287話
「そうなるね。ところで美味しいね、このエスプレッソ。クレマが分厚い」
あっさりとリディアは認める。そして感想もその流れで。ナポリに代表される南イタリアのエスプレッソは、平均してこの泡の部分のコクが深く苦味が強い。だがそっちのほうが好み。二分の一の確率だが、うまいことそっちを引けたことに満足。
なんとなく。ようやくカッチャは優位に立てた気がする。というのも、ここは一応ちゃんと認められて店を構えているわけで。波風は立てない、が長く続けるための秘訣。それは破れない。
「だとしたら無理よ。一応、この店は法律は守ってんのよ。働けるのは十六歳から。飲食の従業員は全員、保健局で食品衛生の講義を受けなきゃいけないの。そこでバレるわ」
もちろん自分も受けた。とはいえかなり簡易で、役に立っているとは言い難い形式的なものではあるが。無法地帯のこの店も、さすがに法には勝てない。
もちろんそんなことは知っているが、しかしリディアとしては勧誘されただけであって。余裕は崩さない。
「なんとかするってアニエルカは言っていたよ」
「ユリアーネは?」
「違法です、って」
「正しい」
よかった、まともなのがそばにいて、とほっと胸を撫で下ろすカッチャ。なんでもかんでも買ってもらえると思ってる子供じゃないんだから。我慢てもんを覚えなさいよ。
予想通り、ではあるがリディアとしては面白いほうに転べばいい。
「やれやれ。頭が固いよ、楽しければいいじゃないか。どう? お客さんのお望みのコーヒーを提供してみようか?」
その自信はある。なんとなく、言われなくてもその人の仕草や挙動から、甘さや苦味などを言い当てられる。気がする。やったことないけど。
だがその全く疑いのない雰囲気を前にすると、もしかしたら本当にそうなのでは? とカッチャは少し信じてしまいそうになる。事実、紅茶でそれをやることのできるヤツがいるわけで。
「……いらないわよ。それは私の奢りでいい。飲んだら帰んなさい」
なんだか深く考えることがバカらしくなってきた。この世は不思議に満ち溢れている。そういう人間もいる、と広い心を持とう。
「それはそれは。味わっていただくよ」
人のお金で飲むコーヒーはいつもより美味しくリディアには感じられる。半分冗談のつもりだったけど、ここで働くのも面白いかもしれない。
なんだかいつもより疲れる。カツカツと靴音を立てて戻るカッチャ。飲み残してあったクイーンズ・ガーターを一気に飲み干すと、強めにグラスをカウンターに置く。
「あーもう。いなくても面倒を増やすわねあいつは……」
あいつ、とはもちろん。アニエルカ・スピラ。問題と賑やかさの中心にはいつも。




