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過ぎ去る妖精に生けた足を餞に  作者: はしかわ 月
3/19

3.追いつかない思い(前編)



「君は安静にしてなくちゃダメだ。明日も学校休むといい。また来るよ」



 僕は西川を慰めた。彼女は机を下に置いて泣いていた。



「すまなかった。俺には思い切りが足りなかった。許してほしい。今度はしっかり助けるから」



 彼女の背中をさする。



「東原が教えてくれたんだ。西川が深く悩んでいること。ごめん。お前を無視し続けてた」



 西川は椅子をひいた。腕を目に覆いながら、立ち上がって床に崩れ落ちる。



「傘を返しにきた。玄関に置いといた」

「私、あなたに言いたいことがあるの」



 西川が持ちあげた顔は混沌としていた。



「今度の日曜日、成宮駅で待ち合わせよう」



 僕は指を目に擦り付けた。



「どうして?」



 西川は椅子の影に隠れ、座り込んでしまう。



「話がしたいから」



 僕は椅子を退け、西川の顔を確認した。涙の筋が残っている。



「話なら今ここで出来るじゃないか」



 西川は膝の間に顔を埋めた。



「今はしたくない。ある場所でしたいから」

「電車に乗るってこと?」

「そう」



 彼女は激しく泣いている。何かに固執しているようにも思えた。



「頑なになっているな」



 西川は足を折り曲げて後ろに崩した。そのまま両手を前に出し、僕を後ろに突き倒した。椅子が倒れ、バランスを保っていた机の物が散らばる。



「痛いな」



 彼女は机の下から出てきた。ほとんど立つことが出来ず、這いつくばって近寄る。僕の手をとり、静かに眺めた。



「そんなに頑なじゃない。ただなんとなく羨ましいだけ。なんとなく寂しいだけ」



 何を言っているのだろう。寂しいことなんてありはしないだろうに。



「とてつもなく寂しい。だから一緒にいる時間を増やしたい」



 彼女は僕の頬を手で包んだ。



「どこかに行きたいってことではない。ただ君と一緒の空間にいたい。私たちはこれからだんだん距離が遠くなると思うから」



 彼女はセンチメンタルになっている。僕の知らない微かな部分に触れてしまったのかもしれない。



「どうして遠くなるのさ。ずっと近くにいるじゃない。それがどうして」



 彼女の目は輝いている。黒色部分が鈍く白い光を反射する。綺麗だが、悲しみを含んでもいた。



「遠くなるの。とっても羨ましい。周りの人みんな羨ましい」



 彼女は嫉妬していたのだ。



「西川にだって魅力はたくさんあるだろう。自分のことを卑下するなよ。悲しくなるだろ」



 西川は下唇を噛んでいた。しがみついて、僕の胸を必死に掴み、髪を服の下に隠していた。



「悔しいよ。悔しい。自分のことなんてどうでもいい。ただ羨ましいの。羨ましいだけなの、とっても」



 髪の間から爛れた目が覗き込む。

 僕は彼女の情熱を卑下していたようだ。



「分かった。行くよ。それで西川の気が済むのなら」



 僕は西川を抱き寄せた。彼女は腕で力を押し退けていた。拒絶していた、何かを拒絶していた。





 西川の家は暗かった、何者かが取り憑いているように。きっと気のせいであるに違いないのだが。



「先生。西川さんにプリント渡しました」



 僕は今学校の理科室にいる。化学の先生、山岡先生に報告をしにきたのだ。



「ありがとう。頼んでしまって悪かったね。電話をしたんだが、なかなか本人出てくれないんだよ。悩んでいるんだろうね」



 山岡先生は担任だ。何か責任を感じているように思われた。



「彼女は風邪で休んでいるんですよね?」



 山岡先生は実験台を見ていた。どうやらフラスコの中にある光を覗いていたようだ。



「名目上はね。でも僕はそう思っていない。彼女は何かで悩んでいる。この間、僕のところに相談に来てくれたんだ。悩み事があると。非常に抽象的な内容だったけど、人生を変えるような悩みを抱いていた。詳しいことは聞いていないけどな。先生は分かるんだ」



 僕はフラスコを手で取った。それを使って歪んだ部屋をガラスに通す。



「抽象的だけど、人生を変える悩みを。そうですか」



 先生は棚から実験道具を取り出し、机の上に置いた。



「よからぬことを考えてなければいいが。僕はそれだけが心配だ。後で家を訪ねようと思う」



 僕は器具の前で唖然とした態度をとった。



「彼女は元気ですよ。ネガティブなことなんて考えていませんよ」



 僕は下を向いた。目頭が燃えるように熱い、嫌悪感が胸の内からのぼる。



「彼女は繊細なんですよ。でも、明るい人間なんですよ。僕には分かるんです。僕は誰よりも彼女を知っている」



 言葉が途切れる。煌びやかな床に雨が落ちる。



「でも、悔しくて、どうしてあげたらいいか分からなくて」



 泡の弾ける音が聞こえる。液体の溶け合う音が宙で混ざって激しく散らばる。

 先生は机をまわり、僕の肩を叩いた。



「先生もそんな時があったよ。とにかく悔しくてどうしたらいいか分からない。自分の成長する気持ちに体が追いついていないんだろう。もどかしくてね」



 僕は激しく泣いた、情けなかったのだ。



「出会わなければよかったと思っていた人がいたんだ。でも、その人がいなくなってから後悔したんだ。出会って悪い人なんていないって。

僕は毎日謝っているよ。弱い人たちはいっぱいいる。でもそれは一面に過ぎない。場面や状況が変われば、みんな尊敬できる人間になるのさ」



 僕はしゃがみ込んだ。



「ゆっくり寄り添ってあげなよ。彼女はきっと回復する。君の態度を見ていれば、簡単に予想できるよ」



 僕は先生の目を見た。目尻が緩く立ち上げ、

 人間の目を誇張していた。



「僕明日学校休みます。彼女の介抱をします」



 先生は背中をさすった。



「西川さんは君がいないとダメなんだろうな。

1日くらいは容認しよう。悩んでいるうちは何も上手くいかないから。親には上手く言うんだぞ。体調不良にしといてやる。西川さんは明日もお休みをするらしいし。上手くやれ」


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