15話
「最初はそっちにしようと思ったんですけど、たぶん今のユリアーネさんにはこっちが合ってるかと思ったんス。含まれているネロール酸化物やリナロールが、緊張を緩めるんです。これもビロルさんに作ってもらいました」
よほど嬉しかったのか、早口で捲し立てる。自分の得意分野を褒めて貰えると嬉しい。
味だけでなく、効能まで視野に入れていたとは、ユリアーネも少し驚いた。完食。
「美味しかったです」
丁寧に四時の方向に、マナーよくスプーンを置く。と、同時に自分だけ食べてしまっていて、少しバツが悪くなる。
しかし、アニーはそんなことは気にしない。美味しそうに食べてくれることがなによりのご褒美だ。
「よかったっス! よろしかったら、こっちのドロンマルも!」
そう言いながら、いつの間にか持ってきていたクッキーもテーブルに提供する。色は二種類。おそらくプレーンなベージュのものと、少し赤みがかったブラウン。
先ほどのグラニテには紅茶が使われていた。ということは。そのうちのプレーンだと思われるほうをユリアーネは手に取る。
「ありがとうございます。こちらも初めて聞いた名前です。北欧のクッキーですか?」
「はい、スウェーデンのお菓子です。ここのお店のお茶菓子は、ボクの案のものも多いんですよ。そちらはプレーンな味、もう片方はミルクティーを練り込んであります。それと、フレーデルブロンムルのハーブティーもどうぞ。詰まっちゃいますからね」
と、ミルクティー味のほうをアニーが噛むと、ザクッという硬い音がする。「美味いっス」と重曹で膨らませたようなガリガリとした食感を楽しむ。忘れているようだが勤務中だ。自分用のハーブティーを一口。
楽しそうに食べるアニーを見ていると、ユリアーネも無意識に笑みが溢れる。初対面ではあるが、きっとこの子は誰に対してもこうなのだろう。自分には一生無理な気がする、と変に羨ましい。
「たしかに、聞いたことないものばかりですが、どれも美味しそうですね」
プレーンをそのままかじると、たしかに普通のクッキーとは少し違う。食感もそうだが、なにか自分の知らないものも入っているようだ。もう一度、目を閉じて舌に集中する。が、わからない。素直に味を楽しもう。ミルクティー味も同様に一枚いただく。
お淑やかな雰囲気なため、もしかしたら全然食べてくれないかも、とアニーは危惧していたが、グラニテもドロンマルもしっかりと食べてくれて嬉しい。思ったよりちゃんと食べて、飲んでくれている。それにどうやら、『料理の感想に嘘は言っていない』ようだ。
「ひとつお聞きしていいですか?」
ハーブティーで流し込み、お互いにひと息ついたところで、アニーが切り出す。テーブルの上のハーブティーのカップを両手で握ったまま、表情が少し強張っている。
「なんでしょうか。答えられる範囲内であれば」
姿勢よく、ユリアーネは正面で質問を受け止める。急に雰囲気の変わったアニーに本気を感じる。
「……一緒に働くってのは嘘なんスか?」
俯いたまま、肺から絞り出すようにアニーは声を出すと、テーブルに手をついて「どうなんスか!?」と、身を乗り出す。
一瞬気圧されたが、冷静さを即座に取り戻したユリアーネは、ハーブティーをひと口。少し緊張したのは事実。
「……なにがですか?」
質問を質問で返すのはよくないと思いつつも、ユリアーネはアニーの反応を見ることにした。
すると、テーブル下にアニーは潜り込み、そのまま戸惑うユリアーネのソファの窓側に座ると、彼女の細い腰を抱きかかえ、顔を胸元に右頬から埋めた。
「嫌っス! 紅茶も好きですけど可愛い子も好きです! お友達になってください!」
と、周りの人々も何事かとチラチラ見るが、あぁ、アニーか、と元の安らぎの時間に戻る。彼女はなにかしらいつもやらかしているので、常連からしたらいつものことだ。
「そんなこと言われても……」
と、ユリアーネは周りの人々に視線で助けを求めるが、上記の理由で誰も何もしない。えぇ……と、整った顔が引き攣る。わりかしアニーの力が強いことにも驚き。腰が砕ける。少しすると弱まってきたので、引き剥がしてテーブル横に立ち上がった。
「とりあえず、今日は帰ります。ありがとうございました、ごちそうさまでした」
一応、二〇ユーロ札をテーブルに置いていく。値段はわからないが、足りなくはないだろう。チップも兼ねて少し多めに。美味しかったのは本当のこと。すぐには立ち去らず、アニーの反応を見てみる。
「……はいっス。でもお勘定はいいっス……」
弱々しいアニーの声に、少し悪いことをしたような気もするが、変に期待させてもしょうがない。二〇ユーロはいいと言うが、とりあえずそのまま。踵を返し、店を出る。外は夕方ともなると、少し肌寒くなってくるが、ユリアーネにとってはちょうどいい温度だ。石畳をコツコツと鳴らし、歩みを進める。
(アニエルカ・スピラさん、あの子は一体……?)
自分の内側を見透かされている、というほどではないが、なにか見破られている。勘なのかわからないが、注意が必要か。脳裏にグラニテとドロンマルの味を焼き付けたまま、家路についた。
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