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 休憩時間の終わりを告げるブザーが鳴っている。

 開け放たれた廊下の窓から、誰かが走る靴音が響いてくる。教室の引戸がガラガラと音を立てる。

 それらはすべて、建物をひとつ挟んだ新校舎で起こっていることなのだが、現実味を帯びてこない。

 休日の夕方に町の喧騒を眺めているような、傍観者的な感覚。

 錆び付いた旧校舎と共に、世界に取り残されてしまったかのような錯覚。


「おい、雄星。聴こえてんのか」

 拳で胸を叩かれ、俺はヨロヨロとよろめいた。

「しっかりしろゴリラ!筋肉と体幹を鍛えてるんだろうが」

「えっ、や、ごめ、ど、どういうこと?! なんで知っ……え?!」

 真朱は答える代わりにちらりと俺を見上げる。しかし、即座に俯いた。

 髪の間から覗く耳は、真っ赤に染まっている。

 どうやら照れているようだ。

 それを確信した途端、身体中の血液が沸騰したように熱くなる。

 真朱の掌がジャケットの下に滑り込み、シャツの上から肌を撫でる。そのままゆっくりと背中に周り、ぎゅっと引き寄せられた。真朱は白い頬を俺の胸に押し付ける。そして、まるで夢見るように告げたのだ。

「俺も雄星のことが好き」

「えっ、ちょまちょまっ……そんなことある?!」

「相思相愛だぞ。喜べ」

「それは確かに喜ばしいが、なんだか手放しで喜べないぞ。気になる点が多すぎる」

 真朱はつま先立ちをして、俺に顔を近づける。

「ちゅーしてもいいぞ」

「いやいや……」

「ちゅーしろよ。ハァハァ」

「真朱、なんだか息が荒いぞ。発情期なの?」

 真朱はハァーッと大きく息を吐くと、再び俺の胸に額を打ち付けた。俺は、恐る恐る華奢な背中に手を回す。

「畜生。全部お前のせいだからな。あんな夢を観させられたせいで、俺はおかしくなったんだ」

「あんな夢って、俺の夢? なんで真朱は観ることができんの?」


 そういえば、ばあちゃんの死に関しても、誰も知るはずのない「野球」という言葉を口にしていた。

 とすれば、真朱はあの悪夢も観たというのか。

 もしそうなら、その機会は一度きりしかなかったはずだ。

 そう、受験の日の朝だ。

 駅のベンチで寝入ってしまった俺は、また、ばあちゃんの死にまつわる悪夢を観たのだろう。そしてそれを、偶然通りかかった真朱に覗かれたのだ。


「……倉持家はさ『夢喰い』を継承する家系なんだよ」


 真朱は俺のシャツに張り付いたまま、ポツポツと語り出す。

「本当に夢を喰うわけじゃなくって、淫夢や悪夢を祓うんだ。数をこなせば神力も上がるし、人のためにもなるから、俺はずっと餌を探してたの」

 悪夢に悩まされている生徒に近付き、そうとは気付かれずに祓う。十四歳で能力が発現してからずっと、繰り返してきたという。

「とはいえ、睡眠中の人間にしか干渉できないしさ。秘伝の睡眠薬はあるけど、それを使うにしても、ところ構わず眠らせちゃうのは危険だろ? 特に女の子なんて」

 だから、付き合うことにしていたのだと真朱は言う。

 ある程度親しい間柄になり、自宅に招かれたところで眠らせて夢を祓う。あとは、相手を極力傷付けないよう、徐々に破局へと持ち込んでいく。

「でもさ、その過程で本当に好きになってくれる子もいるわけじゃん。さすがに罪悪感を覚えるようになっちゃって。暫く夢を祓うことは止めてたんだ」

 確かに、このところの真朱は大人しい。切れ間なくいた彼女が、長く途絶えているようだ。

 その理由の背景に、こんな突飛な事情が隠されていたなんて思いもよらなかったが……

 しかし、変に疑うより信じてしまった方が楽である。

 偽装彼女の一件で頭を使うことに疲れていた俺は、早々に考えることを放棄し、真朱が語ったことを全面的に受け入れることを決めた。

 そして、先程から気になっていた件について訊ねてみる。

「……受験の日、真朱が俺の悪夢を喰ってくれたのか」

 真朱は顔を上げると、大きな琥珀の瞳をゆっくりと瞬いた。

「お前の夢を覗いて、自分で自分を追い詰めていることがわかった。真面目なヤツなんだなって思ったよ。そんで、手を貸すことにしたんだ」

「そ、そうか。ありがとう」

 悪夢を喰った後のアフターフォローも『夢喰い』の務めのひとつであるそうで、真朱は、ずっと俺の経過を観察していたという。一回夢の中で繋がれば、間近で見た夢を辿ることができるらしい。悪夢を祓って三ヶ月間は『夢戻り』の可能性が高く、また、頻繁に悪夢を創り出してしまう体質の人間もいるので、継続的に観察するのが良いのだと真朱は言う。

「そんなわけで、お前の夢も度々チェックさせてもらっていた」

「はぁ……」

「いきなり教室でフェラさせられた時は、殴ってやろうかと思ったけど」

 最初はそんな感じの夢だったかもしれない。教室で股間に違和感を感じて見下ろしたら、机の下に真朱にいて、ベルトを外され、パンツを脱がされるとかそんな感じの……

 真朱は俺に抱きつきながら、シャツ越しに熱い息を吐く。

「だけどさ……嫌じゃなかったんだよね、俺。むしろ、もっと観たいと思った」

 俺は、熱が集まろうとする下半身から気をそらそうと、頭をガシガシと掻きむしる。

「本来なら淫夢に該当するから、喰っても良かったんだけど」

 真朱は俺の胸に両手を当てて少し身体を離すと、目元を染めた大きな瞳を上目遣いし、あざとくはにかんで見せた。

「もったいないじゃん? 」

 胸を撃ち抜かれてもなお鼓動は収まらず、全身の血管がたてるドクドクという音が、俺の鼓膜を占拠する。

「そっ、それはどーゆう意味ですか、真朱くん」

「淫夢を喰えば、特定の相手に対する溜め込んだ性欲や行き過ぎた恋慕の気持ちは消える。また復活することもあるけど、それをきっかけに永遠に失われることもあるんだ」

 真朱は人差し指で、俺の乳首を一発で探し当て、ギュウと押した。

「ひぃっ、何すんだっ」

「でも俺、忘れて欲しくないって思っちゃったんだよね。 お前には、ずっと俺を好きでいてもらって、俺のエッチな夢を観てほしいと思っちゃった」

「でも、お前、俺に元カノを斡旋してきたじゃん!」

「あーあれはさ……」

 真朱は斜め上に視線を向けると、あっさりと明かした。

「下村ちゃんって思い込みの激しい子でさ、あの時点で雄星の妄想夢を結構見てて。だから、大きく育って悪夢になる前に、お前からはっきりフってもらおうと思ったんだよね。雄星、女の子に対して容赦ないじゃん」

「えー……そんな理由……」

「おかげで吹っ切れたって本人が言ってたんだから、良かったんだよ」

「お前っ、一歩間違えれば、俺は下村さんと付き合ってたかもしれないんだぞ!」

「お前は俺が好きなんだから、有り得ないだろ」

「……なにその自信。ちょっと夢が覗ける程度で、腹立つなぁっ! 俺は、傷付いたんだからな!」

 照れくさいやら、腹が立つやらでどんな表情を作るのが正解なのかわからなくなった俺は、両手で顔を覆う。

「悪かったよ。だからなあ、もういいだろ。彼女なんていないって認めろよ。俺がカレシになってやるって言ってんだから」

「えっ、それは……なんだかんだ二ヶ月も付き合ったし、そんなに簡単には……」

「クソが!」ガッ「いてぇっ!」

 脛を思い切り蹴られ、俺はその場に崩れ落ちた。

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