるきっかけになれば幸いです。
科学の知識は、私たちの生活をより良くするための道具です。正しい知識を持って、賢く、楽しく、お酒と付き合いましょう。
【免責事項】
本作品の情報は教育・啓発目的であり、医学的アドバイスではありません。個人の体質や健康状態により、アルコールの影響は異なります。飲酒に関する具体的な相談は、医師や専門家にご相談ください。




