61話
「……まだ眠いです」
宣言通りギリギリまで眠ったユリアーネだが、それでもまだ眠り足りない。学校もある。お店もある。その他、個人事業主のため、毎月一〇日までの税務署への売上税の仮申告、税理士との打ち合わせ、やることは多い。前オーナーに聞きながら習ってはいるが、なかなか厄介なことだ。
「シナモンやカルダモンは眠りにいいっスからね。効きすぎたみたいですけど」
背中が丸まるユリアーネを見て、アニーは明るく振る舞う。自分は店長とはいえ、やっていることはバイトと一緒。ほんの少し時給が高いが、ただ働くだけでいい。そして紅茶を時々飲む。これだけ。ユリアーネの気苦労を考えると、なにもやっていないようなものだ、と少し落ち込む。
目をシバシバとさせながら、のっそりと歩くユリアーネ。二度寝したが、体は重い。紅茶ではどうにもならない寝不足もある。
「ここ最近、あまり深く眠れていないので……」
むにゃむにゃと、まだ夢見心地で釈明する。
(の割には、めっちゃ布団の中で暴れ回ってるっスけど)
疲れているのは、寝ている時に動き回っているからでは? と、伝えてあげたいが、アニーはグッと堪える。できれば何も知らないまま、この事実は自分だけ墓に持っていきたい。
突然。
「眠そうだね。お疲れ様」
そう、背後から艶美な声をかけられ、ドキッとしてユリアーネは真顔になる。背後を振り返り、一瞬で緊張が走る。
「あ、お、おはようございます!」
その視線の先には、艶のある黒髪を揺らし、まるで近代の美の女神を写し取ったかのような、そんな微笑みを浮かべる女性。同じ制服に身を包んではいるが、二人よりもメリハリのあるスタイル。
「おはよう。ユリアーネ・クロイツァーさん。それと、アニエルカ・スピラさん」
すれ違いざまに女性は、アニーの肩をポンッと優しく叩く。
「お、おは……い? ボクの名前——」
初対面のはず。それにも関わらず、自分のことを知っている? アニーは脳が追いつかず、しっかりと挨拶を返せずに止まる。
戸惑うアニーの心情を読み、女性は少しおどけて見せる。
「驚かせてごめんね。だいたいの生徒は覚えてるよ。じゃあ、遅刻しないようにね」
それだけ伝えて、女性は颯爽と去っていく。ほのかにライチの香り。
その背中を見送り、アニーはポロっと率直な感想を漏らす。
「……綺麗な方っス……」
ユリアーネを可愛い、とするなら、間違いなく『美』というもの。タイプの違う気品に挟まれ、なんという贅沢な日! と、喜びを噛み締めた。
そんな呑気なアニーに対し、ユリアーネは驚きを隠せない。
「アニーさん、知らないんですか? シシー・リーフェンシュタールさん。成績優秀・眉目秀麗・人望もあり、学院イチ有名な方です。生徒全員を記憶してるという噂ですよ」
そして、その凜とした立ち振る舞いには憧れる。密かに、いつかお話ししてみたいと思っていた方。まさかこんな唐突に。挨拶だけだが、大きな一歩だ。凄さをアニーに解説するが、自分のことのように誇らしい。
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