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過ぎ去る妖精に生けた足を餞に  作者: はしかわ 月
5/19

5.届かない声



 山々は巨大な太陽を沈めまいとする。反して太陽は下に落ちようとする。峯部分から夕焼けがさし、大地を削る。ロープウェイが影の濃淡を作り、往復の運動を重ねる。山の力が波紋を作り出す。機械はそれに逆らい動いている。

 大地の力や結晶を信じざるを得なかった。

 それほど僕たちを圧倒する景色だった。



「山の中腹まで来ると流石に冷えるね」



 西川は夕闇に背を向けた。



「ああ、もうすぐ日が暮れるし、そろそろロープウェイに乗って下山しないと」



 西川はベンチに座る。僕たちの立つ大地は間違いなく周りの景色を支配している。

僕は西川の隣に腰を下ろす。景色は全体に広がる。



「もう後10分だけ。そしたら湖に行きましょう」



 僕は黒く顔を染める西川の様子を見た。



「暗くなったら湖が見えないだろう」

「唯一何も見えない一つの場所、前に踏み出せば溺れることが分かっている場所で何を考えるのか」



 西川は哲学的に物事を語る。

 日差しに照らされ、疲れ切った草木の香りがする。夏ももうすぐ終わりだ、まもなく秋が来る。



「西川は、ハワンのことどう思っている? どうにかしなければらない、そろそろ結論を下さないと」



 西川はショートになった髪を整えていた。



「うん、私の知り合いに保留管理所に勤めている人がいるの。その人に引き渡すのはどうかな」



 僕は膝に手を置いて、強くにぎりしめた。



「あそこは殺処分を待つところに等しい、僕は反対だ」



 西川は僕の腕に優しく触れる。



「そうね、私も本当はそんなことしたくない」



 僕は自分の太ももを眺めた。徐々に姿を表す闇に立ち向かう勇気はない。



「双方の親に言うしかないだろう。言って解決の手段を考える。もちろん殺したくないことも伝えて。当然怒られるだろうし、見捨てられるかもしれない。そしたら、僕たちも覚悟を決めるしかない。家を出て、働くとか」



 西川は手を離し、足をふらふらと揺らした。



「出来れば、親に伝えたくない。でももうそうするしかないのかもしれない。私はね、別に親になんて思われようが、周りになんて思われようが、そんなことはどうでもいいの。ただ、君と君の家族が傷つくのが耐えられないの」



 特別な思い、彼女は僕ら家族を愛している。    彼女はここ数年、よくうちに遊びに来ていた。   家庭環境が芳しくない彼女にとって、僕の家族は魅力に溢れていたのだろう。母親は西川を嫌っている。しかし、少し前までは普通に接していた。西川は嫌われた原因を知っているのかもしれない。だが、憎まれている事実は変わらない。恨んでいないのだろうか、きっと恨んでいないのだろう。だから、僕の周りのことを思ってくれているんだろう。



「ありがとう。でも、決意しないとお互い。なんとか説得してみせる。本当にお願いすれば、僕のうちに居ても大丈夫かもしれないし。妖精のままならなんとかなるかも」



 西川は鞄から写真を取り出した。



「これ、あなたの家族だったんでしょう?」



 僕は写真を見た。僕がまだ小さな頃、一人の赤ん坊を抱えて撮った写真だった。妹が写っていた、だがその妹はずっと前に病気で死んでしまった。



「そう、きずみのことだろう。僕がまだ小学生の時死んだんだよ」



 僕は写真を受け取り、じっくり眺めた。



「なんでお前が持っているんだ?」

「前に君の家族と食事した時あったでしょう。

その時に見せてもらったの」

「それがなぜここに」

「東原さんが私にくれたの」

「東原がなんで?」

「それは私も知らない。君の家に行った時、くすねてきたって。それについては深く謝っていたよ」



 僕は写真を下に落とした。一枚の写真は宙を舞い、山岳の峰に向かって飛んでいく。



「捨てちゃうの? 妹さんでしょう」



 僕は山に視線を合わせ、遠くに答えを求める。



「きずみはもう死んだんだ、帰ってこない。この世にいないやつに関心なんてないよ」



 隙間に生える苔を眺める。



「冷たいのね。私、君のそういうところ大っ嫌い」



 西川は視線を右に注いだ。

胸がつかえる、突き放されたのだ。孤独感が芽生える。



「好きに言えばいいのさ」



 西川は立ち上がり、正面を指差した。



「この向こうに私の言った湖がある」

「さっきチラッと見えたよ。ここからだと小さく見えた」

「湖畔に枝垂れ桜があるの。でもそのうちなくなって、一面に別の花が咲く。みんな夏に咲く花にするらしい」

「どうしてそんなことを知っているのさ」

「あの湖、色々言い伝えがあるんだよ」



 彼女は湖を見下ろした。もう薄暗い、ほとんど見えないだろう。



「あそこに行きたいんだろう」



 西川は再び僕の隣に座り、水筒からお茶を飲んだ。ゴムの香りが風に乗る。



「明るい時なら湖に直接降りる道があるの。遠く見えるだろうけど、結構近いらしい」



 僕はベンチの縁を蹴飛ばした。



「そうなんだ。詳しいね」

「もう行こうか」



 僕は椅子から立ち上がる彼女の背中を見た。その姿は萎れ、落ち込んだ気持ちを表していた。





「暗くて何も見えないよ」



 ベンチの隣に枝垂れ桜がある。



「本当は綺麗なんだよ」



 僕は西川の顔を見た。彼女は奥ゆかしい微笑を讃えていた。



「ここね、デモに由来しているんだよ。ここは妖精の生き死にが決まる、息の詰まる場所なんだよ。みんな成熟していたわけじゃない、無差別に過ぎ去っていってしまった人たち。東原ちゃんがね、ここに来た時言ってたんだ、お母さんがここで亡くなったって。行ってしまったって言ってた。反対運動起こしている最中だったんだって」



 僕は薄暗闇を仰ぎ見た。光はどこからも注がない、孤立した空間だった。



「みんな追い抜かしていくんだよ、人も妖精も。そして、気がついた時には誰もいない」



 僕は隣にある枝を見た。



「その桜だってここからしか見えない、山からは見えない。ここがゴール地点なんて悲しすぎる」



 フクロウの鳴き声がする。頭上を通り過ぎてどこかに飛んで行ってしまったようだ。



「低く空を飛んで湖を見て、桜を見て何が楽しいんだろう。何のためにここに来るんだろう」



 僕は闇を見上げたが、答えは一向に浮かばない。



「追い抜いて行きたくない。ずっと今のままがいい。動き出したくない。ずっとこの暗闇にいたい。この枯れた枝を見つめていたい」



 声は湖に浸透するのだが、残暑の空気が音を誘わない。



「西川はずっと僕の先にいて、一人だったんだと思う。だから一つところに留まって、泣き続けて、追い抜いて、過ぎ去った過去をここで見ているんだと思う。でもそれはもっと先にある未来が怖いからなんじゃないのかな。もっと上の方から眺めて、先を見通すのが怖い。だから、閉じこもろうとするんじゃないのかな」



 僕は枝を掴んだ。木が雫を落とす。



「きっとそうなんだと思う、あたりだよ。だからいつか私を迎えに来てよ。この暗闇から救いに来てよ。ずっと待ってるから。そして、いつか私にその声を届けてよ」



 僕は深く頷いた。



「そろそろ帰ろう。真っ暗だ。これ以上ここに留まるのは危ない。行こう」



 西川は何も答えない、彼女はきっと孤独から解放されたかったのだろう。話とはメッセージのことだ、僕に伝えたくてたまらないメッセージのこと。

 彼女は立ち上がる。体の中から渦巻いて燃える想いをこの場所に乗せて届けた。すっきりしたのだろう、そうさ、すっきりしたのさ。





 ファミレスでご飯を食べ、カラオケにも行き、しみじみした思いなどどこか遠くに吹き飛んでしまった。

 終いには終電を逃し、帰る手段も潰えたのだ。街の方まで戻ってきてはいた、ホテルに泊まる金などもある。だが、西川は拒否した。どこか別の場所に泊まるのだそうだ。各々で、夜を過ごすことにした。僕は帰路に着くことにしたのだ。駅の改札口前で別れる。



「やあ、元気してた?」



 西川と別れた後、後ろから女性に話しかけられた。



「東原です。遊びに来ちゃいました」



 大きな声が改札前に響く。



「なんでお前が来ているんだ」



 僕は頭をかいた。



「だってね、場所教えちゃったんだから、来てほしいって言ってるようなものだよ」



 僕は東原を突き返す。



「もうこんな時間だろ。電車ないぞ。どうするのさ」



 東原は階段の下を指差した。



「時間を潰す場所ならいくらでもあります。夜の時間を楽しく過ごそうよ」



 僕は振り返った。



「声が大きいよ。迷惑だろ」



 東原は頭を2度振った。



「まあ、行こうよ」



 僕は見逃さなかったのだ、西川はまだこの場を去っていなかった。彼女は柱の影から僕を見ていた。黒い気配が身を包み込んだのを感じたのだ、しかし東原には言えなかった。



「分かった。行こう」



 東原の指示に従い、階段を静かに降りて行った。



「どこ行こっか」



 東原は夜の空気を盛大に吸い込みながら前に進む。駅の周りは人が点々としている。僕たちはギリギリのラインで大人に見える風貌なのだ。よくみられない限り、補導はされないだろう。一応注意しながら歩き、東原の目指す場所に向かう。人通りの少ない通りに入る。街に散らばる様々な汚物が道の端に散りばめられている。色々なリスクがある通りに侵入してしまっているため、トラブルに巻き込まれてもおかしくはない。



「東原、危ないよ。そろそろ落ち着ける場所探さないと」



 東原は僕の隣を歩いていたのだが、今の言葉を聞き、歩みを緩めて後ろに下がった。



「この先にホテルがあるの。私の知り合いが経営している。そこに行こうと思うの」



 街灯が鈍く光る。それ以外の光線は誰の目にも届かない。



「何言っているんだ。そんなところに行けるわけないだろう。西川にバレたら大変だ。それにお前は何か勘違いしているんだ」



 東原は僕を追い抜かし、暗闇続くまっすぐな道を歩いていく。



「別に変なこと考えてないよ。あんたとそういう関係になる気もないし。ただね、西川さんが湖で話をしなくてはいけなかったように、私もあんたとそのホテルで話をしなくてはいけない。だから言うこと聞いてよ」



 足音が聞こえる、すぐ横の通りから誰かがこちらに向かっているようだ。この時間に遭遇する人間などに碌な奴はいない。すぐさまここを立ち去り、どこかへと行きたかった。



「分かった。行くよ。すぐそこなんだろう?」

「ええ」



 東原は真っ直ぐ歩いていく。僕も追随して、汚い路地裏を足音立てずに歩いていた。



「君の声はまだ届かないよね」



 後ろから声が聞こえる。どうやらそれは東原に聞こえていないらしい。僕は恐怖を体全体で受け止めながら、振り返った。そこに立っていたのは幽霊のような顔をしている西川だった。



「ホテル行くんでしょう?」



 西川との距離はかなり開いている。僕はその距離に感謝しながら口をつぐんだ。



「この先にラブホテルあるもんね。気にしなくていいよ。行って来なよ」



 僕の心は限界まで冷め切る。



「きっと私の声は君に届いていないんだから」



 西川は後ろを向き、そのまま暗闇に姿をくらます。追うことが出来なかった。足は地面に凍りつき、動こうとしない。恐怖とは別種の感情が沸き起こる。冷たさ、冷淡さ、とてつもなく死に近い何かだった。鳥肌が立ち、寒気がする。全身に汗をかきながら、再び東原の方を振り返る。彼女はもう路地裏の角にいた。僕は静かに歩き始め、凍りついた体を水平方向に動かしながら機械のように徘徊する。


 すべてを忘れたい、そう思ったのだ……。





日記帳.2


 西川のことはもう忘れなくちゃいけない。でも、そんなことはできない。簡単に忘れることが出来れば、いいことがいっぱいある。そう思っていた時もある。でも、やっぱり出来ない。

 彼女は、今もあの湖にいる。僕の迎えを待っているのかもしれない。いや、そんなことはないのかもしれないな、彼女は自分で見切りをつけたのだから。


 彼女は、大切にしなければならない。唯一、西川から僕を解放してくれる人物なのだから。


 前に、ホテルに行ったことがあった。ホテルに一緒に行った彼女は、僕と話をした後、一人で眠ってしまった。何も起こらなかった。ただ、西川を大事にしてくれと言っていた。僕の中で、彼女の存在は尊かった。

 決して忘れないだろう、色々と。

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