第6話気づき始めた想い
「マイクレベル、オッケーです。じゃあ、1テイク目、いってみましょうか」
レコーディングスタジオに響くエンジニアの声。
今、ほのかのソロデビュー曲の収録が始まろうとしていた。
ガラス越しに見るブースの中、ほのかは真剣な表情で立っている。
イヤモニを耳に差し、譜面台に置かれた歌詞に目を通すその横顔は、ステージ上の彼女とも、学校で見せる笑顔とも違う。
ただひたすらに、音楽と向き合う“プロの顔”だった。
「いきます!」
ほのかが合図を出し、クリックが鳴る。
イントロが流れ出す。
それに乗せるように、ほのかの声がマイクに乗った。
――君の笑顔が、胸を突き刺す
――わかってたはずなのに、どうしてこんなに、苦しいんだろう
それは、俺たちが夜を徹して作った曲。
メロディに乗せたのは、ほのかの“アイドル”としての顔じゃなく、一人の女の子としての“痛み”と“願い”。
彼女の声が音になるたび、俺の心は震えていた。
一テイク目が終わった後、ブースから出てきたほのかは、少しだけ眉を寄せていた。
「……ダメだった?」
「いや、すごくよかった。でも、まだいけると思う」
「うん、私もそう思う。もっと、届く声にしたい」
俺たちは、音源を確認しながら、細かいニュアンスの調整をしていく。
この繰り返しが、音楽を完成させていく。
何度かテイクを重ねるうちに、ほのかの表情が変わっていった。
ただ歌うのではなく、“誰かに伝える”ために声を乗せる。
彼女は確実に、歌の中で成長していた。
「よし、じゃあ次がラストテイクかな」
「うん……ちょっと、水、飲んでくる」
スタジオの控室で、二人きりになる。
彼女はソファに腰を下ろし、ペットボトルを開けながらふぅっと息をついた。
「……緊張、してる?」
「……してる。すごく。でも、それよりも楽しい。こんな気持ち、初めてかも」
「楽しい、か」
「うん。私、今まで誰かに与えられた歌を歌ってきた。振り付けも、セリフも。
でもこの曲は、陸くんと一緒に作った。私の“本当の声”が、そこにある気がするんだ」
彼女は俺の目を見て、微笑んだ。
その笑顔は、反則だ。
「……ありがとう、陸くん。本当に。私、たぶん今、すごく幸せ」
心臓が跳ねた。
この数週間、彼女のことばかり考えていた。
音楽のこと、ステージのこと、歌詞のこと――
でも、気づけばそれは全部“ほのかのこと”だった。
「……俺も、嬉しいよ。ほのかの声が、ちゃんと届いてるのが分かって」
「ふふ、でも……」
「ん?」
「なんか、変だよね。こんな風に、一緒に夢追いかけて、心も近づいていって……。まるで、恋愛ドラマみたい」
彼女の言葉に、息を呑む。
「……ほのか、今、何を考えてる?」
「さあ、なんだろうね。ねえ――」
彼女がすっと身を寄せた。
肩と肩が触れる。
「私たちって、どこまでが“仕事”で、どこからが“それ以外”なんだろうね?」
その問いに、答えが出せなかった。
彼女の顔が近づいてくる。
このままいけば、たぶん――
「……やめとこうか」
俺はそっと彼女の頭を撫でた。
「え……?」
「この気持ちが本物かどうか、もうちょっとだけ、確かめたい。音楽の力か、それとも……本当に、君だからなのか」
ほのかは数秒黙ってから、ふっと笑った。
「……ズルい。でも、嫌いじゃない。そういうところ」
そして立ち上がった。
「じゃあ、ラストテイク、最高のやつにしよう?」
「ああ。気持ち、全部ぶつけてくれ」
彼女の背中を見送って、俺は自分の胸に手を当てる。
鼓動がうるさい。
でも――この感情を、曲にしよう。
全部、本物だったと証明するために。
エピローグ
レコーディングが終わり、夜の街を二人で歩いた。
空は高く澄んでいて、風がやけに心地よい。
「ねえ、陸くん」
「ん?」
「ラストテイクの途中、私、君のことだけ考えてたんだよ?」
「……知ってる。声で分かった」
「……そっか」
二人の間に流れる、静かな空気。
言葉は少なかったけれど、心は確かに近づいていた。
ステージに立つための歌は、
いつの間にか、誰かを想う歌になっていた――。