朝イチの訪問者
僕は5時35分に起床した。
身体が重く、軽度の倦怠感を覚えながら上半身を起こし、重たい瞼をどうにか上げる。締め切られていないカーテンの隙間から、陽射しが差し込んでいる。
気が付けば、母親の弾んだ声とテレビから漏れる人間の声ではない誰かの声が階下のリビングが小さく聞こえていた。
まさかな、と首を左右に振って、過った思考を切り捨てながら、自室を出て、洗顔を済ませに向かう。
欠伸を漏らしながら、寝起きの間抜けな自身の顔を鏡で見ながら、洗顔で鈍る脳を動かさそうと試みる。
間違いなく、豊口家に訪問してる人物はあの人だ……
姉が起床して、あの人に寝起きで会えば、昨夜の喧嘩よりも激しいものになるのは確実だといっても過言ではないだろう。
そして、二人の喧嘩が勃発して、仲裁するのは僕しかいない。
どうにか、姉が起床してくるまでにあの人には出て行って頂かなければならない。
登校前から憂鬱だ……
重い脚をリビングに向かわせる。
「あらあら、姫寺ちゃんは瑠衣のズボラさに迷惑かけられてるのねぇ。それは、ごめんなさいねウチの娘が」
「いやいやぁ、お母様に謝って頂くのはとんでもないですぅ!娘さんには、それはもう私みたいなのと仲良くしてもらって嬉しいです!」
手を擦り合わせ、媚び諂っている商人のような姫寺の声が階段を下りる僕の耳に聞こえ、ぞくりとした。
「もうソウちゃんが顔を出すわよ、姫寺ちゃん。ソウちゃんとも仲良くしてちょうだいね」
「そうですか、楽しみです!えぇ、もうそれはそれは可愛がりますよ、瑠衣の弟なんですからっ!」
昨夜に聴いた興奮した姫寺の声に、階段を下りる脚が止まった。
「あらぁ、ソウちゃんが階段を下りてこないわ……見てくるわね」
「あ、はい……」
母親がめざとく足音が止んだのを察知して、階段を見にきた。
「ソウちゃん、そんなとこで止まってないで早く下りてらっしゃい。瑠衣のお友達が来てくれたから、挨拶しなさいよ」
「あぁ……うん」
僕はリビングに脚を踏み入れ、挨拶をした。
「あ、おはよう。おはよう……ございます」
「おはよう、ソウちゃん」
「弟くん、おはようございます。朝から押しかけてごめんね。瑠衣と会って話したいことがあって」
昨夜の営業スマイルに似た笑顔で挨拶を返してきた。
彼女は頑なに僕と接触していることを母親に伝えない。
「ソウちゃん、ママはもう出るから戸締まりして学校に行くのよ。姫寺ちゃん、私はこれで。娘たちをこれからよろしくね!」
「わかってる」
「もちろんでございますっ!お気をつけていってらっしゃいませ、お母様!」
玄関扉が閉まる物音を聴き、昨夜の姫寺に戻る。
「蒼真くん、私のことをお母さんに言ってなかったんだね。昨夜は瑠衣が居たから阻止されたけど、今は居ない……さぁ、私と連絡先を交換しよ!キミに、私と連絡先を交換してデメリットは無いはずだよ……私はキミに身体を触らせてあげる、この胸を揉みたいだけ揉んでいいし、あんなとこももちろん触れる。いかがわしいムラムラできる写真だって送ってあげる。どう、魅力的じゃない?」
姫寺がダイニングチェアに座りながら、自身の胸をカットソー越しに撫で、僅かに開いた脚の股の敏感な部分を撫でながらメリットを挙げた。
「どうかと言われても……」
「瑠衣では性欲は満たされない……誰か蒼真くんに身体を委ねてくれる娘はいるの?居たら断るのは、分かる。これでも、痴女ではないよ私。キミと居たいの、手を繋ぎたい、肌を触れ合いたい、唇を重ねたい、優しく扱ってほしい……そして、キミにならボロ雑巾みたいにされても構わないよ。蒼真くん、私はキミと繋がりたい……肉体的にも精神的にも。キミの子供を産みたい、キミとキミの子供を一生愛して離さない。独りになんてさせない。だから、連絡先を交換して」
「……えっと、あぁーその子供が何とかって言ったの、僕の聞き間違いですよね?連絡先の交換ですよね、ただの?」
「私は蒼真くんの子供を産みたい。これは、私の本心だよ。キミこそ欲求不満を自慰行為で解消するより、代換品がない快感を味わいたいでしょ。瑠衣より揉みがいのある胸を揉めるのに、断るなんて他の男が聞いたら殴られるレベルなのよ。どうしても……ダメなの?」
「……ええ。そう、なります……」
「じゃあ……じゃあじゃあっ一度で良いから私と寝てよ!私に触れてからでも、遅くないじゃない?ねぇ、どう……かな?」
「姉貴にボコられたことが何度かあるんです。性欲よりも痛みには身体はかなわないんです、僕……」
「そこをなんとかっっ!ねぇ、蒼真くん、どうかお願いっっ!」
「というか……連絡先の交換よりも踏み込んだこといってませんか?」
「えっ……そう、だっけ?」
「はよ〜ぅ、ソウちゅん。昨夜のことは忘れ——って梨紗っ!何しに来たっっ、あんたっっ!?」
「あぁ、瑠衣。おそよー。何しにも、蒼真くんに連絡先の交換を」
「帰れぇーっっっ!さっさと帰れ!軽々しく蒼真に近付くなぁぁっっ!」
姉と姫寺の喧嘩は、虚しく阻止出来ずに終わった。