276話
「……そんなに悩まれても……」
対戦相手の男性も少し困り顔。この世の終わり、みたいな呻き声を聞き、勝っても一杯奢ることを決意した。
そんなことは露知らず、どう撞くべきかアリアデリアは決められずにいたが、さすがに待たせすぎも悪い、と勘で撞く。が。
「あ」
その小さくあげた悲鳴。ミスショット。かに思われたが、的球が多少浮いたようで、遠目には他の的球をすり抜けたように見えた。そのままポケット。奇跡。初心者のショットは時として、玄人も目を見張る輝きを放つことがある。千回に一回できるかどうか。
男性は「負けても奢る」は必要なかったかな、と少し安心。というか、普通にすごいものを見た。
「お見事」
「いやー、たまたま。こっからこっから」
鼻息荒く、ビリヤードの楽しさをアリアデリアは再確認。こういうのがたまにあるからやめられない。油断はしない。ナインボールを落とすまでは。
呆れつつも、カッチャは再確認。こういう思考を持っているからこそ道が開ける。
「なんて運のいいヤツ……」
運。それを言うのなら。私も相当だ。友人にも職場にも家にも学校にも恵まれているのだから。やりたいこともできて。そんな当たり前の日常が送れない人達だって多いのだから。
「なに飲む? キミも。お友達だろ? いいよ、好きなの選んで」
勝負も終わり、男性、ルーカスという名前だったらしい、がカッチャに声をかける。真面目にやったつもりだったが、エンジンのかかってきたアリアデリアが普通に勝った模様。その連れにも奢らないのは男が廃る。
自分はなにもやっていない、とカッチャは後ろめたい気持ちもないことはないが、それよりも男のメンツを潰すほうが申し訳ない。
「どうも。なら遠慮なく。一番高いヤツにしようかね」
そういうものはありがたく受け取るのが人生を円滑に進めるためには大事。多少は図々しくいくこと。




