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歩行式思考法の奨め

戦前風の漢文調の文章が書きたくて書きました。口語文法と文語文法が混ざっているのは仕様です。


※この文章は、自由に利用、引用、改変して構いません。ただし、以下のことを守ることを条件とします。

・このページを利用元として明示すること(リンク表示、ないしは題名表示)。

・(改変する場合)改変したことを明示すること。

・他者を攻撃、侮辱、誹謗中傷することを目的として利用しないこと。

 これは私自身(わたくしじしん)()けて()かれた、思考(しこう)潤滑(じゅんかつ)たらしめる方法(ほうほう)に関する文章(ぶんしょう)であり、(しか)読者諸君(どくしゃしょくん)にも(ささ)げられた文章(ぶんしょう)である。


 (しか)れどもこれを()(まえ)(すこ)(ばか)認識(にんしき)しておいて(いただ)きたいことがある。この文章(ぶんしょう)には確固(かっこ)たる科学的根拠(かがくてきこんきょ)存在(そんざい)せず、極論(きょくろん)せば個人(こじん)経験(けいけん)(もと)づく、N=1(エヌ・イコール・ワン)主張(しゅちょう)だということである。で、あるからして、()し、(なに)かにつけて論拠(ろんきょ)裏付(うらづ)けられたる研究(けんきゅう)結果(けっか)(もと)めねば安心(あんしん)できないとか、証拠(しょうこ)なくして実行(じっこう)なしとかいう方々(かたがた)(いま)この文章(ぶんしょう)()んでいるならば、以後(いご)この内容(ないよう)期待(きたい)するのは(あやま)りであると()わざるを()ない。

 (ぎゃく)に、(たん)なる一人(いちにん)(げん)意見(いけん)参照(さんしょう)したいという方々(かたがた)にとっては、この文章(ぶんしょう)非常(ひじょう)(てき)したるものであろう。

 では、本論(ほんろん)(うつ)ろう。


 ()理性(りせい)人間(にんげん)として人生(じんせい)(おく)(ため)には思考(しこう)という作業(さぎょう)必要(ひつよう)不可欠(ふかけつ)である。(いやしく)思考(しこう)せずに()きんとすれば、生物(せいぶつ)たるホモ・サピエンスとしての生活(せいかつ)可能(かのう)なろうとも、高度(こうど)なる知能(ちのう)最大限(さいだいげん)活用(かつよう)して理性(りせい)人間(にんげん)として()きるは(ほと)んど不可能(ふかのう)となって(しま)う。これは(きわ)めて勿体(もったい)ないことであり、(こと)情報(じょうほう)社会(しゃかい)()(すす)み、人工(じんこう)知能(ちのう)(いちじる)しい発達(はったつ)により人類(じんるい)独自(どくじ)創造性(そうぞうせい)(もと)められる現代(げんだい)社会(しゃかい)()いては尚更(なおさら)である。

 これにより思考(しこう)とは人生(じんせい)()いて食事(しょくじ)(ひと)しく重要(じゅうよう)なる地位(ちい)()めるのであって、(ゆえ)高等(こうとう)なる思考(しこう)人生(じんせい)(しつ)をよく()げてくれる立役者(たてやくしゃ)()()る。

 (しか)しそうは()っても人間(にんげん)とは(そもそも)怠惰(たいだ)性質(せいしつ)()生物(せいぶつ)であって、娯楽(ごらく)氾濫(はんらん)する現代(げんだい)()いては(さら)にその性質(せいしつ)増長(ぞうちょう)し、時間(じかん)精神力(せいしんりょく)とを(つい)やす思考(しこう)という難事業(なんじぎょう)には中々(なかなか)集中(しゅうちゅう)(がた)いものである。人類(じんるい)には思考(しこう)潤滑(じゅんかつ)たらしめる手段(しゅだん)必要(ひつよう)である。

 世間(せけん)流布(るふ)せられたる色々(いろいろ)(すべ)(ため)すもよし。自己流(じこりゅう)方法(ほうほう)駆使(くし)するもよし。(しか)れど現在(げんざい)思考法(しこうほう)のみでは不足(ふそく)ということも()るやも()れぬ。(ある)いは如何(いか)んしてや発達(はったつ)したる思考(しこう)可能(かのう)なるか(いま)(まよ)って()(かた)()るやも()れぬ。

 そこで読者(どくしゃ)諸君(しょくん)には、(わたくし)実践(じっせん)する思考(しこう)方法(ほうほう)以下(いか)(しめ)文章(ぶんしょう)材料(ざいりょう)充分(じゅうぶん)吟味(ぎんみ)して、それが貴方々(あなたがた)(てき)したものかを自己(じこ)責任(せきにん)(もっ)判断(はんだん)し、()適合(てきごう)するならば(おお)いに活用(かつよう)して(いただ)きたく(おも)う。

 それが「歩行式思考法(ほこうしきしこうほう)」である。厳密(げんみつ)には歩行式(ほこうしき)思考補助法(しこうほじょほう)とでも呼称(こしょう)すべきであろうが、()(かく)これはやろうと(おも)えば現在(いま)からでもできる単純明快(たんじゅんめいかい)なる手法(しゅほう)である。一応(いちおう)()スティーヴ・ジョブズ()実行(じっこう)していた方法(ほうほう)だというから、(まった)効果(こうか)がない(もの)(すく)ないと(ぞん)ずる。

 一文(いちぶん)()べるならば、歩行(ほこう)(しき)思考法(しこうほう)とは思考過程(しこうかてい)支障(ししょう)()ぬほどの(かる)散策(さんさく)をして思考(しこう)(しつ)(およ)(りょう)向上(こうじょう)せしめることである。

 (なに)熟考(じゅっこう)せねばならぬ事柄(ことがら)眼前(がんぜん)()ちはだかるとしよう。これを解決(かいけつ)せんと四六時中(しろくじちゅう)椅子(いす)(すわ)って机上(きじょう)にて(こと)(かみ)()(つら)ねていくのは(けっ)して悪手(あくしゅ)ではないけれども、それのみでは()機械的(きかいてき)()()()くとなって集中力(しゅうちゅうりょく)()ち、事態(じたい)解決(かいけつ)(とお)のきかねない。ここで歩行式思考法(ほこうしきしこうほう)登場(とうじょう)する。

 その事柄(ことがら)(あたま)()かべ(なが)(せき)()ち、何分(なんぷん)(あたま)(ほぐ)れるまで(ある)(まわ)ってみるのである。(ある)くのでは満足(まんぞく)ならないなら(はし)るもよろしい。(ひと)にも()るだろうが、五分(ふん)くらい散歩(さんぽ)すれば充分(じゅうぶん)である。これにより迅速(じんそく)事態(じたい)解決(かいけつ)見込(みこ)むことが可能(かのう)となる。

 (ただ)歩行(ほこう)目的(もくてき)にしてはいけない(てん)には注意(ちゅうい)せねばならない。歩行(ほこう)(しき)思考法(しこうほう)()ばし、思考(しこう)()(つぎ)にして(ある)くのに集中(しゅうちゅう)してしまうことは(もっと)回避(かいひ)すべき、それでいて悪辣(あくらつ)にも()まり(やす)設計(せっけい)された(おと)(あな)である。

 ()(まで)歩行(ほこう)(しき)思考法(しこうほう)(かく)は、(かんが)えることであるからこれを常々(つねづね)(だい)(いち)(かか)げて(けっ)して路肩(ろかた)()とさぬよう()(くば)らねばならない。(ほか)行動(こうどう)にも(つう)ずる原則(げんそく)であるが、目的(もくてき)手段(しゅだん)()(ちが)えてはならないのである。

 ここまで散々(さんざん)数行(すうこう)(わた)って(えら)そうに()いてきて(なん)なのであるが、(じつ)歩行(ほこう)(しき)思考法(しこうほう)漠然(ばくぜん)たる思考(しこう)との相性(あいしょう)(もっと)もよい。正直(しょうじき)()って数学(すうがく)理学(りがく)といった難解(なんかい)思考(しこう)演算(えんざん)(もと)められる分野(ぶんや)については、てんで(はなし)にならない。

 (ぎゃく)哲学(てつがく)とか(あら)たなアイディアの発明(はつめい)など、一意(いちい)(さだ)まる解答(かいとう)存在(そんざい)しない分野(ぶんや)創造性(そうぞうせい)必要(ひつよう)分野(ぶんや)には()こう。(たちま)()発案(はつあん)()かんでくること受合(うけあ)いである。


 最後(さいご)に、歩行(ほこう)(しき)思考法(しこうほう)のある程度(ていど)科学的(かがくてき)推論(すいろん)(のこ)して拙文(せつぶん)()わりとしよう。

 歩行(ほこう)により(なに)活潑(かっぱつ)()るかといえば(すなわ)心拍(しんぱく)である。歩行(ほこう)によって、身体(しんたい)必要(ひつよう)とする酸素(さんそ)(りょう)満足(まんぞく)するに充分(じゅうぶん)な、より(おお)くの血液(けつえき)全身(ぜんしん)(おく)(とど)けねばならなくなるからである。(しか)(なが)らその血液(けつえき)筋肉(きんにく)組織(そしき)にのみ(とど)けられるのではない。一部(いちぶ)(のう)にも到達(とうたつ)し、(おろ)かにも葡萄糖(ぶどうとう)しか栄養(えいよう)として利用(りよう)できない(われ)らの(のう)細胞(さいぼう)満足(まんぞく)せしめるのである。

 我々(われわれ)人類(じんるい)思考(しこう)(のう)にて(おこな)われ、脳細胞(のうさいぼう)酸素(さんそ)(もち)いてエネルギーを入手(にゅうしゅ)するのだから、歩行(ほこう)((なん)らかの運動(うんどう))によって脳細胞(のうさいぼう)(とど)けられる酸素(さんそ)(りょう)増加(ぞうか)するのは道理(どうり)であろう。してみれば歩行(ほこう)により思考(しこう)明晰(めいせき)となるとは()(かな)って()るはずである。

 以上(いじょう)()べた理由(りゆう)により、歩行(ほこう)(しき)思考法(しこうほう)思考力(しこうりょく)増強(ぞうきょう)せしめると()えよう。


 本文(ほんぶん)以上(いじょう)である。この文章(ぶんしょう)により読者(どくしゃ)諸君(しょくん)思考(しこう)がより明晰(めいせき)となったならば、それは僥倖(ぎょうこう)である。

読了に感謝します。

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