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過ぎ去る妖精に生けた足を餞に  作者: はしかわ 月
2/19

2.追いつかれた人



 朝に目が覚めた僕はハワンの様子を見た。彼女は鳥籠の中で安らかに眠っていた。それから1階に降りてテーブルについた。置き手紙と共に置かれた朝食を食べる。その後準備をして学校に向かう支度をする。



「昨日、どうなったの?」



 学校まであと数百メートル、最寄りの駅から数分歩いたところで東原が話しかけてきた。



「昨日西川さんと一緒にいたんでしょう」



 僕は横に視線を逃し、前方にまわる東原の目線を防いだ。



「無視しないでよ。昨日西川さんと会ったんでしょう」

「あったよ」

「なんで?」

「お前には関係ない」



 東原は僕の後ろに移動し、手を掴んで引き寄せた。



「まあそんなこと言わずにさ。私だって西川の友達長くやってんだし、あんたの知り合いでもあるわけでしょう。だから、好奇心から聞いてるの」



 僕は身を翻しながら、硬直した指を動かした。



「ダメ。お前とはそこまで仲良くないし。聞きたいことがあるなら本人に聞きな」



 東原 紗穂は再び僕の前に立ち塞がり道を封鎖すると自分のポケットから携帯を取り出し、眼前に掲げた。



「これ西川さんからの連絡。今日学校休むって、明らかにあんたが原因でしょう。家に来てほしくないって、誰も。これは重症だよね。あんたのせいでしょう」



 僕は携帯を眺め、手を顎にあてがった。



「友達をこんな目に合わせたあんたを見逃すと思う? 理由全部話しなよ。私、2人が家に入って行くところまで見ていたからね」



 僕は進路を変え、逆方向に進み始めた。



「何? 学校行かないの?」



 東原はそれでも後に続く。



「ああ、帰るんだ。ついてきたいのならついてこい。お前とは決着をつけなければ」



 東原は僕の横に並んだ。体勢を低くして、僕の横顔を覗き込む。



「遠慮なくついていかせてもらいます。妖精さんもいることだし」

「嗅ぎ回ってるのは俺も知っている。理由は知らんが」



 踏切が行手を塞ぐ。遮断機が降りて、重低音が響き渡る。



「そんなの簡単なことだよ。あんたが鈍感なだけで」



 莫大なノイズのもとに届けられた微かな一言。僕は聞き逃さなかった。僕が鈍感なだけ。確かにその通りだ。僕は何も知ろうとしなかった。鈍感というより怠惰なのだ。努力をしなかった。だから全て西川のせいにしているのだ。    3年前から双方の葛藤は芽を見せ始めていた。それなのに気がつかないふりをした。結果、彼女が2年後に責を負った。発生した責任は彼女にある。だが、その理由を突き止めようとしなかった。僕はとんでもない怠け者だった。



「確かに僕はとんでもない怠け者だ」



 電車は過ぎ去った。巨大な音が微かな静寂を引き連れてくる。



「いえ、鈍感なだけよ。怠け者ではない。そこまであなたを責めてないから」



 東原は笑顔をこちらに向け、手を肩に寄せた。



「私はねそんな悪い人じゃないから。あなたに伝えたいことがあって嗅ぎ回っていたの」



 東原は僕に顔を近づける。長い黒髪が僕の胸をかすめ肩の部分で持ち上がる。額と髪の境界から良い香りがした。



「いや、俺は誰も信用していない。自分の親でさえ」



 東原は透き通った目をさらに接近させ、もう片方の手を僕の背中にまわした。



「いいの、信頼されてなくても。そのうち信頼せざるを得なくなるから」



 唇を寄せている、彼女はきっとその気らしい。



「お前は俺たちの間に入れない」



 胸骨を押し退け、彼女を遠くにやった。



「痛い!」



 踏切の溝に躓いた。再び遮断機が降りる。僕は慌てて東原の近くによった。



「早く立て!」



 彼女は叫んだが動こうとしない。



「来ないで!」



 遠くから地鳴りがやってくる。電車が来るのだ。僕は地平線を眺めた。



「早く立て!」



 目線を戻す。東原はそこにいなかった。



「あれ?」



 数歩後退してあたりを眺めた。彼女は先の角を曲がっていった。靴が残っていた。早く逃げなければ。一目散に引き返し、学校への道を走った。やがて校門の前に着くと学校を1周まわり、別の道から家に向かった。





「ただいま」



 家には誰もいない、東原もまだ来ていなかった。そもそも来るかどうかすらわからない。

再び部屋に閉じこもりハワンを見た。どうやら無事なようだ。



「これからどうするべきか」



 僕は以前新聞から切り取った記事を机の引き出しから取り出し、眺めた。



「差別撤廃。自由への意志。追い抜きの人、人として見られず憤慨」



 新聞の見出しは怒りに満ちた誰かの声で始まっている。



「自由への意志か」



 天井を見上げた。



「西川は一体何をしたいのだろう。何を企んでいるのだろう」



 手を光のもとに映し出すと指の間から光線が漏れ線が目の中をついた。



「東原も一体何者なのだろうか」



 ベッドの上に座った。そのまま下を向いて俯き、膝の間に顔をいれながら物思いに沈んでいた。




 インターホンが鳴る。僕は玄関に降りて、覗き穴から訪問者を眺めた。東原だった。鍵を開けて、ノブを押す。



「入れよ」



 完全に開けず、数センチの隙間から声を投入した。扉が閉まる。ちょっとして、再び開いた。



「入るよ」



 東原は体を中に入れ、ずぶ濡れの傘を外で弾いた。



「雨降っているのか」

「ええ、一度傘家から取ってきたの」



 僕は傘立てを指差し、「入れろよ」と言った。階段を上がると彼女も後からついきた。僕が先に部屋に入って東原を案内する。



「まあベッド座れよ。今日は親も帰ってこないだろうから、風呂も入ってけ」



 東原の体がベッドへ沈む。



「あんた、毎日親が帰ってこないわけ? この間西川さんが言ってたよ。結構あんたのうちにお邪魔するけど、親がいたことないって」

「うちの親は、夜中の3時にならないと帰ってこないのさ。この間はたまたま帰ってきて、西川と居合わせてしまったが。父さんは単身赴任中さ」



 東原は枕を抱いた。



「まあ色々あるんだろうけど、西川さん、あんたのことずっと気にかけてるよ。この間もあんたの話ずっとしてたよ」



 僕は床に落ちている新聞に目をつけた。


 差別撤廃……


 見出しは大きく刺激する。



「でも西川はきっと俺のこと嫌っているのさ。駅でお前が見ていた時、俺も責任を取るって言ったけれど、結局全部あいつのせいみたいなことを言ってしまったし」



 枕を投げつけた東原の目は鋭かった。



「さっき家寄ってきたよ」

「ああ、道理で……」



 首を大きく縦に振った。



「見たことある傘だと思ったら、西川のやつか」

「そうね……」



 東原は冷たく突き放す。



「俺はねお前を信用しているわけじゃないんだ。でも、こうして誰かにあいつとのことを話すのも悪い気はしない。正直に言うとな」



 東原はベッドから降り、隣に座ると新聞を取り、微かに目を通した。



「差別撤廃ね」



 僕は彼女の手もとを見る。



「君は追い抜きの人に興味があるのかい?」



 新聞を横に置いて、僕の顔を見た。彼女の頬はやつれていた。



「興味はある」



 顔を逸らしてしまう。彼女の悲しげな表情は切なさをもたらす。胸がきつく縛りあげられる。西川と最初の葛藤を通した時に似通っていた。



「家族にいるの? 追い抜きの人」

「いるよ」



 再び彼女を見つめる。



「私お姉ちゃんがいるの、2つ上の」



 東原の目が微かに潤んだのを感じた。



「姉は私に追いつかれたの」



 僕の口は凍結し、開くことすらままならない。



「私はね追い抜きの人なの」



 東原は指を前で結び、首を組んだ手に埋めて祈っていた。



「姉は優しい。どこまでも私を見てくれる。両親は分け隔てなく触れ合ってくれる」



 手に落ちた涙は腕を伝い、床に落ちる。



「でも姉はまだ高校一年生なの」



 声が潰れるため、これ以上喋れないのだ。

 手を差し伸べて、彼女の祈る手を包んでやった。



「ちっとも姉じゃない。でも小さい頃からついこの間までずっと優しい姉だったのよ。今も姉なの。でも姉じゃない」



 追い抜きの人、記事にはそうでている。

 差別撤廃、世間の煽り、世に蔓延る言葉を全てこの身で包んだ。



「歳をとるのがはやい。格差はもっと広がる。

でも見た目は変わらない。私、高校三年生には見えないでしょう。若いっていわれる。メイクしたり、化粧したりしているけど誤魔化せていないから」



 もう何も言うまいとした。あまりにも悲しく、そして切なすぎた。



「西川さんはそんな私を助けてくれた。家族と一緒にデモにも参加してくれた。理解してくれた。闇の中にいた私を遠くに連れ出してくれたの」



 彼女は僕の目を見透かし、厳しく睨んでいた。



「だからあんたにはしっかりしてもらわないと、ハワンをしっかりしてもらわないと、私壊れてしまいそう」



 彼女は僕に抱きついた。淡い切なさ、彼女の香り、西川を思い出す。



「なぜだろう。西川を思い出す」

「いいの全然。全然いいよそんなの」



 彼女は僕の中にいた。とっても泣いていた。





 彼女の悲しみはしばらく潰えなかった。

 約数十分後、いつも通りの快活な笑顔を差し向けた。



「これがハワンだよ」



 高いベッド下からハワンの小屋を取り出す。



「ピンクなのね」

「文鳥みたいだろう」



 僕は鳥小屋をつついて音を出した。



「びっくりしちゃう」



 東原は携帯を眺めた。着信が入っていたらしい。



「姉さんから。迎えに来るって」

「風呂はいいのか?」

「どうせまた濡れるし。傘、あんたから返しなよ。行ってあげな彼女のもと」



 僕の胸をタッチした。



「分かってる。後で行くよ。夕方なら彼女も多少落ち着いているだろう。5時過ぎたら出かける」



 僕は立ち上がって部屋を出ると彼女を先導した。彼女は僕の見送りを受け入れてくれた。



「また会おう。今度は西川も一緒に」



 外に出ると自分の影がまっすぐに伸びた。



「帰ろう、紗穂」



 黒い線から左斜め45度くらい、東原の姉が立っていた。

 彼女たちは二人とも手を繋いでいた。どう見ても同じ人間にしか見えない。



「どうも」



 お姉さんはこちらにお辞儀した。僕はペコリと返した。あれが追いつかれてしまった人間、そして、追い抜かれていく人間なのだ。





 僕は日記をつけてみることにした。

 追い抜きの人

 周りの状況や自分の意見、様々な事柄を文字に起こしておくのは悪くない。

 机の引き出しを探った。よい日記帳がある。

 中学生の時に書いていた数ページを切り取り、白紙にした。

 ペンを取って、文字を書こうとする。



「やっぱり日記なんて向いてないか」



 僕は全てを収納し、行動を中止させた。





日記帳.1


今日から日記を始めていこうと思う。僕には、これを書く責任がある。追い抜きの人を徹底的に分析するとともに、書き残しておかねばならない人物がいるのだ。

 追い抜きの人

妖精は、恋愛の葛藤を通して生まれるらしい。

妖精は、様々に変化する。鳥の姿、犬の姿、猫の姿、様々……

最終的に人へと進化を遂げ、家族になることもある。

僕はこの選択を取ることに大賛成だった。

妖精が人間に変貌すれば、時の経つスピードが通常の人間と異なるらしい。ある友達が言っていた。彼女はとても悲しんでいた。

年齢をつかさどる機能はいまだ研究が進んでいない。脳科学の最先端を通して、推測できる限り、転属される職種は変わる。

中学生2年生から高校3年生に飛び級する人も存在する。

見た目は若いまま、なかなか歳を取らないらしい。人間より寿命が長い分、成長過程は早いようだ。

彼女は、そんな命運を背負って生きていかなければならない。でも、可哀想だと思わない。

僕が可哀想だと思えば、彼女は報われない。

西川さんはとても優しかった。彼女は負けなかった。悩んだり、落ち込んだり、でもしっかり乗り越える。

彼女は僕にケジメをつけさせてくれる。

だから決して忘れたりはしない。例え、僕がどんな人に憧れようが、彼女の存在は揺るがない一つの炎となって僕の中で燃え続けるだろう。


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