第5話理想と現実のステージ
「――で、これが採用された仮歌詞と構成案です」
「……え?」
会議室に響いたのは、俺の戸惑いの声だった。
テーブルの上には、事務所側が用意した“完成予定”の楽曲資料が置かれている。
そこには、俺がほのかと一緒に作った曲とはまるで違う、商業的な香りしかしないテンプレートのようなメロディと歌詞が並んでいた。
「ちょ、ちょっと待ってください。この曲、僕らが作ったのと全然違うじゃないですか!」
「そうですね。でも、君たちの原案は“方向性として参考にしました”から」
そう淡々と答えたのは、A&R担当の神谷さん。皮肉にも俺と同じ苗字だが、中身はまるで別人。
芸能界の論理でしか動かない、合理主義者の代表みたいな人だった。
「でも、これはあまりにも……」
「君の気持ちもわかりますよ、神谷くん。でもね、ほのかは“商品”なんです。ファンが求めるものを提供するのが、私たちの仕事なんですよ」
商品、という言葉に俺は激しい嫌悪感を覚えた。
確かに、アイドル業界は“見せる”世界だ。感情よりもマーケティング。熱意よりも需要。
でも、それでも――
「このままじゃ、ほのかが歌いたい“本当の気持ち”が消される」
「逆に聞きますが、“本当の気持ち”でCDは売れますか?」
その一言に、言葉が詰まった。
そんなやり取りを黙って聞いていたほのかが、静かに立ち上がった。
「私、この曲、歌いません」
「……神園さん?」
「私は陸くんと作った曲が歌いたい。それが、私の音楽です」
会議室が一瞬で静まり返った。
「……神園さん、あなたの立場、わかってますか?これは“挑戦”じゃない。“契約”ですよ」
「わかってます。でも、私は歌手です。“ただの偶像”じゃない」
その言葉に、神谷さんが表情を曇らせる。
「一度、頭を冷やしてください。神谷くんも。次回の打ち合わせは来週です。それまでに、冷静に考えてください」
そう言って、彼は会議室を出ていった。
俺たちは、静まり返った部屋に二人きりで残された。
「……ごめん、俺のせいで」
「違うよ。私が言いたいこと、陸くんが先に言ってくれてた。だから、私も言えたの」
ほのかはまっすぐ俺を見た。
「私、夢だったの。自分の言葉で、自分のメロディで歌うこと。誰かに与えられたものじゃなくて、自分で選んだものを届けたいって」
「……俺も、夢だった。誰かの心にちゃんと届く音楽を作ること。ほのかの声を聞いたとき、それができるって思えたんだ」
「……うん」
「でも現実は、そんなに甘くないんだな」
俺がため息をつくと、彼女はくすりと笑った。
「だからこそ、二人でやるんでしょ?」
「……そうだな」
その日の夜。
俺は、机の前に座りながら考え込んでいた。
このままでは、ほのかのデビュー曲が誰かの“商品”になってしまう。
それだけは絶対に許せなかった。
「……やるしかねぇか」
パソコンを立ち上げ、DAWソフトを起動する。
俺たちが作った曲のデモを、改めて再構築する。
メロディラインはそのままに、サビの構成とリズムを大胆に変更。
より耳に残りやすいアレンジに仕上げていく。
商業性と、俺たちの想いの“妥協点”を探る。
時間はかかる。でも――諦めない。
気づけば、朝日が窓を照らしていた。
そして数日後。
事務所で、再び同じ会議室。
神谷さんの前に、新しい音源を差し出した。
「……これは?」
「僕たちが作った曲を、マーケット向けに再構成したものです。サビのインパクトを強くして、BPMも調整しました。歌詞も、もう少し“共感性”を意識して書き直した」
「……つまり、私たちの意図を受け入れたと?」
「いいえ。これは、あなたたちの意図と、俺たちの想いを合わせた“中間点”です」
神谷さんはしばらく無言で音源を聞いていた。
やがて、深いため息。
「……これでいきましょう」
俺とほのかは、顔を見合わせた。
「本当ですか?」
「ええ。ただし、数字が出なければ次はない。覚悟しておいてください」
「――はい」
ほのかが力強くうなずいた。
その帰り道。事務所のロビーで、彼女が俺の手を握った。
「ありがとう、陸くん。私、ちゃんと歌う。全部届ける。あの曲に込めた“私たちの気持ち”を」
「……俺も信じてる。絶対、大丈夫だ」
「ふふ、でも……私、もっと欲張りになりそう」
「欲張り?」
「うん。もっと、陸くんを独り占めしたくなる」
その瞳に映るのは、少女ではなく、強くしなやかな“表現者”の姿だった。
夢のステージは、まだ始まったばかり。
けれど――ようやく、スタートラインに立てた気がした。