17話
「……は?」
また数秒、無音が続く。
言われたことの理解が追いつかず、ダーシャは上下左右の天井や壁を見ながら意味を咀嚼してみる。え、どういうこと? お店? 占いの話じゃなくて?
遮るように、ユリアーネは冷淡に言い放つ。
「もう一度言います。こちらの店は私のものになりました」
「……んー、なにが?」
いきなり言われても、ダーシャにはなんのことかやはりわからない。さっきの紙? なに? なんなの? どういうこと? 僕の職場? なくなるの?
「正確には、所轄官庁への出頭などのアウフラッスングなどは行っていないため、まだ私のものではありません。が、物件的合意と、不動産登記簿への登記もいただいております。BGB八七三条の一項において問題ありません」
感情の抑揚もなく、しっかりとした定義に沿って、不動産譲渡に関しての経過をユリアーネは報告する。現時点ではまだなってはいないが、近日中にヴァルトを経営する建物は、彼女のものとなる。
ドイツにおいて、不動産の譲渡はややこしい法律が存在する。それがビュルガーリッヒェスゲゼッツブッフ、頭文字を取ってBGBと呼ばれる民法典だ。八七三条一項によると、方式自由の物件的合意と登記が必要であり、そして三一三条によると公正証書の必要性、さらに九二五条の、アウフラッスングという所轄官庁への両者の意思表明が必要となる。
「いやいやいや」
そんなバカな話。筋は通っているが、そんないきなりお店がなくなるなんて。ダーシャは理解は追いついたが、笑い飛ばす話だ。地元の草サッカーチームにメッシが入団した、なんて話のほうが現実味がある。売り上げが落ち込んでいればそれも仕方ないが、そこまで悪いわけではない。はずだと思っていたけど、どうなんだろ?
「そんなわけないでしょ。手が込んでるね、今回は。カメラでも仕掛けてあるの?」
焦って損した、とでも言わんばかりにダーシャに余裕が出てくる。そんなわけないって。
「どうぞ、確認をとっていただいて構いません」
微動だにせず、イスに座ったままユリアーネは確認を促す。
自信に満ち溢れるその姿に、少しずつ怖さを感じだしたダーシャは、「ちょ、ちょっとごめんね」と、携帯を取り出しどこかへかけた。なかなか向こうが出ず、歩き回りながら待つと、ようやく出たようで、開口一番、
「……オーナー、嘘ですよね?」
と、主語もなにもなくとりあえず今の自分の気持ちを吐露した。その後も「はい、はい……えーっと……」と、相槌を打ちながら事態を少しずつ把握していく。どうやら向こうから詳しい説明を受けているようだが、どんどんと表情が曇っていく。
「いや、笑ってないで。賭けチェス!? そんなんで……ありえるんですか?」
どうやら昔強かったというチェスで負けたらしいことを、ダーシャは理解した。賭けチェスなんて、数ユーロ賭けるくらいが普通だ。店を賭けるなんてどうかしてる……が、たしかにここのオーナーはどうかしてた……忘れてたわけではないが、まさかここまでとは……と、落胆し電話を切る。おそるおそる、ゆっくりとユリアーネのほうを向く。
「……ごめんなさい。えーと、もう一度、まとめてもらえます?」
もう一度の最終確認。これでダメならたぶん……真実。
「私が。この店の。オーナー様と。勝負して。勝って。私がこの建物の所有者になります。ついでにオーナーとしての権利もいただきました」
「いや、そこッ! おかしくない!? キミ何歳!? 学校は!? なんのために!?」
心には決めていたが、やはり実際にユリアーネに言われてもダーシャは信じられない。いや、信じろというほうが無理だ。いきなり僕、無職になるの?
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