⑥
俺は内心胸をなで下ろしていた。
己の暴走はまったく想定外のことであり、俺自身が激しく戸惑っていたからである。
煽ったはいいが、その後のことは一切考えていなかった。
俺はドリンクを手に取り、乾いた喉へと流し込んだ。
その後は、和やかに時が過ぎていった。
真朱も蒸し返すつもりはないようで、俺も気にしないフリをする。そのうち、自然な流れで進路や将来の話になった。
「雄星は東京の大学を受験するんだよな」
「うん。とーちゃんも向こうにいるから」
「じいちゃん一人になっちまうの?」
「近くに住んでる叔父さんが、じいちゃんの様子を見てくれるって。俺も出来るだけ帰ろうと思ってるし」
生まれてすぐに母を病気で亡くした俺が、父に連れられてこの土地にやって来たのは、もう十五年も前のことだ。もちろん記憶などない。祖父母と父と俺の四人。俺の中では、それが当たり前の家族の姿だった。
中学一年の時に父の東京への転勤が決まったが、俺はここに残ることを選択する。祖父母はまだ元気だし、野球もしたいし、友達もいるし……というなんとも子供っぽい理由だったような気がする。
とはいえ、ここに残る選択をしたことは悔やんではいない。少なくとも、祖母の最期を看取ることができたのだから。
「つか、当のじいちゃんが独り立ちしろってうるせぇんだよ。だから、お望み通り旅立ってやろうと思って」
「権蔵じいちゃん豪気だもんなぁ」
それでも、祖母が亡くなって暫くは仏壇の前で肩を落としていた。その小さな後ろ姿を見て、幾度となくいたたまれない気持ちになったものだ。
「ばあちゃんは高校に入る前に亡くなってるんだっけ」
「うん。中三の四月。急だったな。心筋梗塞で」
居間で倒れていた祖母を見つけたのは俺だった。
帰宅し、ビクとも動かない祖母を見て直ぐじいちゃんに連絡した。救急車も呼んだ。警察も来た。
祖母が居なくなったという実感も持てないまま、慌ただしく過ぎる日々。
ようやく日常に戻ったかと思われた時、突然と、罪悪感に襲われた。
――そう、あの日に限って、俺は寄り道をしてしまったのだ。
公園で草野球に興じていた友人に誘われ、1イニングで終わるつもりがつい3イニングもバッターボックスに立ってしまった。部活以外の場所でやる野球が思いのほか楽しくて、夢中になってしまったのだ。
もし、友人の誘いに乗らなければ。
1イニングで済ませておけば。
俺がもっと早く帰宅していれば。
――祖母は命を落とさなかったかもしれない。
その後悔は、毎夜悪夢となって俺を苛むようになる。
受験のプレッシャーと悪夢による寝不足で、俺は日に日に追い詰められていった。
しかし、誰にも相談は出来なかった。
そんな状態で迎えた受験の日。
俺は駅で真朱に会い、ようやく悪夢を手放すことができたのだ。
「だからって野球まで辞めることなかったのに」
真朱の発言に、俺を含めた三人は動きを止めた。
「雄星が高校で野球部入らなかったのって、雄星のばーちゃんと何か関係あんの?」
吉川が俺を見る。俺は内心の動揺を抑え、首を振った。
「いや、関係ないよ。最初っから部活は中学までって決めてたから、それだけだよ。バイトもしたかったし」
「そうだな、雄星は高二までバイト三昧だったよな」
「カラオケでバイトしてる時は入り浸ったよなぁ」
「あれな、迷惑だったわー」
話題が他に移り、ホッとした俺は真朱を盗み見る。真朱は気まずげな表情で窓の外に顔を向けていた。
祖母が亡くなった日の詳細は誰にも話したことがない。
もちろん、野球のことも。
それなのに、なぜ真朱はあのようなことを口にしたのだろう。
俺はゾッとして、腕を擦る。
真朱のことが、急に、得体の知れない怪物のように思えてきた。
その日を境に、俺はますます真朱を避けるようになる。
偽装彼女の存在を駆使し、逃げ回ったのである。