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過ぎ去る妖精に生けた足を餞に  作者: はしかわ 月
9/19

9.断定されし葛藤


西川がこの後に来る、母さんも同席するらしい。一体どんな話し合いになるのか、気になってしょうがない。西川はもうこちらに向かっている。

僕たちはリビングで待つだけだった。

しばらくしてインターホンが鳴る、どうやら彼女が来たようだ。

彼女を僕たち親子の対面に座らせた。



「それじゃあ、始めようか」



西川は言った。母親は首を下げている。



「この家にもう二度と来ないんじゃなかったんだ」



場を和ませる必要がある。



「お母さんにはそう言われたけれど、事情が変わったの。現にあなたのお母さんは、否定していないでしょう」



僕は横を眺めた。母さんは無関心を装う。



「私、君と完全に決着をつけに来たんだよ。

終わりに近づくために。だから今日ここに来たの」



西川は何かはりきっている。

僕は何も質問しなかった。



「今日を記念すべき日にするために」



ハワンの鳥籠は、テーブルの横に置かれている。落ち着かない目をあちらこちらに向け、心情を読まれないようにしているようだ。



「西川たちが何をしたいのか僕には全く分からない」

「もう少し待ってね」



母さんは立ち上がり、カーテンを開けた。

眩しい太陽が斜めに差し込み、陽光の尖った 先端が僕の後ろを掠め、左右に動いた。

穏やかな朝に違いなかったのだ。



「僕たちはいよいよ目を向ける時を迎えたってことだ」



西川はきずみの写真を取り出し、それをテーブルの上に置いた。



「お母さんには聞いたと思うけど、私は毎週ここにお花を置きに行っているの。死んだ人の餞として。でも、本当に生けるべきなのは花じゃないってことも理解している。でも、そのことを君が知るのはもう少し先になるだろうけれど」



きずみは笑っていた、まだ小学生くらいの時だ。ここまで成長した姿のきずみを見たのは初めてだった。

この時点で僕の記憶と食い違っているのは、明らかだった。



「西川は、僕たち家族とハワンのことをどう結びつけている?」



彼女は耳にかかる髪を退けて、そのまま手を硬直させた。もじもじしていた、だが、迷っているという感じではなかった。



「この言い方が正しいのかどうかわからないけど、復讐なのかもしれない」



彼女は困った笑顔を差し込んだ。断定するにはあまりに人が良すぎる、僕に何かを質問しているように思えた。



「僕たちを恨んでいるってこと?」



西川は肩を震わし、丸くまとまった後、手を膝の上に置いた。



「いや、そんなんじゃない。なんて表現したらいいのか、分からなくて」



西川のことが可哀想になってきた。



「はっきり言っていいんだ。僕たちもそれを望んでいる」



西川はハワンを眺めた。



「今日、私たちが抱いた葛藤に決着をつけに来たの。お母さんに用意してもらったものもあるし。準備はもう整ってる」



西川は席を立ち、リビングの外に出た。やがて大きな揺籠を持って帰ってきた。

それを鳥籠の横に配置し、席に戻った。



「私がきずみちゃんのお墓に花を植えたことによって、あなたとの決定的な価値観の違いを生み出した。君は、きずみちゃん含め追い抜きの人に対する関心を全力で沈めてきた。そのために人とのつながりを絶ち、部屋に引きこもるようにした。そうじゃないのかな?」



ハワンとの距離は縮まるのみ、さすがは運命共同体だ。



「そうだよ。あたりだよ。いつか誰かになんとかしてもらおうと思っていた。逃げ続けてきた。僕は怠惰だった」



西川は首を振った。彼女は全力で僕の存在意義を主張しようとしていた。



「そんなことはない。本当は心からお礼を言いたいぐらいなの。君は逃げようとしたんじゃない。ましてや怠け者なんかではない」



僕は小さく縮まるしかなかった。



「みんなを恨む時はなかった。私は幸せだった」



西川に幸せなんて言葉は似合わない。



「自分に納得する方法なんてなかった。だから、君に近づいたの。こうなることを予想して。そして、ひどいことをしにきた」



湿度が上がる、部屋の中は蒸し暑い、密閉された空間に腐った果実がなる。



「酷いことって?」

「君は、ハワンをこのまま置いておくわけにはいかないと言った。私もそう思う」



僕は鳥籠を見つめた。



「だから、この葛藤を確実なものにしに来た」



母さんを眺めると、ハンカチで口を覆っていた。

目が充血している、とてつもない苦痛に耐えていた。



「名前は、文月(ふづき)にしようね」



西川もすでに泣いていたようだ、言葉に軋みが生じている。



「でもどうやって?」



僕は西川に尋ねた。



「君はきっと許してくれるはず。だって私を助けてくれたから。あの時、もう一度ここに引き戻してくれたから。ずっと気にかけてくれていたから。どうしても、生まれてきて欲しかった、私の大切な小さな足を」


 

 赤ん坊を抱き抱える、小さな僕がいた。

 僕はまだまだ幼かった。



「私のこと、覚えてる?」



 目の前にいたのは確かに西川だった。

でも、初対面の人物でもあった、彼女は、誰なんだろう……。


溢れてくる思い出、吹き出る涙。


記憶の境に残る、小さな生命。


現れた小さな妖精は、その温かな記憶の中にいた。囲まれたハワンは、確かな産声をあげ僕の心の中にいた。


西川は鳥籠の外に出た妖精を抱き抱えていた。


僕にはもうなす術がなかった。


ゆりかごに小さな生命が落ちる。


温かな声と共に、確かな希望を乗せて……。


文月と言っただろうか……。


僕はゆりかごを上から眺めた。小さな赤ん坊は僕のことを確かな目線で覗いていた。

成就した葛藤、願い……。

誕生した新たなる追い抜きの人。

僕たちの最初の子供となる文月がそこにいたのだ。



「やっぱり、きずみって妹は西川さんだったんだ」

「経緯は分からないけど、そうらしい。でも薄々気がついてはいた」

「私にはそこまで教えてくれなかったから」

丸い広場の噴水は射出口から重力に逆らい、水の傘を作っていた。

「僕はこれからどうしていけばいいか分からないんだ。赤ちゃんができた、しかも追い抜きの人の。まさかこんなことになるだなんて、いや、最初から気がついていたのかもしれない」



東原は缶詰を自分の傍に置いていた。

公園の境目は茶色く変わる葉っぱの線だ。



「西川さんは、きっといろいろなことで悩んでいたんだと思う。けど決心した。あんたのためにね」



僕は落ちてくる薄茶色の葉を手で掬う。



「そうなんだろうね」



東原はベンチに置いた左手を包んでくれた。

冷え冷えとした日が続いている。暑い日の隙間に儚い瞬間を挟む自然を恨まずにはいられなかった。

今日はやけにセンチメンタルだ、向かうべき行先が全く見えない。



「西川は高校卒業して働くんだって」

「もう十月だもんね」



東原は羊雲を睨んでいた。

文月が生まれてから、この数日間様々な手続きを踏んだ。慣れないことを繰り返すのは骨が折れる作業である。僕も西川も母さんも皆、疲弊している。それでも活動する力を与えてくれるのは、文月の他なにもない。



「あんたの将来はどうするの?」



東原はゴムを使って、後ろの髪を縛った。

風で靡いた髪は単純な作業をも拒絶するようだ、うまく結べていない。



「誠に身勝手だけど、大学に進学させてもらう。僕は働くって言ったんだ。でも母さんも西川も反対している。僕には安定した仕事についてほしいそうだ」



僕は東原の横顔を眺める。髪が右に煽られた。 先程のゴムが飛び、艶やかな髪の毛が反対の方向に弾かれた。



「まあ、それが無難な選択じゃないの?私も大学進むことにしたから。お父さんもお母さんもそれで賛成してくれてる」



僕は東原の首筋を慎重に眺めた。



「君の両親はとても優しいの? いつも一緒にいる?」



東原は僕の視線を奪いにきた。輝いた瞳で、僕の関心をその中に誘ったのだ。



「もっとも私のお母さんは血繋がってないんだけど。昔、死んじゃったから」



東原の目は澄み切っていた。心の中まで見通せるほどに、どこまでも清く輝いていた。

だが、一瞬揺れた雫がうごめいた。

眼球を滑り目の端に行き着くと、綺麗な粒となって落ちた。



「なんか、埃入ったみたい」



彼女は前を向き、目をこする。



「僕は西川との距離をもっと考えてみることにするよ。やれることはすべてやる。色々戦ってみるよ」



東原は両腕を天に上げ、体を伸ばした。

今日は全身で空気を感じるのにちょうど良い気候だ。



「まあ、頑張んなよ。私も自分のやれること全部やるから。そうだ、大学どこ目指すの?」

「地元の大学だよ」

「てことは、なんだかんだ言って勉強やってきたんだ」



東原が僕の左肩を突いたので、指の感触が残る一点を手で払い除けた。



「触られて嫌なわけ? なんか感じ悪い」



風が吹き、東原の顔は赤く染まった。



「全然そんなことはないよ。ただなんとなく気持ちが悪くて。もちろん自分にね」



東原は缶詰を両手で持ち、鼻を表面にあてていた。



「私もその大学目指してんだよね。また一緒になれるといいね」



缶の蓋を開け、ようじをポッケから取り出して突いて食べる。



「それじゃあきっと一緒になるね。楽しみだ」



僕は噴水を眺めた。水の向きが変わり、飛沫が頬に散る。

東原が食べる缶の中身からみかんの香りがした。



「バイトも結構頑張んないと、全部家族に任せっきりってわけにもいかないし、本当は僕たちでなんかしないといけない問題だから」



東原の頬が膨らんだ、どうやら具材をかき回しているようだ。



「お互い頑張ろうな」



顔の形が自然と変わる。西川の前でこんなに表情を露わにしたことはない、東原の前でなら正直でいられるのだ。

東原は缶詰を置いて僕を見た後、口を抑えた。



「それじゃあね、また今度会おう」

「じゃあ、また今度」



彼女はベンチから離れ、公園から立ち退いた。


僕はしばらく噴水を眺めていた。


ついでに周りの様子も確認する。


いろいろな人がいた。


皆それぞれ自分の主体性を持って生きている。

チラチラと僕の目と合う視線、しかし今は全く気にならない。東原と話をして、心の中にある黒い塊が溶解したからだろう。

 東原の温かい溶液が、冷たい水溶液に溜まる沈澱を溶かしたのだろう。

 腕を軽く触った、甘い感触がまだ残っている。

 頬を赤く染めた東原が僕の何かを指でついて、密かに笑った。僕は幸福な思い出し笑いをそっと手のひらで包み込んだ。




日記帳.5



 葛藤は確かなものになった。西川のおかげだ。

 本当に正しい選択だったのか、悩んだこともある。しかし、これでよかったのだ。だから、彼女と出会うことが出来た。

 東原のことを好いていた。色々な悩みを相談し、スッキリすることが出来たから。でも、そこ止まりなのは確かだ。

 好きという感情は誠にいいものである。僕は最初、好むという感情に対して敵対心を抱いていた。しかし、人の成就すべきものはこの好きという感情だと悟った時、受け入れる覚悟をした。


 永遠に忘れない、必ず追って辿り着く、白い鳥のもとに……。


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