88話
金曜日の夜。お店は二〇時まで。そろそろ閉店の作業に入ろうかという、一九時四五分。
「花を置きましょう」
店内を歩き回っていたアニーが、思いついたようにキッチンのダーシャに提言する。ずっと、なにが足りないかを考えていた。というより、なにか足りないはずだ、と決めつけて隈なく睨みを利かせている。
事務作業前のドリップコーヒーを淹れながら、ダーシャがアニーのほうに向き直る。
「いつものことだけど、どうしたの急に?」
そう、いつものこと。いつも急に思いついたことを喋る。にしては、お店のことを考えた発言。少し成長を感じて、しみじみとする。
真剣な眼差しでアニーは訴える。訴えるが、戸棚に手を伸ばし、着々と紅茶の準備が整っていく。今日は夜だしノンカフェインのアールグレイ。
「他のカフェに行って気づきましたけど、ウチは花とか置いてないっスよね」
お湯を沸かしながら、ポットを用意する。今日はノルウェーのブランド、フィッギョのトールヴァイキングの気分。オリバーの私物だが、勝手に使う。置いておく方が悪い。
その手際の良さに寒気を覚えつつ、ダーシャは『花』という観点から店を審査する。
「まぁ……床とかに観葉植物の鉢植えはあるけど、花という感じではたしかにないかな」
緑とか茶色とか、よく言えば落ち着いたカラー。元々が『森』というコンセプトの店だが、木々で満足していたことは否めない。
アニーは沸いたお湯を一度、カップとポットに注ぎ、温める。カップはスウェーデンのブランド、ロールストランドのモナミ。お湯を捨て、ポットに茶葉を入れ熱湯を注いだら、蓋をして蒸らす。この待っている時間が至福。
「ほら、ウチはユリアーネさんという、バラとヒマワリと胡蝶蘭とスミレとプルンバゴが合わさったような、それはそれは美しい花があるわけですが」
「なんか最後にやたらマニアックな花が入ってた気もするけど、たしかにもう少し彩りがあってもいいのかもね」
幸せそうなアニーの表情を眺めながら、悪くないなとダーシャも同調する。どうしたんだ、アニーちゃん。今日は珍しく冴えてるぞ。その調子だ。
「しかし、いない時は冴えない中年がいるわけです。これではユリアーネさんの荷が重い」
「……」
それでも、ユリアーネさんの美しさは全てを凌駕しますけどね、というアニーの言葉がダーシャに刺さる。




