⑨
最終話です。
「彼女とお別れしました」
俺の報告に、榊原は大袈裟に驚き、吉川は相変わらず淡々と返し、真朱は口の端を僅かに上げながら黙っていた。
「正直言って、お前の彼女ちょっと怖かったんだよな。お前には悪いけど、俺はちょっとホッとしてる」
申し訳なさそうに明かす榊原に、心の中で手を合わす。
本当にいい奴だこいつ。誰か彼女になってやってくれ。
「時間の問題って感じもしたけどな。雄星ってば彼女に合わせるばかりで言いたいことも言えてなさそうだったろ?やっぱりそういうのは良くねぇ、長続きしないよ」
吉川、的を射てるだろうと言わんばかりの偉そうな発言だが、そもそも彼女なんていねぇからな!エアー彼女だから!
「でも、これでまた四人で遊べるな」
「そうだな。でも程々にしねぇと、一応受験生だしさ」
「まあ、そうだよな。そう考えたら、ちょうど良かったんじゃねぇ?この時期に恋に沼るなんて悪夢だぜ」
「……そーだよねぇ」
榊原の発言に、真朱がニンマリと笑って応える。
いつの間にか太腿に置かれていた手がするりと内側に滑り込み、俺はグッと息を止めた。横目で睨めば、真朱は愉快そうに笑い、妖艶に唇を舐めた。
『夢喰い』は『獏』とも呼ばれるのだと真朱が言っていた。そういえば、昔、ばあちゃんが教えてくれた。
『獏』は怖い夢を食べて、心地よく目覚める朝を与えてくれる。だから、眠る前に『獏』の絵を枕の下に入れたり、怖い夢を見た時は『獏』が出てくる和歌を詠んで『獏』にお願いしたらよいのだと。
俺は心の中で、祖母に弱音を吐く。
(……でも、ばあちゃん、俺の知ってる『獏』は俺の夢を喰ってくれねぇんだよ)
現実と夢との両方で真朱の色気に当てられた俺は、間違いなく現在進行形で沼っている。
しかし、真朱は俺の淫夢は食べないと言う。
「もっと俺にハマってエッチな夢をたくさん観てよ。俺、雄星の淫夢大好きなんだよねぇ。大丈夫、ほどよい淫夢はストレス解消になるからさ」
俺の上で淫らに腰を振りながら『獏』は言う。
あの、旧校舎の一件の後、俺は真朱に押し倒され、怒涛のように襲う快楽の中で童貞を喪失した。
真朱は想像以上にどエロく、積極的だった。男同士は初めてだといいながらも躊躇はなく、感度も良好で、気持ちよさげに喘いでいた。
めくるめく情欲に絡め取られ、俺は最早逃げられない。
真朱なしではいられない。
だって……あんな気持ちいいコト。止められるわけがない。
「俺さ、東京の専門学校に進学することにしたんだよね」
真朱は当たり前のように俺の膝に座り、俺の胸にぽすんと頭を預けた。
「雄星と一緒じゃん。一緒に住めば?」
「いいね。俺たちも遊びに行きやすいし。そうしろよ」
何も知らない榊原と吉川が煽る。
そんなことになったら、毎日エッチ三昧になっちまうぞ。けしからん。
「だって。どうするー?雄星」
こちらを振り仰ぐ無防備なおでこを見ながら少しは躊躇するも、結局は「いいんじゃね?」と返す。真朱はスマホを取り出し、気が早くも物件を探し始めた。
ほわほわの髪の上で掌を弾ませながら、俺は窓の外に視線をやる。
中庭の樹木は葉を落とし、澄んだ秋の空にむき出しになった枝を伸ばしている。
叶わないと思っていた恋が実り、念願の恋人を手に入れたはずの俺は、なんだか感傷的な気分になっていた。
遠き古から、悪夢に囚われる人々を救ってきた『獏』
そして俺は、そんな『獏』のために淫夢を創る、いわゆる『餌係』を賜ってしまった。
……嬉しいような、怖いような……何とも複雑な心境だ。
なんにせよ、凡人である俺は真朱に付き合うしかないのだと思う。
それこそ、真朱が俺の夢に飽きるまで。
「今日、雄星んちに行っていい?」
真朱が帰り際、俺に囁いた。
「いいけど、泊りは駄目だぜ。明後日は塾の模試があるから」
「邪魔はしねぇよ。寝ている間、問題集を読み上げてやる。記憶できるぜ」
「なにそれ、そんなこともできるの?」
「つまり睡眠学習だな。任せとけ。お前には合格してもらわないと困るしな」
そっと片目を瞑り、先を歩く吉川と榊原に見つからないよう、真朱は俺の指先を握る。
「夢を祓うだけが『夢喰い』の能力じゃないからな。期待してろ、お前には一生いい夢を見せてやる」
ふふっと笑うと、真朱は軽やかに走り出す。
俺はその愛らしくも逞しい後ろ姿を、眩しそうに見つめた。
今夜も俺は真朱の夢を見るのだろう。
罪悪感を抱くことなく、淫らで鮮やかな夢に浸り、君を喜ばせる。
明日も明後日も。
――それって、かなり幸せなことなのかもしれないな。
そう、余計なことを考えて悶々悩むのは止めよう。
どうせ、俺の思惑なんて真朱には筒抜けなのだ。
俺は澄んだ初冬の空気を胸いっぱい吸い込む。
そして、幾ばくか軽くなった太ももを上げ、先を行く友人たちの元へと駆け出した。
「獏のお残し」完
最後までお付き合いありがとうございました。
今作は微熱に悩まされながらも暇を持て余して書いたお話でして(熱が収まってから改稿しています)
関節痛で不眠気味だったせいもあり夢をテーマにしております。
私は悪夢も淫夢も滅多に見ないのですが、ピンク色の可愛い獏ちゃんがひょこんと現れて、パクパク食べてくれたなら、きっと幸せな心地で熟睡できるんだろうなぁ……なんて考えたりします。
今年もありがとうございました。
皆様が良き睡眠をおとりになり、良い初夢を見て、明るい心地で新年を迎えられますよう
心よりお祈り申し上げます。
すなぎ もりこ